見出し画像

待つという試練(その2)

今日は、待つという試練その2、としてお話をしたいと思います。
私はあることがきっかけで、「人は問題を先延ばしにせず、行動するべきだ」という考え、つまり「せっかちな人」となっていました。
それは私にとって助けになっていたので、その当時はそうあるべきだ、それが正しいと思っていました。
そのきっかけは、突然の父の死です。

父は、ビールが好きでタバコを吸う、ちょっと太った体型のいわゆる普通のお父さんでした。
しかし、40歳で病気になり入院して胃を全て取りました。
入院している間私は小学校6年生でしたが、田舎からおばあちゃんが来てくれて、べったり甘えさせてくれました。
何の心配もなく、むしろ楽しかったという印象です。

父は手術を終え、やせ細って帰ってきましたが、元気な様子で「これから小さくなった赤ちゃんの胃を少しずつ大きくしていくんだ。」と張り切っていました。
それからというもの、タバコはやめ朝はマラソン、休日は釣り、家では竹細工作りと多趣味になり、健康的な体型になっていました。
太っていた頃のことを忘れかけていた5年後、がんが再発して再入院、別の病院で手術をしました。がん専門の遠い病院です。

今度は母の妹、叔母が手伝いに来てくれました。
私は高校2年生。
前回の入院手術の経験で、父は退院して元気になるとしか思っていませんでした。
そう、私は全く自覚していなかったんです。まさか父が死ぬなんて。
心の準備をしないまま取り返しのつかないことをした時って涙も出ないものです。
しかしその時、心に深く焼き付いた思いがあります。

「人生は短い、いつ何が起こるかわからない」と。
思い起こせば父は最初の手術の後、沢山の趣味に没頭していました。
もしかしたら無意識に、やり残していたことをやり切ろうという衝動に駆られていたのではないでしょうか。
そんな気持ちが私にも乗り移ったかのように、私もその後、後悔しない人生をと歩み始めました。

陶芸を選択することから始まり、興味があるものはすぐにやってみる。習い事や一人旅にハマったのもそれです。
おかげで周りの人からも「すごいね、いつもいろんなことに挑戦しているね。」と言われる人になりました。
つまり私にとってせっかちは良い信念だったんです。
しかしそれが徐々にうまくいかなくなり、足を引っ張るようになったんです。

この続きは次回お話しします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(音声配信アプリstand.fm「朗読&トーク たまdiary」)https://stand.fm/channels/5f85c72237dc4cc7e19bf21b

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?