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「すずしい木陰」

「すずしい木陰」という映画を観た。コロナ前に公開されたけれど映画館が閉まり、コロナ中にSNSで話題になっているのをうっすら観ていて気になっていた。映画館が再開したので再開後1本目をこの映画にしてみた。とんでもないものを観てしまった。

まず何より、映画の内容の前に、暗闇の中で大きな画面に映像が映り、スクリーンから音が出てきただけで「すごい」と思って感動した。映画すごい。そんな原初的な気持ちで映画を観たことなんてあっただろうか。スマホではない、テレビではない、これは映画だと思った。これについてはコロナに感謝してもいいかもしれない。

話は戻って。この映画のとんでもなさを例えるのは難しい。説明すればするほどこの映画の魅力がどこかこぼれ落ちしまいそうだからだ。そのくらい「この映画は面白くない」「つまらない」もっと言えば「金を返せ」ということはあまりにも簡単だし、と同時に「面白かった」「最高だった」「特別な体験だった」ということも簡単が気がする。少なくとも実際に観に行った観客にとっって唯一無二の体験になることはほぼ間違いないだろうとは思う。

映画がこの世の中に生まれた瞬間に立ち会ったような。

昼寝とは。森とは。時間とは。蚊取り線香とは。鼻歌とは。

演出とは、脚本とは、撮影とは、照明とは、音響とは。フレームインアウトとは。編集とは。サウンドトラックとは。

映画館で映画が観客と同じ時間を共にすることとは。宣伝とは。コンセプトとは。いろんなことを考える。時間もある。ふとうとうとして起きてもまだそこに柳英里紗がいる。彼女も寝ている。

小さな画面で、早送りができる状況で、忙しい時間の合間に、この映画を同じように体験することは難しい。映画が、映画館が持っているある種の強制力、暴力性と、体験の力というのが強烈に前に出てくる。

特別な映画だった。好きだった。

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