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さよなら、おまちかね

夏が過ぎた。

今年も。

あっという間に。

・・・

あぁ。

・・・

いくつになっても、夏の終わりは寂しい。
まだ22だけど。

といいつつ、年々薄くなってる「寂しさ」。

どんどん感性より理性が強くなる感じ。

勘弁して欲しい。


7月になるとポップな曲聴いて、なんかわくわくして、ノスタルジーな曲聴きながら8月過ごして、最後に森山直太朗さん聴いて。

夏の終わり。

それでいいし、それがいい。

本来そうだったはず。

そうだったよな。?

・・・

今年は、7月から直太朗さんを聴いてた。
7月から夏の終わり。

今聞いてるのは、12月の雨

ちょっとずつ先を考えながら生きてる。
無意識か意図的か。

もっと、目の前のことに夢中になりたい。

・・・


ありがとうございました。


脈絡のない話とはこのことと。

言いたい話はこれからで、


4月29日 ショコラが亡くなりました。


唐突ですが、可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。

本当にたくさんの人に可愛がってもらいました。

可愛がられているショコラを見るのが大好きでした。

本当にありがとうございました。


ありがとう。

思い出を少し、記録。

2010年1月1日生まれ。

一緒に過ごした12年と2ヶ月。

5月の中旬から書き出したショコラとの記憶。

書いて消して、書いて消して。
気付けば、夏も終わっていた。
ショコラがいない夏は12年ぶりだった。

ショコラが亡くなるとき、そこに僕はいなくて、
家に着いたら、横たわるショコラがいた。

それから、1週間ぐらいずっと泣いてた。
家族もみんな泣いてた。

それはそれで、特別な時間になった。

家族が同じ感情を共有しているっていうのは、凄く安心することなんだと知った。

ショコラは最後まで愛されていた。

その事実に何よりも安心した。

後悔はある。

けど、それよりも、幸せで溢れていた。

ショコラとの散歩道をぼーっと歩いてたら、突然、凝縮された幸せがやってきた。心にドスンッときた。色々語りかけてきた。

「特別なことは日常を温めるためにある」。そう僕は解釈した。

ショコラが亡くなることは、辛くて、どうしようもないこと。
辛いことだけど、「特別なこと」。

「特別」を経て、日常がより愛おしくなった。些細な幸せに満たされるようになった。

「日常が何よりも尊くて大切で美しい」。

「死」は怖い。だけど「死」は強烈なメッセージを隠してる。だから、ちゃんと向き合わなければいけない。

怖くて辛かったけど、ちゃんと向き合った。向き合えたから、辛さを超えた。辛さの先には幸せがあった。

ショコラから色々な事を教えて貰った。
その中でも、最後のは格別だ。

さよなら、おまちかね


ショコラは、最後の最後に体調を崩すまで、ずっと元気だった。散歩も毎日2~3㎞は必ず歩いていた。

ショコラと散歩するときは、だいたい片耳イヤホンで、色々な音楽を聴いた。亡くなる少し前は、DENIMSをよく聴いていた。「さよなら、おまちかね」。

なんか重なっちゃうな。

飽き飽きしたんだ また同じ話
背中を向けて歩く
さよならお待ちかね 新しい私
誰も止めないで
馬鹿みたいな僕には貴方だけ
全て愛を捧ぐ。
大丈夫曇天も全て晴れたから
まだ続いていく ちりぢりになっても行く

特に響く歌詞



最後に、

愛犬は亡くなると「虹の橋」を渡るらしい。

調べたら記事がいっぱいあった。

ショコラが亡くなった次の日、本当に虹がかかっていた。

かかっていた!?

いや、かかってはいなかった。

太陽の周りに虹の円ができていた。

ショコラは虹の橋を渡らず、虹の円を回っていた。

(笑)

愛しいなぁ。


また、散歩いこう。


ありがとう。



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