君の言葉を知りたくて


あなたが話す言葉を知りたくて、あなたの口から直接こぼれる言葉を理解したくて韓国語を勉強しだした。ここまで生活に食い込んでくるのは初めてだった。

ヲタ活自体は昔からしていた。アニメが好きで、立派に二次元を愛するオタクだった私は、ずっとKPOPというものを見ないようにしてきた。東方神起やSHINeeは知っていた。名前だけならば。理由は単純だった。名前がわからない。話している言葉がわからない、髪の色がコロコロ変わって誰が誰かわからない。自国じゃない。沢山あった言い訳で、私は深入りすることはしなかった。お金稼ぎに来てるんでしょ、なんていうイメージすらあった。二次元はずっと綺麗なままだし、ずっと変わらない。ある日突然アプリゲームの中の彼の作画が恐ろしく崩れることはないし、私がどんな生活をしてようと彼らの生活はアプリの中。私たちユーザーが悲しむようなスキャンダルもなければ、ある種、完璧な存在だった。(ある日突然死ぬとか、アニメによって作画が崩壊することはある。あとは漫画は急に方向転換してくることもあるけど)
私たちが想像の世界で彼らと暮らす分には自由だ。触れないし、答えは返ってこないけど。少し窮屈な人生を生きている私としては逃げ場として心の依存先として完璧だった。それに費やしたお金も心もなによりもある。
ケーポップアイドルを推し出したからといって卒業したわけではないことは書いておく。

ふとしたとき、アプリゲームで知り合った相互さんから教えてもらったのがバンタンだった。だめですよ、ハマったら怖いじゃないですか、なんてのらりくらり交わしていたけれど、その人が何が好きなのか気になって、Google先生に聞いたのが始まりだった。オタクというものに幼い頃から身を浸している私はそこからが早かった。そう。オタクというのは落ちていくのが早い。オタクがオタクになる瞬間、オタク初心者よりも遥かに速くなる。

何かに依存をし、愛することに慣れている

そんな慣れていた私が驚くほど転がった。

初めに勧められたのはDOPEだった。ユンギさん、髪の毛も肌もほぼ白で驚いた記憶と、ジンさんのテテちゃんとの入れ替わりの時にぱっと目を開いてから笑う顔とか、なんか色んなものが詰まってた。踊りとか、ラップとか。制服コスとか、なんか言葉にすることが難しかったと思う。これがバンタン。そのあとが血汗涙。なんか落とし込まれたんだとおもうここで。DOPEと全然違う歌。同じ人たちが歌ってて、踊ってて。世界観も想像していたものと違かった。花様年華というものを教えてもらって、ずっと調べていた。いろいろな方の考察を読んで、自分でも何度も照らし合わせて。頭の何処かに置いていた古い神話の知識を引っ張り出してきて、グーグル先生を明け方まで寝かせないなんて非道なことをして。

そこからは早かった。声の聞き分けも、誰がいつ、どんな時期に髪色を変えていたのかも。カムバの時期も、一位をいつとったのかも、何回とったとか。タルバンも観れる限り全て見て。何度も曲を聴いて、何度も歌詞を調べて。日本語字幕をつけてくれる方にいつもいつも心の中でお礼をして。色んなことを見て、調べて、見事に見事にユンギペンに。

彼らが歩んでいた時、私も一緒に見ていたかったな、と心から思う。今知っても、全ては過去の彼ら。数年前に(多分DOPEの時)音楽業界にいた知り合いが防弾少年団と名前を挙げていたことを思い出した。そのとき、私は絶賛刀を顕現していたし(まだしてますが)新しい仕事に埋もれていた時期だったと思う。その時知っていたら、なんてたらねばを口にしたくなる。

仕事、介護、身内の職場の補助、家族に鬱病と対人恐怖症のある人がいる。(コミュニケーションにも問題がある)家族の中には働けない人がいる。休むことなく働いているし、家にいる時間なんて寝るだけ。日付が変わった頃に家に帰ってきて、朝日が登る前に家から出る。私の置かれている立場から、自分を愛することはやめていたというより、その仕方もわからなければ、そんなことを考えたことはなかった。働かなければ、家族や親戚の介護や手伝いをしなければいけなかった。余裕なんてなくて。たまに苦しくなって、失敗した時に、全部投げ出したくなる。息抜きでアプリゲーム。このまま年取るのかな、とか、このままずっと苦しいのかな、とか思ってた。

2!3!を初めて聞いた時、泣いてしまった。ボロボロだったと思う。いいことあるなんて、言えない明日だけれど、それでもいいことあるって、思えたのは彼らのおかげだった。love myselfシリーズは本当に一つ一つ繰り返して聞いて、意味を理解したくて。

ずっと誰かのために生きてきた。それが自分のためになってた私は、他とずっと比べて生きていて。劣等感とか、沢山あって。家族は好きだし、支えてあげたいけどお金の面や環境面以外何もしてあげられなくて。心の病気を治すお手伝いもできなければ、本当に自分の存在を問うことが多かった。お金があるでしょ、と言われれば言われるほど、自分自身の価値を問うようにもなった。

そこで出会った防弾少年団という存在に助けられた。それしかない、何も出来ないと思っていた私は彼らの歌や生き方、あり方を見て、「これもできる」「あれもできる」と少し考え方を変えてみようとおもった。自分を褒めてみようって思った。愛してます、と向けられる言葉は言語が違えど意味は同じ。彼らがそう言ってくれるたびに、私自身、生きていく意味をもらっている。本当に。ライブでのナムジュンの言葉も、国連のスピーチも、ただただ泣くしかなかった。アイドルに自分自身の愛し方を教わる日があるなんて思わなかった。彼らも同じように愛することを学んでるなんて知ることは彼らに会わなければ知ることはなかったと思う。芸能人、アイドルは別世界の人の感覚があったから。同じ人間で、同じ時を生きる彼らは、本当に素晴らしい人だと思う。そんな彼らはarmyがすごいという。美しいと綺麗だという。彼らを好きな私が彼らが好きだというarmy、私自身を愛さないなんて、そんなことはできないなって思った。好きな人の好きなものまで好きになりたいし、愛したいって思うから、私は自分自身に向き合って、自分を認めることから始めた。

ほんとうにありがとう、と何度も言いたい。何度も何度も口にしたい。ありがとう、と。

彼らが苦しくても直接は何も言えないけれど、そっと想うことはできる。こんなにもらってばかりでいいんだろうかってすごく思うから、返せる愛は返したい。そして、彼らが走り続ける限り、想っていたい。

ずっと前からnoteでまとめたかったけど、まとめられなくて、ようやく。書いてて、初めてbtsと出会った時を思い出して泣きそうになるし、泣いてしまう。やっとまとめられた。

dynamiteでさらに飛躍した彼ら。でも、ぜひ色々知って欲しい。彼らの素晴らしさを。そこまでたどり着くまでの姿を。

家族のことや、推しのことはまた残していきたい。


#bts  


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