視界がひらける美術の楽しみ方


初めまして。中津企画室メンバーのYu-と申します。先日、中津企画室で「中津さんの知的好奇心を満たす会」というイベントが開催され、何人かで自分の知っている面白い知識を中津さんに教えるというテーマでそれぞれ動画を作成したのですが、その時に私が作成してYouTubeにupした「視界がひらける美術の楽しみ方」というテーマの動画について今日はこちらに原稿を載せます。動画を見た人もそうでない人も、作品の図版と一緒に改めて美術の世界を楽しんでもらえたら嬉しいです。


はじめに


こんにちはYu-といいます。高校で美術の教師をしています。

今日は、美術をテーマにお話ししたいと思います。今日こういう話をしようと思ったきっかけは少し前に中津さんが、この「13歳からのアート思考」という本を「これめっちゃ面白かったよ」と言って紹介してくれたことです。この本私はもともと知らなくて、アート思考っていう言葉も美術教師なんですけど、あんまり馴染みがなくて。どんな内容なのかな?と思って読み始めてみたんです。
読んだ感想は、私は美術のことが面白くて大好きなんですけど、その面白くて大好きな理由がこの本には詰まっている!という感じでした。この本を美術を今まであんまり知らなかったという中津さんが面白い!って感じたってことにすごく嬉しくなって。そうなんよ、わかる??美術って面白いんよーー!って感じでした。


このタイトルにもあるアート思考という言葉、どういうものかということを簡単に言うと、アーティストが作品を制作したり発表する上で自分なりの答えを導きだす、その過程にある考え方、思考という感じです。私が感じている美術の面白さって絵を上手に描くことや綺麗な作品を作ることだけじゃなくって、それよりも、今までになかった視点を見つけることとか、発見や気づきを与えてくれることなんですけど、この本はまさにそういう話でした。

 ほんの小さなきっかけで、見え方、感じ方がガラリと変わる。今まで石ころみたいに気にもとめなかった存在だったものが、突然輝きを帯びてみえてくる。美術に触れていて、私はそういう体験を何度もしてきました。中津さんも、この本を読んで新しい気付きがたくさんあった。見える世界が変わった!と言っていましたよね。まさにそういう体験こそ、美術の醍醐味だなって思います。

美術の教師をしていると、子どもからも大人からも「絵描くの苦手やから美術ってあんまり好きじゃないんです、、」という声を聞くことがあるのですが、本を読んで、中津さんとこのことについて語り合って確信したのは、別に絵を描いたりすることが得意だったり好きじゃなくても、美術は楽しめる!ということです。

今日は中津さんに自分の知っていることを話すという企画なので、中津さんとはこの本については結構もう話をしましたが、その続きというか、補足も交えながら私の思う美術の楽しさについて、より深くお話ししていけたらなと思います。中津さんはじめ、この話を聞いてくれた方が美術をもっと好きになってくれたら嬉しいです。

第1章 美術の面白さに気づいたきっかけ 〜作品を楽しむ2つのスイッチ〜

私は高校三年間美術部で、絵を描いたり、彫刻をしたり楽しく充実した時間を過ごしましたが、美術の本当の面白さに気付いたのは大学の時だったなと思います。高校の時は、作る面白さであったり、ただ綺麗な絵を綺麗だなとか、精巧に描かれた作品をすごいなあって見たり、そういう楽しみ方だけで、美術館に行くと、よく分からない作品がたくさんあった。何が描かれているのか全然分からない大きい絵とか、よく分からないオブジェみたいなのがいっぱいあって。単純に色が綺麗だなあとか、大きくて圧倒されるなあみたいなことはまああったし、意味は分からないなりになんか好きだなみたいに思うことはあったんですけど、まあそれだけで終わってしまっていて、そういう作品は、よくわからないままに素通りしてしまっていました。

