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掘り下げる、ということ

先日の記事の最後に、掘り下げるのをオススメと書きましたが。

書いてみて、掘り下げるって言っても、どう捉えられてるんだろう?みたいなものが気になりまして。

まぁ、感受性が云々だけでなく、HSPについて知ったり触れたりするであろう人が目にしそうな表現について、私が表現した場合の意味合い、みたいな話もしてみましょうかね、と。

あくまで個人の解釈の話なのですが、流石にここはカウンターパンチみたいな内容にもなろうかと思うので、ご注意くださいませ。

私にとっての掘り下げる

・現実問題や、事実関係の整理をする

・自分とは違う価値観を持つ人を想定し、問答をしてみる

まぁ、これが全てではないのですが、可能な限り客観的な見方になるように、色々自分の中で整理するという感じ。

なので、考え込むとか、思い悩むとかは一切ございませんっ!

うん。

HSPなんかでもね。学校で授業を受けてると考え込んでたとか、そう言うのを掘り下げるとつなげる人居ますけどそれ字の如しまんまでしかないんですよ。掘り下げるにはなってなくて、ただただ考え込んでるだけ

なんでかっていうと、考え込んでた自分を見てるだけで、それで周囲がどうなってるか?という、感じ取りや、観察、掘り下げが一切できてないんですよ。

考え込んでたら、授業に遅延が発生するし、自分以外の迷惑になりますから

という、こう言う物言いも掘り下げた結果です。その場を見てないのにとかそういう事じゃなくて。

正しいとか、良し悪しは取り除いたうえで、現実問題として発生しうるんですよ。で、考え込むだけで周囲をガン無視してるから、教える側の教師が叱る、と。

考え込んで答えが出ないなら、素直にわかりませんって言いなさい

とか言ってね。

こうやって、そんなことしてたらどうなるか?みたいに、上辺だけで判断しないようにするのも掘り下げるという事になります

また、掘り下げるという事については、こういう部分もあったりします。

私みたいなネガティブ増し増しじゃなくても、感受性が高い人の行動って周囲からしたら、おかしく映ったりするんですよ。

そう言うつもりが無くても、何でか行動について質問されたりそういう行動を「変わってるねぇ」みたいに言われたりして、え!?って感じで驚かされたりもします。

色々関係なしに、人間誰しも自分なりの普通の行動ってあると思いますが、それが発生した状況やタイミング、指摘してくる人が違っていても、何でか不思議と同じ指摘で、自分の普通がおかしい、変わってるって言われてね。

逆に、変わってるからって言われても、不思議と自身は周囲は気にしないんですよ。だって、気にしたところで、みんな普通に日常生活送ってるだけですから。

そういうのが日常としてまま起こりうるので、どうしてそんな事を言われたのかな?みたいに自然と突き詰めていくようにもなると思います。

だって普通に生活してるだけ、なんですけどね。

というかんじで、頭使ってうんうん唸るなんてのは全然違って、色々整理したり、どうしてそうなるのか?を客観的に突き詰めたり、追ったりするのが掘り下げるという行為になります。


掘り下げる時にやってる事

・正誤、良し悪しはそっちのけ、二元は感情誘発するから邪魔

・場合によっては掘り下げるのを止めて保留し、未来を待つ

・自分を正としない、あくまで自分が個としてという表現に変える

・掘り下げるばかりじゃ疲れるので、即座にやめる(笑)

こんな感じで、掘り下げる時にも注意してる事はあります。

結局の所、整理とか把握っていう部分が多いし、途中で取りやめるのも「今はまだ無理かな」とか「今はまだ早いだけ」と言う風に、掘り下げること自体に降って湧いたようなストップがかかる事もあります。

ちなみに、こう言う掘り下げるっていうのは、何かしらの要因から意識的にする事もあれば、無意識とか自然にやってしまってて後々記憶から浮き上がるって事もあります

なのでまぁ、感受性が高い人がやってる事とか特徴というより、そういう人について説明するのに用いる言葉の一つ、という感じです。寧ろ、そういう言葉を知るまで、みんな普通にやってるものと思うくらいに、自然にやってる個性みたいな部分でもあるんですよ。

なので、文章にするには難しさみたいなのも感じなくもないです。

というのも、ここまで書いて来た内容の殆どが無意識とか自然とやってるっていう話で。あくまで、説明するために文章化した物の、文章化した事でその場に自然な流れの状態ではなく、流れが固定化された状態で置かれてしまう事になり、こういう文章での時間や、流れの固定化という部分も、HSPブームあるあるの中の誤解とかの要因かな?とも思います。

人の思考の流れを固定化する事で、普段できてない人がそれを見ながら、多分こういう事だから自分は出来てると、当てはめる為のツールを置く事にもなるんですよね。というか、多分って掘り下げろし!ってツッコミたくなりますけどね。

掘り下げる事にふれつつ

文字や文章に説明したら、こうなってしまうだけ。

実際問題としてそんな状態なので、HSPからこう言うのをを知って見直したら自分がそうあったはまだ良いとしても、自分が感じてる所だけ当てはめて自分がHSPというのは、やはり疑問が残る所。

