ボカロの話。もしくは、推しに幸せになってほしくない話。

 ボカロについての話。
 ボカロが好き。中二の頃にカゲプロが終了した頃に聴き始めて、受験期を支えてもらい、今に至るまでずっと好き。七年経つらしいけど、曲の好みはあまり変わってない。暗くて世間を蔑んだ瞳で見るような歌詞のものが好きだった。
 色々はまったボカロ曲があったし、追いかけていたボカロPさんもいた。あまり名前の知られていないPが曲でヒットを出して有名になるのも、Pが自分で歌うようになりメジャーデビューするのも見てきた。
 そういう風にPが世間に名を知られていくうちに、なんか最近のその人の曲は合わないなと思ったり、ニコニコ動画見ない人がその人の別名義の曲のファンだったりするのを見てなんとも言えない気持ちになって追いかけるのをやめることもあった。世間が熱くなってるものに冷めた視線を送りたい逆張り精神のせいなのは多分間違いない。
 でも他にも理由があると思っていて、それが創作者が幸せになると、上記の暗い曲が少し変わってしまうということ。歌詞の結末が諦めから希望に変わったり、ヒットしたキャッチーな曲の二番煎じになったり、明るい曲調になったり。
 明るい曲は、あまり好きではない。私がボカロを好きなのは尖った感情をそのままぶつけたような作風が多いからなので、明るくて元気が出る曲は守備範囲じゃないのだ。
好きじゃないなら聴かなければいいので聴かなくなる。そして思う。あの人が世間に見つからなければよかったのになと。
 自己中心的な考えなのは分かっている。もしかしたらその人が有名にならなければどこかでボカロをやめるかもしれないし、新曲すら聴けなくなるかもしれない。それに、人として報われてほしいし、幸せなほうがいい。でも駄目だ。私は暗い曲が好きなのだ。
 先日、私が好きなとあるボカロPが曲風についてTwitterで意見を求めていた。そのPは自分が置かれた先の見えない未来や無個性さ(実際はとても尖っていて最高な個性だと思う)を憂うような曲をよく書いていて、私は最近強く推していた。が、集まっている他の創作者からの意見を見て驚いた。歌詞が暗いとか、もっとキャッチーさを取り入れたほうがいいかも、とかそういう感じ。要約すると、その暗さについて個性は認めてるけど万人受け狙うなら明るいほうがいいかもね、ということだった。明るい曲の方が世間受けするらしい。ボカロPはそれらに対して意見を参考にすると返信していた。
 私はその人の暗い歌詞が好きだから変わらないでほしかった。でも、私一人が推していたところで視聴回数は同時にひとつしか増えない。それならキャッチーな曲を作って世間に認められる方が本人は嬉しいだろうし幸せになれるだろう。ボカロPは私のために曲を作っているわけじゃないから。Twitterで「あなたの暗い歌詞が好き」だと言おうか迷いに迷って、結局リプを送ってしまった。無理して明るい曲を書いてほしくないという思いが勝ってしまった。返信が来た。嬉しかった。
 そのボカロPが今後どんな曲を書くかは分からない。今の道を貫くかもしれないし、曲風を変えるかもしれない。Twitterを見ている限りだと、報われない現状を嘆いているようだから報われてほしいとは思う。でも、あの人まで幸せになってしまったら私はあの人の曲を好きでい続けられるだろうか?
 曲風が変わっても推せるだなんて断言できない。歌詞以外にも好きなところはあるけど、歌詞が変わったらどうなるのか分からない。
 好きだと言ってるくせにどこまでもわがままなのは自覚している。好きな相手に幸せになってほしくないというのは明らかに好きな相手に対する態度じゃない。
 結局自分はボカロPのことを一人の人間としてではなく曲を作る機構としてしか見てないのかもしれない。人として見ていたら、好きなところが無くなったところで、好きでい続けられるはずだから(恋愛ものでよくあるやつ)。自分の好みから外れて飽きたらポイする感覚でしか推してないのかもしれない。でもそれ以外の見方が分からないのだ。人間として認識するには情報が少なすぎるから。あくまで曲ありきでしか見れない。失礼な話だ。
 ともかく、私は推しを失いたくない。私は自分の好きなものを好きでい続けるために、推しに幸せになってほしくない。

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