でも、大学に入ると、今まで美術館で素通りしてきたたくさんの「よく分からない作品」であったものが、突然なにかのスイッチを切り替えたように輝き出して、惹きつけられるという体験を何度かします。それは、一気に視界が開けるようなそんな感覚で、ワクワクして清々しい体験でした。それを重ねるうちに美術のほんとうの面白さ、魅力にどんどん引き込まれていったという感じでした。この感覚を言葉で表現するより、できれば実際に体験してもらった方がわかりやすいかなと思うので、そういった体験をした作品のうちの一つを紹介します。

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美術作品というからどんな絵が出てくるかなと思いましたか?これ、写真です。
写真なんですけど、杉本博司という日本の現代写真家の作品です。
同じような構図の写真がシリーズになっていて、どこで見たかはもう忘れてしまったんですけど、美術館で4〜5点並んで展示されていました。

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・・・どうですか?これを見て何か思うでしょうか。
タイトルにもあるように、劇場を写した写真です。同じような写真が並んでいて・・・いったいどんな意味があるのでしょう。

パッとみて、なんか惹かれる作品だな、と思う人もいれば、全くよくわからないなと思う人もいると思います。最初見た時の感じ方は人それぞれだし、それでいいと思います。少しでもその作品について気になるなと思えば、そこから作品に一歩歩み寄って、次の鑑賞のステップに進めばいいと思います。


作品の見方がわからない

と言いながら、高校生のころだったら私はこの写真の前を素通りしたかもしれません。この作品に限らず、美術館で作品をどうやって見たらいいのかわからないなって思う事があると思います。素通りはしなくても、作品をチラッと見てその後はすぐに作品や作者の情報が書かれたキャプションをみたり、もし横に解説文があったら、それもじっくり読んでみたり、作品を見ている時間よりも解説を読んでる時間の方が長かったというようなことも起こりがちです。解説文を読んで、わかった気分になったりします。でも、それって作品をじっくり鑑賞したことにはならないし、美術を楽しむというよりは、作品と作品情報を照らし合わせる確認作業になってしまっていて、せっかく美術館という場所にわざわざ足を運んだのにそれではあんまり面白くないなって思います。


おすすめの鑑賞方法

そんな時におすすめの鑑賞方法があります。やり方は簡単で、作品を見て気付いたことや感じたこと、どんな小さなことでもいいので紙に書いたり、声に出してみること。つまり、アウトプットすることです。


私はひとりでも美術館に行ったりしますが、ひとりで行くよりも美術が好きな友達といったときのほうがより充実した時間を過ごせることが多くて、それは作品の前でこれはこうやなあとか、これなんやろうなあとか、色々気づいたこととか考えを口に出したり話しながら見ることで、一人で漠然と作品を眺めている時よりもより作品を深く見ることができているからかなと思います。自分だけでは気づかなかったようなことまで気付かされたり、考えるきっかけになるので、作品を鑑賞する時はできたら何人かで話をしながら鑑賞するっていうのは、とてもおすすめです。もちろん、ひとりでも、ノートと鉛筆を持って行って、気付いたことを書いていくというのも作品を深く鑑賞するのに十分効果的だと思います。


作品を見て気付いたことを言ってみる

では、この劇場シリーズを見ながら、私が以前この作品を最初に見たときに気付いたことと考えたことを話しながら再現してみたいと思います。中津さんも、もし良かったら画面の前で気付いたことがあれば言ってみてください。

○ 劇場・・・ということだけど、舞台が真っ白ですね。スクリーンのようにも見える。映画館かな?映画館も劇場っていいますね。
○ スクリーンが光っている感じがします。。どれも、同じように光っている。
○ モノクロなことには何か意味があるんでしょうか?
○ モノクロにすることでスクリーンの光と、その周りの影が強調されている気がします。
○ 劇場内の装飾が、それぞれ違っていて、どれも綺麗ですね。どこの国なんでしょうか。日本ではなさそうですが。歴史的な価値ある建築物みたいな感じがしますね。行ってみたいですね。
○ でもこの劇場に来た人は、公演中はきっと舞台に注目してるはずだからこの綺麗な装飾は目に入らないでしょうね。開演前とか、終演後は見るかもしれないですが。
○ ってことは、この作品は、開演前とか、終演後の状態を表しているのかな?
○ 劇場っていうと舞台を見るところだけど、あえて劇場の主役である舞台を真っ白にすることで、周りの装飾とか、劇場っていう場所そのものにスポットライトを当てているのかな。
○ 何枚もシリーズにしているのは色んな劇場の個性を際立たせたかったから??
○ これは普段注目されることのない、劇場の箱そのものの肖像写真というか、プロフィールを集めたみたいなものかな。

