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釜石のラグビー史跡(3)

RUGBY-MAD CITY, Kamaishi のなかぴー🐯しらべによる釜石ラグビー史跡その3ですがお。
*釜石のラグビーチームはすべて紹介しちゃったので「釜石ラグビー創成期」はお題から外しました🐯
*実は他にも釜石クラブ、釜南パニックスなどなど、もあるのですが・・・。大変失礼ながらここまでということにさせていただきますがお。

いよいよラストに向かいますがお。
釜石にある(あった)ラグビー場を紹介していきます!
*前回のnoteはこちらですがお。


7.上中島多目的グランド

「第六広場」とも呼ばれていましたがお。1975年ごろまでは製鉄所の木造の社宅が建っていました。社宅街の真ん中には共同浴場がありましたがお。記憶に薄っすらと残っています。
1970年代後半から木造社宅は解体され始め、野原になりました。鉄筋コンクリート3階建ての社宅が10数棟。ぐるりと周囲を囲んでいましたがお。ぼくらはその野原を「第六広場」と呼び、そこで🚲自転車に乗る練習をしたり、⚾草野球をしたり、🦗バッタやコオロギを追いかけたり、⛄雪だるまをつくったり・・・。
そこに、ある日、H型のラグビーのゴールポストが建ちました。
1981年10月7日。ニュージーランドのオークランドから名門クラブ『ポンソンビー』がやってきたのです。

この時の様子は、この大さん節をご参照くださいがお🐯
ただ、ひとつ。このコラムに記されていないことがあるんですがお。それは・・・。

このとき、上中島多目的グランドでハカが披露されたのですがお🐯!
写真は残っていません。でも、多数の方が
「見た!」
「土俵入りかと思った!」
とその時のことを覚えていましたがお。
ちなみに、この年のポンソンビーの日本ツアーの写真をネット見ることができます。

秩父宮で行われたオール明治や関東代表との試合で、ハカが披露された写真がありますよねがお。きっと釜石でも同じようにハカが舞われたはずですがお!

昔、昔、釜石にオールブラックスの大スターが降り立ち、ものすごくたくさんの市民が草の上に座って、酒場の冷蔵庫がカラになった。

住宅街、社宅街のどまんなかに立つゴールポスト。
地元のひとたちには日常の風景でした。
けど、なかぴーも大人になって、トウキョウに住んでいた時に何度も聞きました。
「釜石ってさ、ふつうの住宅街の真ん中に芝のグランドがあって、ゴールポストが建っているよね! ああ、これがラグビーのまちなんだって感動したよ!」

震災後は仮設住宅用地となりました。このストリートビューは2017年9月ですね。

この仮設住宅も役割を終え、いまはまた芝生の広場になっています。

いつかまた、この「第六広場」でラグビーが行われることがあるかもしれませんねがお🐯

8.発電所前の芝生グランド

このグランドはすこしマニアック系ですがお。
2012年8月から2013年4月まで、松倉グランドは人工芝に張り替える工事が行われていましたがお。その間のシーウェイブスの練習グランドとして、釜石製鉄所構内に芝のグランドが一時的に整備されたんですがお。
写真を一所懸命さがしましたが・・・。ない・・・。
製鉄所の構内だからかなあ。
念のためgoogleマップで・・・・。

あ り ま し た が お。

9.根浜海岸多目的広場

2019年8月。うのスタのちょい奥に芝生グランドができましたがお。
今は根浜海岸観光施設「根浜シーサイド」の施設になっています。

ぜひ遊びに行ってみてくださいがお🐯

このグランドは、実は、ワールドカップの時は某チームの練習グランドになりました。🟦水色🐦のほうのチームですねがお。試合前日か2日前。ぼくらのチームも練習相手として一緒にここで練習したそうですがお。
うわさによると、その時、和樹がかなりスクラム頑張ったらしいですがお🐯

10.釜石鵜住居復興スタジアム

#うのスタ #日本一空が広いスタジアム #みんなのスタジアム

いつもいつもうのスタのことは書いてますので、今日は少しだけにしておきますがお🐯

空の青さ、船の帆を模した白い屋根と背後の山の緑のコントラスト、日差しを受けて輝く芝。海から吹き寄せる風。スタンドには数え切れない大漁旗が揺れている。目の前には真っ白いゴールポストが天高くそびえている。何という美しさだ。すべての要素が力強く、シンプルでいて、互いを尊重し合って調和している。

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#ぼくらの自慢のスタジアム

ついに次回!
和山高原のラグビー場の秘密が!