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気付けば1年以上も空いてしまったnoteを

そうこうしているうちに、noteを更新せず1年以上が過ぎていました。

最後の記事は、祖母との別れについて。祖母の存在は今だに強烈で、街で似たような面影に出会うと涙があふれてくる。今年の7月23日までは塗り続けると決めていた、お葬式の日の赤茶のマニキュアも、追いつかなくなるほど毎日駆け抜けてきた。

何かを言いたくて、何も言えなくて、日々の感情をどこにも記録することなく、毎日が過ぎていく。せめて息子の記憶だけは消えていかないように、慌ててカメラを起動して、息子のか弱いむちむちの手足をギャラリーに残す日々。

それでも、今日や明日の私が、遥か遠い子どもたちの未来のためにできることを見つけたくて、身の丈に合わないほど遠くを見つめて生きている気がする。キラキラするようなわたしなんかいないし、情けないほど度胸もない。いつも小さなことを心配して、憂鬱になるし、些細なことが誰かのために譲れなくて、無用な衝突をしては引きずってる。

もっと優しく生きたい。わたしはみんなが大切なんだよ。家族だけじゃない、友達だけじゃない、私は自分の人生にチームを求めている。チームに壁はない。本当に、関わるひとたち全員、天才だと思ってる。みんな、すごいんだよ、わたしなんか欠陥だらけで、何も持っていないなぁっていつも面食らっている。だからせめて、いつまでもしぶとく諦めず、重ねて、重ねて、みんなをヒーローにする存在でありたいし、そんな社会を見たい。心の隅々まで分かり合いたいのではなく、あなたらしい・わたしたちらしい幸せと充実を、知ってほしい。

まだまだ無駄の多い、雑な生活だけど、わたしはわたしにできることを、精一杯頑張ろうと思います。noteもね。こつこつ書きたいな。

19.9.16 

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