という感じで、私はこの作品を見ました。
高校生の時はこの作品を素通りしていたかもしれない私も、大学に入って鑑賞の場数を踏んで、気付いたことをアウトプットするという目的を持って見てみると、このような気づきを得ることができました。この時点で、作品を結構面白がって見れていると思うので、この鑑賞はほぼ成功しているとも思うのですが、これだけで完結しません。


見方が広がるヒントを得る

こうして一通り自分なりに作品をよく見て、考えて、気づきを言葉にしたあと、何かのきっかけでこの作品の撮影方法を知り、そこからさらに見方が広がることになります。


実はこの作品は、古い劇場でスクリーンに映画を写し出し、その上映中カメラのシャッターを開き続けて長時間露光することによって撮影された作品です。つまり、この真っ白に光るスクリーンには何も映っていないように見えて、映画一本分の光が記録されているのです。
映画館とは、映画を上映する場所であり、観客がだいたい一、二時間そこに座ってスクリーンを眺めて時間を過ごします。上映されている時間はスクリーンの世界に没入できる特別な時間ですよね。この写真を見ていると、一体これまでどれだけの映画がここで上映されてきて、どれだけの人々が、この空間でそうした特別な時間を過ごしてきたのかな、ということを考えてしまいます。


この一連の作品には、単に映画が上映されている時間経過だけが記録されているだけではありません。この映画館で何度も繰り返し上映された映画たち、そしてその時々でその映画を共有した観客たちの空気が劇場全体に染み込んでいて、それをこのスクリーンの光が照らし出しています。

実はこのシリーズには廃虚劇場シリーズというのもあって、こうした廃虚化した映画館で撮られた、シリーズの続編みたいなものなんですけど。

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これらの作品からはどれも、映画館の数だけその場所の空気、歴史があり、今でもひっそりと時を刻んでいる。そのことが不思議と伝わってきませんか。


作品を楽しむ2つのスイッチ

どうでしたか?後半の部分は、この作品がどうやって撮影されたか知らなければ感じることのできなかった部分だと思います。だからといって、ぱっとこの写真を見て、すぐに解説文を読んでもそれはさっきも言ったようにそのときわかった気分になるだけで、本当にじっくり鑑賞したとは言えないし、家に帰る頃には忘れてしまっているかもしれません。

はじめに、作品を自分なりによく見て、じっくりと考えてみる。その上で、作品の見方のヒントになる作品のなりたちとか、作者の意図などを知るというのがいいと思います。そういうステップを踏んで作品と向き合うことで、よくわからないなと思っていた作品の魅力に気づく、視界がぱっと開ける、そういう体験ができると思います。

何かのスイッチを押したように作品が輝きだす、といったのですが、ひとつ目のスイッチがよく見てよく考えること。ふたつ目のスイッチが作品の背景や作者の意図など、作品をより楽しむためのヒントを得ること、知ること、じゃないかなと思います。


作品の見え方が変わって、ハッとする。私は大学に行ってからはじめて美術を楽しむこういう体験ができたと言ったのですがそれはシンプルに作品をたくさんみる機会があったこと、作品について同じように美術を好きな友人と一緒に見たり考えたりできたこと、そして大学の授業でその見方と考え方を教えてもらったことで美術の世界にどんどん惹き込まれていったという感じでした。でも、大学の美術学科にまで行ってはじめて美術を楽しめるのかというとそうは全然思わなくて、美術を楽しむための入り口に立つこと自体はそんなに難しいことではないって思います。中津さんは、このアート思考の本を読んで、私と同じような視界の開け方を体験したと言っていましたね。専門的な勉強や、知識はそこまで必要ありません。じっくり作品と向き合って見てみること、作品について誰かと話し合ってみること、ほんの少しの見方と考え方のヒントを得ること、それだけで、一気に見え方が変わると思います。

