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【#2】死にたくなった少年時代、死ねなくなった学生時代

前回、自分は何も出来ない人間だ(と思い込んでた)
ということを書いたが、そう気付かされたのは
小学3年生のころだった。

もともと僕は小学生の頃からいじめられてきた。
勉強はまあできる方だったが運動がまるでダメ。
それが関係あるのかは分からないが、小学2年までは
クラスのほぼ全員からいじめの標的にされていた。

先生や学校に助けを求めても、いじめは終わらない。
だからと言って、家族に心配させる訳には行かない。
そう考え、僕は1人で悩みを抱え込んでいた。

だけど、人間が抱え込める悩みの量にも限界がある。
心身ともにズタボロになり、
小1のころなんて、学校から帰ってすぐに
包丁を自分の腹に突きつけたことがあった。

それほど追い詰められていた。
いっその事死んで楽になりたかったのだ。
前回も少しだけ触れたが、僕は相当暗い人間だった。

そして小学3年生の頃、とあることがきっかけで
暗い性格が一気に変わることになる。

それが、「和太鼓」だった。

きっかけは、公民館でやっていた和太鼓教室。
親にすすめられて見学に行くことになったが、
その頃は「どうせ何も出来ないよ」と、
かなり消極的な気持ちで足を運んだ。

そこで出会ったのが、プロ和太鼓奏者で
僕の恩師でもある、河島賢明先生だった。
東京ガールズコレクションや、嵐のドームツアーに
出演したこともある、スゴい方だ。

そして和太鼓の演奏を生で聴いた時、
なにか心に響くものを感じた。
音の響きとか、フローリングの床の振動による
物理的な響きとかそんな物ではなく、

封じ込めてた感情が解放されるような、
これまでに無いくらい心に響くものだった。


元々テレビ番組の影響でクイズは好きだったが、
それ以外のもので初めて、自分から
「やりたい!!」と思える体験だった。

結局その日に入会を決めた僕は、
そこでたくさんのことを学んだ。
音楽や芸能全般に必要な「表現力」
みんなで音を合わせるのに必要な「協調性」「信じる心」

そして、「感情を表に出す大切さ」、
「目的を持って生きる楽しさ」

その後から徐々に感情の出し方を覚えた僕は、
日に日に明るい性格になっていった。
地域のいろんなイベントに出演させて頂き、
それがきっかけでクラスの友達も増えた。

そこで表現の楽しさに気づいた僕は、
中学校で演劇部に入った。
からかわれることも多かったが、
その多くは演劇部の役柄やネタで
覚えてもらってるようなものだし、
そこまで酷いようなものもなかった。

結局和太鼓は高校3年まで続け、
全国大会で上位の成績を残せるようになった。
現役引退後はOB会やサポートメンバーとして
人員が足りない時のピンチヒッターに出たり
コンサートの裏方に回ったりしている。


いつの間にか、死にたくなった人間が
感情を出すことを覚え、生きる楽しさを覚え、
死ねなくなった人間に変わっていた。


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