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断捨離

堂々と言えないことなので、どこか後ろめたさがあるけど、あなたがこの先、許されて生きていくことについて、とても不快に思っています。

装ってしまうのは仕方の無いことだし、多くの場合、本人よりも周囲が装わせてしまっていたり、装っていて欲しいと外圧をかけたりするのかもしれない。だけど、もし信念や志を盾に、自分にベットさせようとしたなら、幾重にも重ね着をして、高らかに鳴らして、すましている場合ではない。

これは、覚悟して迫ってみたときにしかわからない。
不条理は、お金を積んでも買えない。
だからといって、うまく消化できたわけでもないし、感情のパワーはかなり浪費した。積極的に心から抜いていったけど、なにかが重なっていたら普通に潰されるな、と思った。

簡単に買える箔になりそうなものをかき集めて、群がって。その瞬間の光悦だけを交換して、それすら次の箔にする。幾重にも、偽物を。偽物こそ本物だと、信じて疑わない。

そういう人たちに対して、ただ何もしないだけの人よりもずっと、許せない自分を知った。きっと記憶を忘れているだけで、初めてではなかったんだと思う。わたしの中に何かあったから、花粉症のように。

人から理解されたい気持ちが人一倍強いことを自覚した小さい時から、私自身がまず、その人を理解しようとしてきた。もし周りの人たちにそうしてあげられたら、理解されたかった幼い私のことを、ずっと抱きしめられると思っていた。皆を締め出して、家で一人の私が、今でもそうさせてしまう。

おかげで、色々な気持ちが見え透いてしまう。理解されたいその人が、心から願っていることが何なのか。褒美の確率が高い場所を選り好むときの空気も、本当はただ聞かせて上下をつくりたいだけの控えめな魂胆も。正直、知りたくもないし、嫌だけど、くっきりと感じてしまう。そしてこれは、わたしが絶対に人よりも優れていたいと思っていることでもあるから、誰がなんと言おうと使い続けるのだろう。

今回も、分かった。偽物だなぁって。でもいつもみたいに断捨離して遠ざけることができない状況だった。だから直感的に、これはやばいっていつも感じていた。わたしが選んだのは、わたしの目から見える情報を、包み隠さず全部思いっきり伝えることだった。丁寧に、わたしの発散ではなく、絶対に相手のためになるように。

でも「そんなこと」を言ってくる人は、これまで居なかったんだと思う。確かに、ばれることは少ないよね。それなのにばれた。そして、これ以上ばらされたくないと思ったんだろう。ばれないようにTakeして、共感してくれた人を過剰に引き込んで、そのまま心地よく群れてきたんだもんね。そんな拠り所の作り方しか知らない人が、生き方を見失うのは当然だ。ぐぅの根も出ないほど本心を暴いて、正面から努力することしか許さないから。天地が脅かされるほどの衝撃だったと思う。「こんなこと」は「したくない」と思って選んできただろうから。

総じて仕方の無いことだったけど、わたしはそういう人の成功をどうしても応援できないから、今度こそ断捨離できて、申し訳ないくらいほっとしてしまう。しばらく消化できないかなぁと思っていたけど、言葉にしたらもう大丈夫。


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