専門的な勉強はいらないと言ったのですが、少しの見方と考え方のヒント、という点において、特に比較的新しい時代に作られた美術作品を楽しむために絶対押さえておいた方がいいポイントというのがあります。ここから少し、説明的な内容になってしまうのですが、美術を楽しむ上で必要な知識として今からお話しします。


第2章 20世紀以降の美術が楽しい理由 〜美術の歴史を変えたある発明〜


さっき、私が高校生だったころ、美術館にはよく分からない作品が沢山あって素通りしてしまっていたという話をしたのですが、今思えば、そのよくわからない作品って、近代から現代に作られたものであることが多かったです。それは近代〜現代の作品、つまり20世紀以降の美術の思考の部分に本質を置いていることが多いからだと思います。さっきの杉本博司さんの劇場シリーズも、まさに思考の作品ですよね。20世紀以降の作品は、といっても、もちろん例外もありますが・・・パッと見てわかる美しさとか、技巧の素晴らしさなど、見た目に明らかな分かりやすさではなく目に見えない思考の部分が大事であるために、表面を撫でるように見るだけではなかなかわからないし、作品をじっくり見るということをしないと作品の面白さを感じることができないのです。でも逆に言えば作品の本質が思考の部分にある、それはつまり見方考え方を知れば面白い!パッと視界が開けるっていう体験が出来るのはまさにこの20世紀以降の美術の醍醐味だと私は思っています。

では、なんで20世紀以降の美術ってそういう思考的な作品が多いのでしょう。19世紀以前の作品と20世紀以降の作品ではいったい何が違うのでしょうか。その違いをしっかりと押さえておくことが、比較的新しい時代の美術、または現代アートと呼ばれるような作品を楽しむために必要だと思うので、お話ししておきます。


19世紀以前の美術

19世紀までの美術ってどんなものだったのかというと、例えばキリスト教の教会の壁画、宗教画ですね。

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ルネサンスという時代で、14世紀ぐらいまで遡るんですけどミケランジェロとか、ラファエロとか聞いたことあるかなと思います。当時は文字が読めない人が多かったので、聖書の内容を絵で表す必要がありました。なので、画家たちは教会から依頼され、壁に絵を描きました。


また、王侯貴族が画家に依頼して「肖像画」を描かせるということもありました。権威や権力を示すためには、自分の姿を残すことができる肖像画は欠かせないものでした。

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またもう少し時代が進んで17世紀ごろになると、裕福な市民が購入して家に飾って楽しんだりするための風景画や、静物画なども登場します。

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時代の移り変わりによって美術の役割は少しずつ変化はしていってるんですけど、19世紀までの時代で一貫して美術作品に求められていたのは、まるで手を伸ばせば触れられるようなリアルで写実的な表現でした。画家たちは、目の前のものをいかにリアルにキャンバスに描き写せるか、ということについて長い間試行錯誤して、「遠近法」とかそういうリアルに描くための技術が確立されてきたという歴史があります。ほとんどの人々にとって、素晴らしい絵とは、「目に映る通りに描かれた絵」であり、それこそが美術の正解だと長い間考えられていました。


20世紀美術の幕開け

しかし20世紀に入ると、それまでの美術の正解、存在意義が根本から揺るがされるような事件が起こります。あるものが発明され、世の中に普及したことです。それって何か、わかりますか?


あるもの、それはカメラです。

世界最初の写真は、1826年に撮影されました。その後、改良が重ねられ20世紀初頭には徐々に大衆に広がっていきます。

なぜ、カメラの登場が美術に影響をあたえるのか、もうわかりますよね?

