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他殺願望

誰しも死にたいと考えたことが
1度はあるのではないか

認めて貰えなくて死にたい
いじめられて死にたい
生きてても辛いことしかないから死にたい
死にたいと思う瞬間、理由は人それぞれ
なんなら些細なことで死にたい
死にたいとは本当は思ってないけど死にたい
そう言う人もいるのではないだろうか

では「どのように死にたいか。」
これについて考えた人は少ないのでは無いだろうか

死ぬ手段はあげていけば枚挙に暇がないが
大きくわけてふたつあると思う
自殺か他殺か

自殺。いくつか例をあげるならば絞首やODなど
他殺。ピンと来ない人も多いだろう。
「他殺は外的要因だから今回の話と関係がないのでは」
そう考えた人も少なくないだろう
だが関係がない訳では無い。ひとつ、嘱託殺人が例として挙げられる

「死にたい」と考える人の大半は自殺願望を持っていて、実際に自殺をする。今の社会問題にもなりつつある。故に「死にたい=自殺願望がある」そう結び付けてしまうのだ

しかし、世の中には「他殺願望」を持つ人も居るのだ。
「死にたい。けれど自分で死ぬのは怖い。」
「死にたいけど自殺だと思われたくない。」
他殺願望を抱える多くの人はこのふたつの理由だろう。
稀に「𓏸𓏸さんに殺されるなら本望」という人もいるだろうが、それは「他殺願望」と言うよりは「特定の人物に殺されたい願望」と表した方が正しい気がするので今回は例外とする。

ではなぜ「他殺願望」を抱えるのか。
なぜ死にたいのに「自分で死ぬ勇気」がないのか
わたしはまだ「希望」が何かしら残っているからなのではと考える。
「誰か殺してくれ」
よく耳にする言葉の代表例だ。
「殺してくれ」という言葉に2つの意味が隠れている。
ひとつは「誰か励まして生きる勇気をくれ。」
ふたつめはそのままの意味「殺してくれ」

ふたつめの意味は一見希望がないように見えるが
「殺してくれ」と依頼できるということは「殺してくれる人」がいると思ったからなのでは無いだろうか。
誰かが殺してくれる。もしくは止めてくれる。
そういった希望が残っているからなのでは無いだろうか。

自殺願望を持つ人は誰にも頼ることができず、
孤独を抱え1人で死んでいく。
それに対して、他殺願望を持つ人はまだ誰かに助けてもらえる。救ってもらえる。そういった希望が残っている。

他殺願望がある人は1度死ぬのを考え直して見てほしい。本当に死んでいいのか。他の人に殺させていいのか。

自殺願望がある人は周りを見直して見てほしい。
本当に自分に味方はいないのか。周りは本当に敵なのか。自分の意見を聞いてくれないのか。

輪廻転生といった考えかたもあるが、今あなたとして生きれるのは1度だけ。
せっかく1度の人生なら辛くても生き続けてみるのも悪くないのではないだろうか。

*このnoteは自殺を助長・推奨するものではありません

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