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なぜ挑戦したいのか? 続き

【私の心が救われた理由】

『えんとつ町のプペル』の絵を見ていると、おばあちゃんと最後に見たイルミネーションを思い出せます。一番最後に一緒に同じ景色を見れた大切な思い出を思い出しては、あったかい気持ちになれるのです。

おばあちゃんが近くにいてくれる気持ちになり、毎日頑張ろうと思えます。

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【おばあちゃん】

2017年12月 おばあちゃんが亡くなりました。

おばあちゃんは、私たち家族にとって、かけがえのない存在でした。

父が生まれたのは第二次世界大戦の終戦直後。父を産んだ後、栄養失調で祖母は亡くなったそうです。おばあちゃんは、祖母の末妹でした。病気の為、子供が産めなかったそうで祖父に嫁ぎ、父たちを育てたそうです。

その後、父が巣立ち祖父が亡くなりましたが、父たちのように小さい子供をもつ方に嫁いでは子供のお世話をする人生を送ってました。

そして、1人の生活になり数年経った頃、私の母が脳梗塞で亡くなりました。

私は3歳。他のきょうだいも7歳と1歳。父1人で3人の子育てしないといけなくなりましたが、難しい状況だった様で養護施設に私達を預ける話も出ていたそうです。そんな中、祖母が私たち家族のお世話を名乗り上げてくれたそうです。その頃の祖母は、心臓の手術をし退院したばかりだったので他の身内に反対されていた様でしたが、周りの反対も押し切って我が家をみてくれたと聞きました。

私が高校卒業する迄の間、一緒に暮らしていましたが小学卒業したぐらいからは学校行事に来る以外に一緒に出かける事はありませんでした。当時はそれに何も疑問も持ってませんでしたが、時々帰省した時も

「おばあちゃんはいいから」が口癖で、どこかに一緒に出かける事はありませんでした。

私が結婚した翌年、父が亡くなり。実家に戻った弟と暮らしていたおばあちゃんでしたが、認知症が進行し弟だけでは、おばあちゃんのお世話が難しくなり私達の近くに引っ越してきました。

けど、おばあちゃんの体の骨も脆くて、一緒に生活は無理でした。末期がんもありました。

施設入所と入院生活を繰り返し、最後にホスピスに入所しました。

ありがたい事に自宅から車で近い場所だったので、可能な限り会いに行けました。

11月頃 職員さんから素敵な質問をされました。

「イルミネーションを見にお連れしてもよいですか??」

即座に「私も一緒に行ってもいいですか??」と聞き返してしまいました(笑)

施設側と私の勤務日とおばあちゃんの体調で調整し、当日娘達も連れ会場で待ち合わせし、一緒にイルミネーションを見れました。殆ど閉じてるばかりだった、おばあちゃんの目もイルミネーションの中では目を開けていたので一緒の景色を見れていたであろうと信じています。

感動でした。

出入り口のほんの少しだけでしたが、おばあちゃんと外で同じ景色見れた事は、大切な思い出となりました。

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数日後

おばあちゃんは眠るように亡くなりました。



【無性にお礼を伝えたくなる】

おばあちゃんの葬儀も終えた後。

放心状態になりました。軽い鬱状態でした。少しづつなっていたんだと思います。
ドクターストップ入りしばらく休職となりました。

そんな放心状態になっている時に家にあった『えんとつ町のプペル』をあらためて読みました。

(西野さんのオンラインサロンには入ってませんでしたが、ブログは興味本位に読んでいて、絵が綺麗で絵本を買っていました。ブログを読んでて【天才万博】への興味が強い頃でした<チケットを始めて購入しましたが、葬儀と重なり行けずでした>)

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絵本【えんとつ町のプペル】を読み、心惹かれた絵がありました。

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                            でした。


祖母と見たイルミネーションを思い出しました。

(実際みた景色とは違うけれど)

元気出さなきゃ。。。って


おばあちゃんと最後に見に行けた。

同じ景色を見れた。

それが、私に

活力を取り戻しました。




その事を思い出してくれた絵本『えんとつ町のプペル』に

この絵本を世に出してくれた西野亮廣さんにお礼をしたくなったのです。

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