カメラがあれば、とても早く正確に現実の世界を写しとることができます。熟練した技術もほとんど必要ありません。ルネサンス以降、500年以上もの長い間美術が担ってきた役割が、突然登場したカメラという発明品にあっけなく奪われてしまったのです。それまで誰もが疑わなかった美術の正解、「目に映る通りに世界を描く」というゴールが崩れてしまったんですね。

「カメラが登場したいま、美術の意義とはなんなのか」
「美術でしか実現できないことはあるだろうか」

美術家たちは、かつてないほど巨大な問いの前に立たされたわけですね。今までの美術のやり方ではだめだ。これを乗り越えて、新しい美術の時代を創造していかなければならないと、それぞれの探究をはじめていきます。それが、20世紀以降の美術の始まりでした。


第3章 新しい時代の創造 〜既存の価値観を打ち壊す〜


美術の近代史は、革新の歴史です。
いかに既存の価値観、固定観念を打ち壊して新しい美術の時代を創造するかというのが美術の主軸的なテーマになりました。

沢山の美術家が、いろんな探究を経て数多くの作品を生み出しました。この辺は知れば知るほど面白く、奥深いものなので興味があればどこまでも掘っていけるのですが、時間も限られているのでここですべてを紹介するわけにはいきません。この本に載っている作品もあるのですが、時代の流れを見ながら簡単に、ポイントを抑えていきたいと思います。


見たまま描くのをやめる

例えば、色使い。それまでは、世界を目にうつるとおりに描き留めるために色が使われてきました。対象のものの色を再現する、本物そっくりに描くための手段として色が扱われていました。その既存の考え方を打ち壊して、色をもっと純粋に色として、使いたい色を自由に使うということをしたのが、マティスです。

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自分の奥さんの肖像画の、鼻筋を緑色に描いたこの絵を発表したことでまだそれまでの絵画への固定観念が深く根付いていた20世紀初頭の美術界を震撼させました。色だけでなく、この絵の具の塗り方、荒々しい筆の跡、いびつな形、太くてくっきりした輪郭線、などから19世紀までの絵画との決別の意志がはっきりと感じられます。


本当のリアルとは

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また、ルネサンスの時代から画家たちが研究を重ねて確立してきた遠近法についても、あの有名な、ピカソによって打ち壊されます。ピカソは、ひとつのものをさまざまな角度、視点から認識し、ひとつの画面に再構成するキュビスムという手法を発明します。

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この絵の人は、目は正面を向いていて、鼻は横を向いているのがわかりますか?普段私達はひとつの視点だけでものを見ているわけではありません。従来の遠近法的な絵描き方では、そのもののある側面しか写しとることができない。それは本当のリアルではないとピカソは考えたんですね。ピカソなりのリアルを表現する方法として、考え出したのがこのキュビスムという手法でした。


固定観念からの脱却

こうして、画家たちは既存の美術の価値観に抗いながら、写真にはできない、美術独自の表現を追い求めていったんですね。

一つずつ、一つずつ、古くからある価値が破壊されて新しい価値が創造されていく。その過程を見ていくことはとてもワクワクしませんか?

そして、絵とは人とか物とか風景とかの対象物があってそれを描くものである、という固定観念からも画家たちは次第に脱却していくことになります。

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この作品、何が書かれているかわかりますか。
作品をじっくり見て考えることが大事、と言いながらここまで結構早足で説明口調で話してしまったので、もう一度作品をじっくり見る、考える、ということをしてみたいと思います。繰り返しますが、美術を楽しむためのひとつ目のスイッチは、よく見てよく考える。ことです。最初の杉本さんの作品でしてみたみたいに、作品をじっくり見て気付いたこと考えたことを言葉にしてみましょう。


