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『アルフィー 50周年 ファン物語 木枯らしに抱かれて』

THE ALFEEが今年で50周年を迎える。昭和平成令和の半世紀に及ぶ活動期間。シングル58作連続TOP10。日本初の単独10万人コンサート。日本初の単独オールナイトコンサート。通算コンサート本数3000弱。70歳にして衰えぬ観客動員力。彼らは世界的にも稀有な存在だ。
そんなアルフィーが50周年を迎えるということは、ファンにもアルフィーと歩んできた長い歴史がある。みんな人生のどこかでアルフィーに出会い、アルフィーの歌や存在に支えられ、時に離れたり寄り添ったりしながらもアルフィーと共に年齢を重ねてきた。アルフィーの歴史はファンの歴史そのものなのだ。
この文章は私が取材した、ある1人のアルフィーファンの人生から語られるもうひとつのアルフィー物語。

-秋田県 47歳  製菓会社勤務-

蝉の鳴き声が響く教室にいる私の頭の中では「木枯らしに抱かれて」がヘビロテしていた。9月なのにひどく暑い。だけど秋田県のど田舎の公立高校にエアコンなんてあるわけがない。下敷きで扇ぎながら見つめる視線の先には、入学した時からずっと片思いを続ける男の子の背中があった。私の初恋の人。高校生までスヌーピーくらいにしか恋をしたことのなかった私が初めてときめいた人だった。幸運にも3年間同じクラスでいられたし、私が高校に来る理由のほぼすべてが彼と同じ空間にいられることだった。だけど卒業まであと半年でも告白する気なんて全くなかった。彼と私はただのクラスメイト以外の何物でもなく、秋田美人とは程遠く目立たない私が学年で人気者の彼とどうにかなるはずもなかった。

その9月の教室から2ヶ月前の1993年7月。夏休みに入ってすぐのある日、私は街にひとつだけあるレコード屋にいた。大学の受験勉強から目を背けるように店内をふらついていると不思議なハーモニーが聴こえてきた。巡り巡る季節のジャーニーなんたらと歌っていて綺麗な声だなと思っていたらその曲は終わってしまった。でも、その次に流れてきた曲を聴いて私はぶるっとした。歌詞が片思いを続ける私の気持ちとあまりにもリンクしていて泣きそうになったのだ。その時初めて「木枯らしに抱かれて」という曲名とアルフィーの存在を知った。隣の本屋で参考書を買うつもりだったお金で「CONFIDENCE」を買った私は、夏休みの間中聴き続けて、気が付いたらアルフィーのファンになっていた。初めて好きになった人と重なった歌、初めて買ったCD、初めて好きになったアーティスト。このアルバムには私の初めてが全部詰まっていた。

それからは少しずつアルフィーのCDを買い揃えていった。アルバイトもしておらずお金がなかった私は中古レコード屋で買ったり、レンタルショップで借りてカセットテープにダビングしたりした。今みたいにサブスクで一気に聴けるのとは違って、最新の「JOURNEY」から自分が生まれた頃の古いものへと聴いていくことがたまらなく楽しみだった。木枯らしに抱かれては、自分が小6の時に小泉今日子が紅白で歌っていた事を後に知ったし、アルフィークラシックスをクラシック好きの父に聴かせて褒めて貰えたりもした。その頃の私は青春の恋と重なるような「あなたがそばにいれば」「夢の終わりに」「いつも君がいた」みたいな曲がお気に入りだった。だけど、こんな曲を聴いているのを家族に知られるのは恥ずかしかったから小さめの音で聴いた。

この当時では珍しくひとりっ子だった私は、ショパンが好きなサラリーマンの父と専業主婦の母に可愛がられて育った。両親には何でも話せたし仲が良かったけれど、高校3年間の片思いのことだけは言わなかった。高校生活も終わりに近づいていた12月10日。友達に「昨日秋田市文化会館にアルフィーが来てたらしいよ」と言われた。その時初めてアルフィーが秋のツアーVictoryで近所に来ていたことを知った私は、知らなかった悲しさとアルフィーが秋田県なんかに来ていた嬉しさとで半泣きになった。

