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29年目の芽

わたしは生粋の子供好きとは言えない。むしろ少し苦手。子供大好きな人に心底憧れて「すごいなあ」という気持ちになる。そして数秒後に、純粋にそう思えない私は、なんかねじ足りないんだと、その度コンプレックスを自覚する。

新しい命の尊さは、言葉や文字では理解してる。本当に奇跡だと思うし、ひとの身体ってほんとーーにすごいと思う。でも「新しい命の尊さ」に対して反射的にきらきらした気持ちを感じたことはない。お腹に赤ちゃんが来てくれたと分かったとき本当に嬉しかったけど、気持ちの核みたいなところはいまいち掴まれなかったような気がする。ほんとだったらそんなことをぼんやり考える前に、感情が先に動いて涙のひとつもこぼれるところなんだろうけど、「うわーまじかー」とほころびながら、頭はすぐ現実を向いていた。

そんないまいち鈍いわたしが、未だに戸惑う気持ちがある。それはかかりつけの産婦人科でエコーをしてもらっているときの気持ち。

まだ胎動を感じなくて、赤ちゃんの様子を知る手がかりがひとつもなかった頃、エコーで映し出された赤ちゃんが、「はろー!げしげし(蹴)」と元気に手足を動かしているのをモニターごしに見ているとき、胸の内側から、知りもしない気持ちが湧いてくる。あれ、本当不思議なんだよな。この気持ちはどこからやってくるんだろう。

教えてくれたのは、紛れもなくこの子なんだろう。お腹の中のこの子が、29年間知りもしなかった気持ちを教えてくれた。すごいなぁ、母ちゃんはびっくりしてるよ。

この戸惑いを「母性」と呼んでくれた友達がいた。数年前のわたしには最もかけ離れたことば。凄く嬉しかったし、情けないけど少し安心した、宝物のようなことば。赤ちゃんと一緒に、わたしはこっそり、ようやく頭を出したこの芽を大事に育てたいのです。

#18週

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