渋谷


 もぐらが自分の寝顔を見たのは初めてのことだった。友人に教えられた豪人のインスタにその寝顔は投稿されていた。りそな銀行を背後にしたもぐらは足を蛙のように開き腕組みをして悩ましげな表情で地面に転がっていた。その時の自分がどんな夢を見ていたのか、もちろんもぐらには思い出せなかった。おそらく借金返済について深遠なる思考を繰り広げていたのだろう。この頃見る夢といえばたいていが金がらみだった。
 その夜ももぐらは渋谷駅近くの居酒屋で百円のビールを胃に流し込んでいた。しゃぶしゃぶのビールでは酔うことはできない。しかし手の震えは止まるので飲んで悪いということもない。ヤニを入れたくなり席を立つ。店内で煙草を吸えなくなったのは大変なストレスだった。豪人のインスタをさかのぼりながら煙を鼻から吹き出す。夏目漱石ならそれを「哲学の煙」などというのかもしれないが、もぐらのさまはいくら良く見積もっても「労働の煙」といったところだ。豪人インスタグラマーは渋谷に転がる酔っ払いの写真を投稿し続けているらしい。フォロワーは二十五万人にも達していた。視線を感じ顔を上げる。スマホを手にした若い女が目をそらし通り過ぎていく。もぐらはサングラスでも買ったほうがいいかと思ったが、ポケットの中の小銭を指先で数え諦めた。
 人混みの中にふと、見覚えのある顔を見つけた。しかしどこで会ったのか思い出せない。飲み屋か、現場か、喫煙所か。立て続けに煙を吐き出すと、しゃんとした頭が答えを弾き出した。今しがた眺めていたインスタグラマーの投稿だ。写真の醜態とは打って変わり高そうなスーツを着込んだ男は険しい表情で電話の向こうへ怒気を飛ばす。どうも部下のミスを咎めているらしい。もぐらは顔も名前も知らないその部下にインスタの写真を見せてやりたかった。毎日うまくいくなんてことはないさ。しかし、ともぐらは思う。毎日うまくいかないことはありうるのが現実だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?