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「F式蘭丸」とか大島弓子とか

コロナで家にいる時間が増えたので、自宅の本棚にある本からまだ読めていなかった読みたいものを見繕っている。手に取ったのは大島弓子「F式蘭丸」。Fはフロイトなのでフロイト式蘭丸と読む。1975年別冊マーガレット8〜9月号に掲載。70頁くらいの作品。

…なんだけれど、読むのにめちゃくちゃ時間がかかった。いや、むしろ読み終わったのにまだ読み終わった感じがしない。なんていう密度だ。思い出した。大島弓子は「全く読み進められない密度」なのだった。持っているのに読めていない大島弓子作品がたくさんある。死ぬまでに読み終えられるだろうか。

主人公はよき子(なんていい名前だ!)。ある時、未亡人だった母から再婚したい相手がいるということを聞かされたよき子はそのことが受け止められない。学校では同級生たちが「接吻学」に盛り上がり、学校一の人気者である更衣くんからは二人きりで話したいと言われて戸惑うよき子。思わず「私には蘭丸という恋人がいる!」と啖呵を切るとそこに蘭丸が現れて…。という話。

少女が女性になるだけでなく、子供が大人になる時に通過する儀式。もしそんなものがあるとして、その時に自分は何を落としてきたのか、落とさないようにしてきたのか。まずそんなことを思った。落とさないつもりがポロポロとこぼしたかもしれないし、こぼしてしまったからと思って拾い上げたものが全くの別物だったかもしれない。子供の時に親に嘘をついたとき。初めて買い食いをしたとき。隠れて女の子と二人で会ったとき。何度も何度もあった小さな儀式のことなんてすっかり忘れていたはずなのに、なぜかありありと思い出された。

タイトルから類推することもできる物語の展開が、わかっていても新鮮なのはなぜだろう。夢や現実が、理想と現実が、対等に渡り合っては響き合う世界。ああ、これもまたすごく大島弓子的だということなのかしら。

このコミックスには続けて「すべて緑になる日まで」「季節風に乗って」「なごりの夏の」の3編を収録。何度か「F式蘭丸」を読み返した後、「すべて緑になる日まで」を読み進めはじめたんだけど、アヴァンタイトルまでで既にすごい。この1冊読むのにどんだけ時間が必要なんだ。本当に、死ぬまでに大島弓子作品を読破できる自信がない。コロナだから少しは読めそうで、それだけはちょっといい。

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