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HSPという言葉の勘違いさん

ううーん。

自分でもよくわからない感覚。

その感覚から掴み取れる自分の変化。

まぁ、いっか。だいたいこう、それが一致しすぎて驚かれるというのも結構経験してるし。

ということで。

心理学上の概念の言葉を使わず、分かったつもりでデッチアゲヲ語る。

そういう勘違いは、誤解を生むだけだし、本当にそうある人が困るので。

だって。

人間離れしなくもないから、兎に角叩かれるんだもの。


だから何でしょうか?

よく、人に言われたことを気にする、言葉が刺さって振り回される。辛くなるなんてことを言ってる人が居ますが。

それ、不安障害じゃないの?

一度、病院に行って診察受けてみることをオススメしますよ。

というか。

相手が口にした言葉以上の、何を言おうとしてるのか?という部分。相手すらも気づいてなかったり、本音と建前で本音は隠してる部分なんかに対しては、

絶対防御と言わんばかりに「で?それが、どうかしましたか?」

と、返しますよ。即座に、普通に、当たり前のように。

何かを言葉にして発言するというのは、狙いや、理由、意図があるので。

そこを汲み取る必要があるし、お互いに汲み取り合うのがコミュニケーション。

そこが出来すぎてるので気を遣い”過ぎ”

うん。幼い頃からずっとこれですし、正直、今のブームで見られる自分の弱さをHSPに置き換えてる人って、

幼稚園時点での私以下、です。

正直に言ってみよう。試しとして。

その頃から、大人が口にした言葉以上に理解してるので、優しいとか喧嘩はダメというのを、一歩踏み込んで実践してた結果、

「面倒見が良い、よく気づく」という評価をされてました。

何度もこういうのを言うのも、なんですけどね。

そうやって、常に言葉や、態度、雰囲気、表情、行動、仕草、ほか色々。それどころか、室内に怒りの感情が漏れ出すという感じ方もするのも、その頃から。

また、小学校に上がってからは、問題が解けないだけでなく、何をどうしたら良いのか黙って突っ立ってるだけで、何も悪くないのに「わかりません」すら言えずに居た結果、

先生はイライラしだす。周囲は集中が切れてざわめき出す。

授業という環境が悪化し始めてる。

そういうのも、全部把握してしまうんですよ。でも、誰が悪いとかはないので、自分がでしゃばる必要がなければ、とりあえず静観するという行動もするようになった程。

流石に、ね。

いくらなんでも小学校低学年までは良かったけど、それ以上は自分でなんとかしてね?でした。

じゃないと、既にもう過敏性腸症候群が週に何日襲ってくるの?だったし、それ以上に色んなことのしわ寄せを受けてしまうだけでなく、親すら受け止めてくれないので、自分が立つだけで必死でしたし。

だからこう、問題が解けなくて困ってるなんてのは。

周囲に悪影響を及ぼすだけだから、わからないならわからないと、正直に言ったほうが良いと。

言うように変わったくらいです。

うん。

人の言うことなんて、そもそもが的外れとか、思い込みとか、自分の予測以下の予測とか、そういうのばかりで。

それが社会人になってからは、作業の手を止めさせられてまで、聞かされたのが「なんでそんなに真面目なのか?なんでそんなに気を遣うのか?」だったので、

「それがどうかしたんかい?今、手を止めさせてまで聞く必要あります?」

と、突き返すことすら余裕だったくらいです。

同じ人に何度も何度も繰り返されるので、いい加減”話を聞いてね”だったんですよ。

うん。

人の言うことなんて、刺さりもしなければ気にならないです。

ただ、おまえだけがおかしいという、多勢に無勢には、多数派だからこその傲りや、勝ち誇り、見下しというものも含まれてたので、それについては、

自分たちが困ると人それぞれ違うというのに。

自分たち以外には、そうやって輪になってイジメる。

何でこんなに、同じ勉強してるのに、言葉が伝わらないの?でした。

言われたことを気にするとか、怒られたことを気にするとか。

相手の意図が、言葉や態度、声ほかで気づくでしょ?