作品を見て気付いたことを言ってみる②

○  直線的な作品ですね。定規で線を引いたみたい。
○ 原色、って感じ。赤、青、黄色で、あとは白と黒。今まで見た絵と全然違います。色数が少ない。
○ カラフルで大きさの違うタイルを貼り合わせたみたい。
○ ステンドグラスみたいな、窓枠に色のついたガラスがはめ込められているようにも見える。
○ 絵、というよりは、デザインみたいなそんな感じがしますね。おしゃれで洗練された雰囲気。
○ それぞれの色の面積比が全然違うんだけど、不思議とバランスがとれているというか、見ていて安定感があるような感じがします。一見シンプルな絵だけど、こういうバランスをとるのって結構難しい気がする。
○ よく見たら、絵具が乾いてひび割れてるのが見える。筆の跡も。パッと見ただけだと、直線で区切ってコンピュータで塗り分けたグラフィックポスターみたいにも見えるけど、近づいてみると手作業の跡が感じられる。
○ 何が描かれているかは、考えてみたけどあんまりわからない。窓枠とか、思い浮かぶのはそのぐらいかなあ。

という感じです。まあ何が描かれているかは私は正直わからないですね。中津さんはどうですか?何か見えましたか?私は結構好きです。このバランス感。筆のあととかが残ってて、よく見ると手作業が感じられることも、なんか心惹かれるものがあります。部屋に飾ったらおしゃれだなぁとも思います。


シンプルな絵ですが、ひとつ目のスイッチ、よく見てよく考える、ということをしてみました。自分の好みと絡めてみてもいいですね。これは私は好きな絵だなと思ったのですが、例えばどうしても好きになれない絵、とかもあると思います。なんか嫌だ!嫌い!ってなったとき、どうして自分がそう感じたのか。なんで嫌いなのかとかも言葉にして考えてみるのも面白いと思います。

では、二つ目のスイッチ、知るということですが。
ここから作品をより楽しむためのヒントをお話ししましょう。


何も描かれていない絵

さっきこの絵を見るときに、一体何が描かれているのかな?という見方で話をしましたが、
結論からいうと、この絵には何も描かれていない、というのが正解です。この作品のタイトルは、「コンポジション2 赤、青、黄」コンポジションとは、日本語で構成という意味です。つまり、赤と青と黄色で構成しました、というタイトルです。絵で現実世界の何かを再現しようとするのではなく、ただ画面の上で色を組み合わせて配置し、塗ってみました。という作品です。こういう具体的なものが何も描かれていない絵のことを、抽象絵画といいます。


具象から抽象へ

モンドリアンの代表作はこのコンポジションシリーズのような直線と色の構成でなる抽象絵画ですが、始めからこういう絵を描いていたわけではありません。もともとはこの人も、風景を描いたり、机の上の果物や食器を描いていました。さっきお話ししたピカソのキュビスムに影響を受けた絵を描いたりしていました。初期の作品で赤い木というのがあるのですが、そこからはじまって、1本の木の描き方を、独自の視点で分解し、画面上で再構成していくうちに徐々にこういう感じで抽象的な表現へと近づいていきました。

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最初は一本の木という具象的なものだったのが、この時代の新しい絵画の表現を追求していくうちに、抽象的な表現が生まれていったのです。はじめこの絵を見ただけでは、この絵がどうやって生まれたかなんてなかなか想像がつかなかったと思います。だけど、作者の探究の過程を追って見てみると、なるほど、こんな感じで試行錯誤してこういう表現が生まれたんだなってわかるのがとても面白いなって私は思います。


音楽のように

モンドリアンが、木を分解して画面の上に再構成していたほぼ同時期に、カンディンスキーという画家が、音楽のように絵を表現できないだろうかと考え、世界で初めて何も具体的なものが描かれていない抽象的な絵画を発表しています。

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カンディンスキーも私がとても好きな画家で、画面に溢れるリズムや色彩がきれいでいつまでも見ていられます。カンディンスキーの作品の好きなところは、こう見なくてはいけないという正解を感じさせず、まるで好きな音楽を聞いているかのように、自由に作品と対話できるという感覚があることです。

