褒めることとは価値づけることである

褒めることとは価値づけることである

自分の知見をアウトプットする場としてブログを開設してみた。大学院時代、白田直哉さんのブログに憧れて、解説してみたもののそれから三年登校は一回もしていなかった。笑 とりあえず始めてみようということで記事?というより、自分がおととい友達教員と、スノボに行く途中の車内で語り合った話の中で自分の中にすとんと落ちた価値観について忘れないうちに書いておこうと思う。

その内容というのが、「ほめるというのは、価値づけるということである。」ということである。

小学校では褒める場面、叱る場面によく出くわす。それは、自分のクラスでもそうだし、力のある超ベテランのクラスでも同様にである。

その内容を切り取ってみると、それが本当に子どものためになっているのか、子どもたちに響いているのか、子どもの変容、成長につながっているのか、疑問に思うことが多い。「この指導でいいのだろうか。」という思いが多くの教員の頭に浮かんでいるのではないだろうか。

だが、ほめるという行為を、価値づけるとすることで、その悩みも解消するのではないかと思う。

さらにその褒めるという行為をどのように繰り返せば子供が望ましい姿に進んでいけるのかということもここに記したいと思う。

例えば、学校現場で、耳に胼胝ができるくらいによく話を聞くことが、「あいさつをしよう。」ということである。「あいさつしなさい。」とか、「あいさつは大きな声でしよう。」とか。あいさつ、あいさつ、子どもたちもうんざりである。特に、あいさつができている子からしても、また、あいさつかよ、といった感じで、あいさつ指導はされたくないという思いを持つ子供は少なくない。それでも、先生方はあいさつに異常なほどにうるさい。それは単に指導が間違っている他ならないと思って仕方ない。

では、具体的にどのようにあいさつ指導をすればよいのか、引いていえば、子どもを望ましい姿に導いていくために、どのようにすればよいかであるが、

例えば、クラスに他のクラスの教員が、何かの用事で入ってきたとしよう。その時に、はじめは基本的には、昨年度しっかりと指導されていない場合、誰もあいさつしないものだ。その先生が教室から出た後に、子どもたちにこのように聞く、「今挨拶できた人?」子どもたちは、誰も手を挙げない。このとき先生は、「こういう時にあいさつできる人っていいよね。なんでいいと思う?」と聞いてみる。すると子供たちは「あいさつは大事だから。」とか、「あいさつはしなければいけないから」とか、適当なことを言う。そこで先生は、「挨拶は人と人とをつなぐコミュニケーションだからだよ。さっき先生が誰からもあいさつされないのと、みんなから気持ちよくあいさつされるのでは、どっちがうれしい気持ちになると思う?」と聞く。すると「気持ちの良いあいさつ。」というだろう。(ちなみに、今の2択を提示する質問はレトリカルクエスチョンと言って、両極端を提示することで子どもたちを納得させる技法のひとつだ。)「次は、気持ちの良いあいさつができるといいね。」と話す。ここで、やってはいけないのは、「先生がいらっしゃったのに、あいさつしないのはなんで?」とか「先生が入ってきたらあいさつしましょう。」とか、意味のない指導は絶対にやってはいけないと思う。が多くの先生は、自分のクラスの印象を良くしたいがためにこれを繰り返し、繰り返し、負の連鎖に陥っている。

そして、次他のクラスの先生が教室に入ってきたら、よしチャンスだと言わんばかりに、子どもたちの声に耳を傾ける。すると、前回は誰もあいさつをしなかったのに、今回はあいさつをする子が少なからず一人は出てくる。他のクラスの先生が、教室から出て行ったあと、すかさずこういう、「今挨拶できた人?」すると、手がパラパラとあがる、そこで、「前回手が挙がらなかったのに、今回手が挙がった人がいるね。あいさつが自分からできるようになったことだね。すてきだね。」と褒める。さらに、「挨拶を気持ちよくできた人?」と聞くと、さっきより人数は減るが、何人かの子どもが手を挙げる。そこで、「今手が挙がっている人と、さっき手が挙がっている人の違いって何だと思う?」と聞く。少し考えさせた後、「それはね、自分から進んで行動できる人と、人から言われて行動できる人の違いだよ。どちらも素敵な人だとは思うんだけど、とっても、大きな違いです。」「次は、もっとたくさんの人が自分から気持ちの良いあいさつができるといいね。」と話す。これを繰り返していると、子どもたちは、自然とあいさつが自分からしたくなってくる。ここでポイントとなってくることは、子どもたちに今できているかを聞くことで、自分自身振り返りをさせているということである。つまりPDCAサイクルでいう、Checkの部分。ここに教師の褒めるという作業で、望ましい行動を価値づけることで、子どもの中で心理を改められ(Action)、「次は、自分から気持ちのよいあいさつをしよう。」という(Plan)が、頭の中で行われる。その思いが強い児童ほど、次先生が入ってきたときに、自分からあいさつすることができる(Do)のである。中には、なかなか、あいさつできない、その気持ちの変容が生まれない児童もいると思われる。しかし、集団の力はすごいもので、クラスのほとんどの児童が気持ちのよいあいさつをしていると、自然とそういうことが得意でない児童も自然と声が出て、気持ちのよいあいさつができるようになってくる。ただ、教師の継続する力が必要だ。怒らずに、子どもたちをより良い方向へ導いていくためには、こうした教師の継続した発問が必要である。

ここでは、あいさつを例に述べたが、基本的にはすべての指導に当てはまる。例えば、算数の授業中、ノートに定規で線を引かせたい場合でも、ノートに線を引くことの価値を説明し、ノートに定規でぱっと線を引ける児童をそのよさを全体に価値付けしながら褒めていくことで、自然に、クラス全員がノートに定規で線をぱっと弾けるようになってくる。ただ、強制することではないので、あくまで個人の自由だ。

教師が、児童の望ましい姿を、スモールステップで、把握しておき、それに達成できているかを、常に児童に振り返させ、できている子を使って、価値付けを行い、集団がよりよくなるように仕向けて行けば、集団の力で、クラスがよりよくなっていく。

学級経営の根本的な褒めの概念としてここに記しておきたい。

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