高校を卒業した私は同じ東北地方にある大学に進学した。親元を離れて初めての寮生活をしていた私に夢のような出来事があったのはその年の夏。私がアルフィーに夢中なことを聞きつけた神奈川県に住む親戚のおじさんが、夏イベのチケットがあるから来ないかと連絡をくれたのだ。会社の同僚のファンの女性が急用で行けなくなったからおいでと。そのおじさんは私が幼い頃なまはげに扮して死ぬほど私をビビらせたことでトラウマになっており、いまいち良い印象がなかった。だけどこれで一気に大好きになった。田舎育ちの私はコンサートなんて県内の小さなホールに数回行ったことがあるくらいなのに、最初のライブが野外ライブだなんてなまはげの時よりもビビっていた。

1994年アルフィー20周年記念の夏のイベント「KING'S NIGHT DREAM」その夏の思い出は大学の4年間のどの思い出よりも鮮明だ。前日に泊まったビジネスホテルから見えたみなとみらい21の夜景は秋田竿燈祭より眩しかったし、中華街で食べた肉まんは美味しかったし、当日は隣の会場でアルフィー展が開催されていてギターや衣装が見れて嬉しかった。会場に着いてステージが見えた時の高揚感はすごかったけれど、それよりも座席に椅子がないことに驚いた。え、みんな座らないの?と思った。肝心のライブは前方に大きな木があってあまり見えなかったけれど、その場にいられるだけで幸せだった。20年分の夏イベの看板が飾られたセットを見た時は、何でもっと早くアルフィーに出会わなかったんだろうと悔やんだし、オープニングで吹き出した青い煙に霞む3人の姿を見た時は涙が滲んだし、終盤で「Musician」を歌う坂崎さんの声は会場の乾いた空気感と合わせて強く印象に残っている。木枯らしに抱かれてが聴けなかったのは残念だったけれど、私はこの日をきっかけに一層アルフィーと横浜が大好きになった。翌日、なまはげのおじさんに見送られて羽田を発った私は飛行機の窓から昨日の会場を探したけれど見つからなかった。でも「写ルンです」に残っていた最後の2枚で眼下の東京を撮った。帰って現像したらアルフィー関連の写真は人混みで見切れていたりブレていたりで、中華街で食べた麻婆豆腐の写真が1番綺麗に撮れていた。

大学を出て北海道の製菓会社に就職した私は年齢を重ねてもずっとアルフィーが好きだった。年に1回くらいは北海道か東北地方のツアーに参加したし、夏イベは思い出の横浜であった1999年と2004年に参加した。ツアーグッズのチョコや饅頭や煎餅を会社の同僚のお土産に買って帰って「うちの会社のより美味しいじゃん。でもなんでロックバンドがお菓子売ってんの?」と言われて苦笑したりした。だけど、出世もなく毎日退屈で安月給な会社に就職した私は次第にどんよりとした時間を過ごすようになった。就職氷河期真っ只中で正社員になれただけでも良かったという気持ちと、社会ってこんなもんだよねという情けない気持ちが混ざり合った時間が過ぎて行った。その間に2人の恋人と付き合ったけれどうまくはいかなかった。特に結婚願望はなかったけれど次第に1人が恐くなってきた。そうしていつの間にか子供を産める年齢を過ぎて50歳前のおばさんになってしまった。大学卒業からの20年間は初恋をしていた高校の3年間よりも短かった気がする。最早「結婚しないの?」とも聞かれなくなった私は次第に実家や親戚とも距離を置くようになっていた。そんな生活の中でも、アルフィーの存在はいつも私に少しの穏やかさをもたらしてくれた。そもそも高校生の時に好きになったグループが自分が50歳になってもやっているなんて。最近はそれだけで奇跡な気がしている。

去年のお正月、数年ぶりに実家に帰った。母親の言葉は「そろそろ結婚して欲しい」から「体は大丈夫?」に変わっていた。私は大学進学で家を出た時からほとんどそのままの状態の自分の部屋にふらっと入った。冷凍庫のように冷たいスヌーピーの勉強机の引き出しを開くと「CONFIDENCE」と汚い字で書かれたカセットテープを4本見つけた。その瞬間、私は初めて木枯らしに抱かれてを聴いた時と同じようにぶるっとなって、一瞬で高校の卒業式の日にタイムスリップしていた。式が終わった教室の片隅で、3年間私の切ない片思いに気付かなかった彼に「CONFIDENCE」をダビングしたテープを渡したのだ。これまでの人生で1番勇気を出した瞬間だったと思う。だけど「3年間ありがとう。良かったら聴いてみて」とだけしか言えなかった。

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