美術って、これまでずっとお話ししてきたように見方を知ってさらに面白いという側面もあるし、ただ知識なんてなくても見ているだけで純粋に心に響くとか、気持ちが落ち着くとか、そういう部分もとっても大事だなとは思うんですよね。色んな楽しみ方をできるのが美術のいいところだと思います。


次回予告

美術は、現実世界を描き出す、再現するものだという固定観念からも解放され、同時代のたくさんの美術家たちが絵画の新しい可能性を追求していく上で抽象的な表現にたどり着き、そこからさらに独自の表現を見つけていきました。
作品が抽象化していく中で、やがて抽象的なイメージすら削ぎ落とされていって、例えばこういう作品が生まれてきたりします。

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この作品については、次回詳しく紹介しようと思っていますが、ここから「絵とは何か」「美術とは何か」というような美術の自問自答にも発展していきます。ここからさらにエキサイティングな内容になってくるんですが、時間の都合もあるので今日の話はここまでです。また、近いうちに次回の話をできたらいいなと思っています。


今日のまとめ 〜“考えてみる”ことが人生を楽しくする〜


今日は、さわりの部分という感じでしたが、美術の楽しさ、少しでも伝わったでしょうか?


ちょっと大袈裟かもしれないけど、私は美術を通して、こうやって楽しむ体験できたことで自分の人生が変わったなあと思っています。それまでは、色や形がきれいで美しいものとか、技術的に優れたものだけに価値があるって思い込んでいた部分があったと思うんですけど、例えば緻密に描かれた絵画とか、そういうものを前にして技術に圧倒されていつまでも見ていられるなあみたいな楽しみ方はそれまでもしていましたが、逆にいうとそういう見方しか知らなかった。

私は、ファッションのことは全然詳しくないけれど、以前ネットで、パリコレとかの奇抜で一見へんてこりんなファッションとかを紹介するような記事を見たとがあるんですけど、そういうの見て、「へんやな。これがおしゃれとか、全く理解できない世界だわー」と思って見るか、「どうしてこんなデザインにしたんだろう。」と考えてみるかの違いというか。後者の考え方ができた方が、自分が触れられる世界が広がって人生楽しくなるなって思うんですよね。多分、ファッションもじっくり見たり考えてみたり、詳しい人に見方を教えてもらったらすごく奥深くて面白いんだろうなと思うし、色んなことに対してそういう風に、理解できないと切り捨てるのではなく、少しじっくり見てみようかなとか、考えてみよう、という姿勢を持つことができるようになったなと思います。


きっと、そういう見方、考え方ができた方が人生得ですよね。今日のお話は、すぐに役に立つ!とかそういう内容ではないですが、これで美術に興味を持って貰えたら、嬉しいし、また次回も見てくれたらいいなと思っています!ではまたお話しできる日を楽しみにしています。さようなら。

【講義に出てくる図版資料・引用】
《劇場》シリーズ 
《廃墟劇場》シリーズ 杉本博司
《最後の審判》ミケランジェロ・ブオナローティ
《大公の聖母》ラファエロ・サンティ
《神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像》ヨーゼフ・ハインツ(父)
《ルイ13世 王妃 アンヌ・ドートリッシュの肖像》ピーテル・パウル・ルーベンス
《ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車》ヤーコプ・ファン・ライスダール
《葡萄と石榴》ジャン=バプティスト・シメオン・シャルダン
《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》アンリ・マティス
《アビニヨンの娘たち》パブロ・ピカソ
《ドラ・マールの肖像》パブロ・ピカソ
《コンポジションⅡ赤、青、黄》ピエト・モンドリアン
《赤い木》ピエト・モンドリアン
《灰色の木》ピエト・モンドリアン
《花咲くりんごの木》ピエト・モンドリアン
《コンポジションⅡ 線と色》ピエト・モンドリアン
《白と黒のコンポジション》ピエト・モンドリアン
《コンポジションⅦ》ワシリー・カンディンスキー
《コンポジションⅧ》ワシリー・カンディンスキー
《自らが輝く》ワシリー・カンディンスキー
《ナンバー1A》ジャクソン・ポロック



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