気づかなきゃおかしいし、気付けるから、気にしないんですよ。


兎に角付きまとう「過ぎる」

えー、ただただ、違うだけではありません。

不思議と「違いすぎる」と言われます。違いが過ぎるとか、日本語おかしいんじゃないの?と。

違いなんて、比較の結果から言われることなので、1人だけ違うのであれば、1人だけ違う、これで済むのに、不思議とね。

”過ぎる”が付くんですよ。

違いすぎる、真面目過ぎる、気を遣い過ぎ、人が良すぎ、優しすぎ。こんな感じで。

それが、相手からの評価にホイホイ含まれてしまうほどに、何かが過ぎてるわけなのですが、

何度か個人で確認した中では、

真面目にしても、その度が過ぎてる。

気をつかうにしても、細かい所まで行き届きすぎてて、度が過ぎてる。

という答えも貰ってたりします。

そしていつもどおりというか、そうある私自身としては、

「何をどう受け取ろうが、私の中では感覚的に気づいてる、見えてる、聞こえてるしか無くて、そこから動いてるだけだし、真面目にしよう、気を使おう、優しくしようとかもないし、気にしなくていい」

そうなんですよ。

度が過ぎてるとか、そういう人なんだな、って放っておけない人たちが、寧ろ気にしてる。

この、気にするという行為は、正直多数派ですよ?

5人に1人とか、20%だとか言われるHSPとは真逆です。

だって、気付けない、見えない、聞こえないから、状況の把握や現実の把握がおいついてないからこそ、探りもできてないからこその、

「気にする」です。

だってもう、気づいてる、感じ取って把握してる事に、気にする=意識を配る必要ないんですよ。

だからこう、相談にしろ、指導にしろ、教えるにしろ、

「そんなとこまで分かってて対応してるの???」

です。うん。それでもね?

「感覚的なものだし、目に見えないから、多分恐らくで偶然一致してるだけにすぎないよ?」

とか、サラッと言うもんだから、良い方にも悪い方にも周囲が騒ぎ出すんです。

で、相談なんかは、それこそもう千里眼。

会ったことが無い、相談相手の家族なんかも話聞いてて、もしかしてこういう感じなかった?とか、言い当てるとしか言いようがない。

相談してきてる人が、それ程に奇妙な一致を感じるので、一番驚きます。

言葉だけで、それ程に掴める、だから、気にしないで済むんですよ。



感覚としてのはなし

これも何度ももう、話してますが、五感全部どころか、痛覚や温感という、体がを持ってる事で感じ取れるものは、大概、

「そんなのお前だけ」

そう言われるほどに周囲が感じ取れない部分まで、感じ取ってしまう、です。

ホントこう、自分にとっては自分の感覚って当たり前なので、気にしないんですよ。

そもそも、誰しも自分の物しか知り得ないので、それが普通だと思ってると、そうでもない。

色弱とかだと、表面化しやすいので、色に対しての見極めがうまく行かないタイプだと判明するような感じです。

だからこう、ね?

自分が感じた物を、これみよがしってのは、どういうことなの?と。

なんかこう、感じるというのを、誤解してますよね。

それは、自分自身だから感じれるもので、当たり前ですごしてたんじゃないですか?

それをHSPという言葉を知ったからと。

大して調べない、本質に触れようとしないまま、自分の都合の良いように扱ってるだけですよね?

自分の感じる当たり前=周囲からすれば、それが当たり前だと困る、お前のは度が過ぎてる。

こうですよ?

よく気がつくね→いや、自分にとっては当たり前だし。

よく気を遣うよね→自分にとっては当たり前だし。

真面目だね→そういう理由はわからないけど、自分は自分であるだけだよ?

