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空溶ける

コバルトブルーの温泉が有名な束ノ間という温泉に行ってきた。
ここに行くのが最大の目的だった。
そのために魅力的に思えた人力車のお誘いも断った。
携帯の充電が残り少なかったけど、迷って辿り着かなかったら意味がない。
人力車のお兄さんが言ってたけど、ちょっと山の方にあるみたいだから、ナビを繋げずに向かうのは、私の命を守るためにもやめた方がいい。
赤色の悲鳴をあげているiPhoneにもう少しだけ頑張ってもらい、目的地へと向かった。
実際に行ってみると道はほぼ一本道で、それは分かりやすかったのだけど、思った以上に山を登っていかなければならなくて、徒歩しか移動手段のない私はむしろそっちの方がキツかった。
束の間ってほんの少しって意味だけど、これじゃ大いなる休憩が必要なんですけど。
ヒィヒィいいながら山を乗り越えた、その先の温泉への期待値が高まる。
山を登り、ようやく辿り着いて、ちょっと迷って、やっとのことで受付に向かう。
誰もいない。
あるのは券売機だけ。
それを管理する人はいない。
随分と不用心なこと。
宿主は性善説論者?
私は入浴料の800円如きで罪悪感を背負いたくないので、きちんと券売機にお金を入れて出てきた券を横の白いトレイの中に入れた。
早速中に入ると、足元に空が広がっていた。
私はその空が、珍しいコバルトブルー色の温泉だとすぐに気づいたのだけれど、そんな目の前の光景に胸と眼球が踊る。
温泉に足を踏み入れると、反射で足を引っ込めそうなくらい熱く感じだけれど、そのうち慣れて心地のいい温度になった。
露天風呂で先に2、3組の先客がいたから、私は大きな岩の奥に隠れるように収まった。
私だけのプライベート空間。
そして気づいたら誰もいなくなって、私だけになった。
私以外の人が全員上がって、予期せず貸切状態となっていた。
だとすれば隅の方で小さくなっている必要もなく、温泉の中央に移動する。
この日は雲一つない快晴で、その青空が溶け込んだのように青い水面。
時々目の前の木々がそよそよと仰いでくれて気持ちがよかった。
でも、そのおかげでちょっと冷えた上半身をまた温泉が温めてくれる。
一向に誰かが入ってくる気配はない。
今ここに私しかいない解放感に、時が止まり、世界から私以外の誰もが消えてしまった。
そんな錯覚さえ覚える。
それも最初のうちは優越感に浸っていたのだけれど、だんだん寂しくなって、少しでも物音がすれば誰かきたのかと視線を向け、向かってくる湯気が人の形にみえて話し声がするのを期待する。
そろそろ上ろう。
時は15分止まっていた。
服を着ていると次のお客さんが入ってきて、目の前の温泉に感嘆の声をあげていた。
そういえばこの温泉の効能はうつ病の改善が期待されているらしい。
やはり、冷めた心を芯から温めてくれるのは温泉だけだ。

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