そして、情報について云々だけではなく、本当に感覚的、特に視覚的ですが、バチっと静電気が発生したような感じを頭で受けて、視界の一瞬のブラックアウトみたいな反応が次、そして自然と言葉が浮かんで、そこから掘り下げるという事も多く。なので、感じたからだけでは済まされないのが実情です。

体が反応を示した=掘り下げたら感じてた、というところかな。

こう言う所を掘り下げるに当たり、声高に言うと最悪叩かれる杭になるので、やんわりそれとなく周囲に確認してみたら、やっぱり自分だけという、実際の状況確認も自然と幼い頃からやってました。

それが成長するにつれ、自分は出さずにコントロール&経験積んだから周囲に確認せずとも把握してた部分に、周囲は逆に不思議がって〇〇過ぎ、おかしい、って触れてくる機会が増え。

そういう経験は未だに発生します。だから、変えられるわけでもないし、とりあえず必要以上に自分を出さず隠しながら、日常を送り続けてるというのも変わらないです。

もうね、HSPだなんだ関係なく、自然と幼い頃からそういう概念で言われる事をやってたけど、今まで説明する言葉が無かったって感じで。

自覚がある人にはそうやって、知りはしつつも結局自分が持ったものだからといつも通りを過ごしてる人の方が、実際にそうある人ではないかな?

というのも個人的に感じてる所だと思います。

あと、確かに感情を無意識からでも出してる人間って、自分を含め面倒とは感じますが、必要であればちゃんと付き合い、向き合いも出来るし、いがみ合ってる関係の人の間でもどちらからも相手と付き合うなみたいな指摘されるどころか、相手側ともうまく付き合えてるお前はすごいよなみたいにも言われるので、人が苦手だから、怖いからという、対人恐怖とか社交不安みたいな要素ばかりでもないのも実情です。

まぁ、この辺自分がそうだけと言う要素もあるので、そこは考慮しつつも。

HSPが変な方向で伝わり過ぎて、そうじゃない人がそうらしく振舞うのは、少なからず迷惑みたいに感じてたりもします。

見たくもない、嫌だと感じる物、それすらも価値基準を当てはめずに処理しますし、感情のコントロールも必須なので、ストレスにもなります。

HSPに限らず、何事もピンキリというような極で良い悪いあって、それの垣根を超えて、清濁併せ呑むって感じなんですよね。全部とか絶対とかは無理ですけど。人間だから感情もありますし。

そういう意味では、飛び乗るだけじゃなく、もう少し掘り下げてみてくれないかな?って思います。

生まれつきでなく、後天的に感受性が伸びたりする事もあるそうですが、おそらく「人を喜ばせるため」みたいに、良い部分だけでなく、悪い部分もちゃんと向き合って、良い悪いじゃなく現実としてどうすれば喜ばせられるのか?を突き詰めるような、板前とかパティシエ、パティシエールが例になりますかね。そういう、手に職のための技術、技法として突き詰めていたらそういう感覚にも気づくようになるという話なのではないかなぁ、と。

こういうのって、人の為でもあって、自分の理想を叶えるという自分の為のものだとも思いますし。

こんな感じで、現実問題として自分、そして他人がいる。お互いがよりよくなるには?を突き詰めたら、自然と配慮とか想いやってるという姿を見せる様にあって、それもあるけど自分がそうしたいから頑張ってるんだっていう感じにもなるかと。

なので、芸術系が向いてるのではなく、そういうのを手に職にしてると、自分と人との客観視が出来るようになって、感覚が研ぎ澄まされる=そういう仕事をしてる人に多くなってるだけ、というのが実情でしょう。

この辺も、ちゃんと掘り下げてれば見える部分だし、見えてないなら、精進が必要なんじゃないかな?って思います。

まとめ

というかんじで、掘り下げるという言葉から、突っ込んで掘り下げてみました。とはいえ、これが全部でもなく。

そしていつも通り、あくまで周囲からの指摘でそういうタイプなのかなぁ程度に留めてる個人の視点、言い分でもあったりします。

こういうのって、感情が本当に邪魔なんですよ。

個人的には、嫌でも生きるための術としてやらざるを得なかったという側面もあって。良い悪いとか、自分本位になってると、間違いなく何かしらの衝突があります。言い争いみたいなのは無くても、見えない所で誰かを傷つけてたりね。

まぁ、100%回避はできないし、こういう事を書いてる時点で真逆をやってるのも重々承知です。受け取り方も個人で違いますしね。

言い出したらキリがない部分でもありますけど。

ただ、こういう感じなので人に気を遣いすぎどころか、他者の事まで受け取り過ぎてて自分が死んでる、自分をしっかり持つようにとかカウンセリングで言われるのかな?とも。

とはいえ、バランスを取ろうとして、こう言われる=まだまだ多様性だなんだ言っても、自分の価値観や自分が得た物に頼りすぎてて、人が見えてないんだろうなぁ、いつになったら人間もう少し動物から離れて、人間らしくなれるのか?とか哲学っぽい事もしなくもありません。

という事で、今回はこの辺で。

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