そこには、周囲と比較すると、見えすぎてる、聞こえすぎてる、嗅ぎ分けすぎてる、感じ取りすぎてる、気づきすぎてる、細かい所まで行き届きすぎてる。

なんでか、周囲が見た目から、そういう判断に至ってるだけ、なんですよ。

その理由を説明すると、余りにこう人間離れしてる、だから、実際に目にしてるけど信じられない、という感じです。

そして、それを受け入れないから、気付けば忘れてしまい、同じことを繰り返し聞く、問いかけるをしてくる、と。

ホントもう、なんで違いを認識してるのに、なかったことにするの?なんですよね。


正直、いい加減にして欲しい

言葉だって、意味や成り立ちがあります。

命が無いだけで、人間が生み出してるわけですが、そこには研究というね。

時間、予算、労力をかけてるだけでなく、それでも成果が確実に得られるものでもない。でも、探究心もあるし、諦められないから頑張る。

そういう人たちの、苦労と頑張りの結果、生まれる言葉だってあるんですよ。

これって結構辛いことだと思いますよ。

頑張って、研究してるのに。現状では誤解が蔓延してるし、まだまだコレが基準というものも無いのに、勝手にカウンセラー名乗る人が出てきて金儲けに使ってたりですから。

そういう人たちの苦労を思うと、心が重くなりますし、痛いです。

また、逆に、そうあるとはいえ、確証が無い一個人がとやかく言うのも迷惑かな?と悩んだり葛藤してたりもします。

時には、書きかけたものを削除したりして、気持ちを抑えようとしたり。

ただでさえ色々影響を受けてる、意識しなくても光や音なんて常に感じ取って、処理して、意識が一瞬切り替わることでの把握もしてますから、

疲れのせいで感情が波立ってるかもしれない、と、休んだりもしますよ。

でもね。

ホントこう、雨後の筍。

雨が降ったらにょきにょき生えると言わんばかり。

本質に迫れない情報が次から次に出てくるようだと、ただでさえ気づきすぎてしまう側としては、危惧や懸念を感じさせられるので、危機感から行動にでてしまいもするんですよ。

ホントこう、自分さえ良ければいいという、勘違いさんが多すぎです。

知りもしないまま扱うなんてのは、世の中に不利益をばら撒く行為ですよ?

いくら言い逃れしようにも、本質に迫れてないわけで。

それなのに、自分の思い込み以上に、自分に当てはめようとして、自分勝手に話を作り変える。

それを見て、更に悪化させるといわんばかりな人も出てきてます。

なんだよ、自己肯定感が低いとか、特徴にしてる人は。

それは、まんまその通りなだけで、HSPは関係ないし、メンタル弱いだけですよ。

流石に、精神科での診察を受けたほうが良いと思いますよ。

とはいえ、そっち方面の医師とか看護師もそういう扱いしてる人いるから困りもの。

でもですね。

個人としては、そういう状況に問題提起をしてた、精神科の医師の方、その人の発言を見てから、こういう事を言うようになったわけです。

医学上の言葉じゃないし、基準にもないから、診断出来ないと説明する機会が増えてる、と。

何この、温度差。

医学上の言葉でも無ければ、基準も無いのに、あたかもそういう症状があるかのように扱うって、どうなんですか?

先日、公認心理師の方の動画も取り上げましたが、その中でも説明されてたんですよね。

動画はこちらの記事に載せてます。

ほんとこう、ね。

都合の良い解釈して、都合の良いように扱いなさんな。

繊細どころか、厚顔無恥、面の皮が厚くて、恥を知らない。

その自分勝手さを恥ずかしいとも思わない。

どこが、繊細なんですかい?っていう。

繊細って、メンタル弱いだけじゃないんですよ。

うん。

まぁ、そういうタイプってどうしてもそういう事にするというのは、諦めないかもしれないので。

現状、第二次世界大戦以降の史上最悪も、予測も出来るのに、何やってんの。


あとがき

ほんとこう、いい加減にしてくれませんかね。

赤土をこねて固めた玉を、宝玉です!って言ってるようなものですよ。

自分の弱い部分を、特別なものとして扱ってるわけですし。

そういう目を背けるからこそのいい加減さ。

無意識下という深いところから漏れ出るネガティブさ。

それを目を背けるかのようにポジティブになってるつもりになる、振りをする。

そういう、深い部分の弱さからくる、人間の腹黒さを感じさせられる。

本当に様々に感じれるようなら、違和感なんて、今の世の中相当に出回ってるので、嫌でも影響される事で、自然と調べに行くと思います。

それ程に、表面なんか一瞬で通り過ぎて、少なからず深い所に至ってしまう。

それが、イチイチしらべなくても、目の前で行動として見せてたので、違いすぎる事を叩かれるという、ね。

ホントこう、しばらくはアーロン博士の名前も出てましたが、都合の良い部分を取り上げるだけで、正直博士にとっては迷惑だし、知られたら名誉毀損じゃないの?と思います。

アポが取れるように説得できれば、リモートすらも出来るような時代なのに、それをしないまま勝手に名前使うって、何が何やら。

まぁ、そう簡単に時間は取れないのかもしれないですけどね。

うん。

そもそも、そういう感覚的な部分や、感受性の部分って自分自身すらも目にすることは出来ない部分なので。

診断基準がないからと、各々が好き勝手やるようなら。

フリーの一般人で肩書がないからこそ、逆に出来てしまうこと、なんてのも世の中にあるので、

問題提起をしていこうかな、と思います。

それでは。


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