なかの、ヒントの公開やめます。
なかのです。
なんだかんだnote等にいろいろ書きなぐっては公開してるなかのですが、最近は「これけっこう意味のないことをしてるな」と思ってます。
今後もルールや注意事項を箇条書き等、かんたんな形で書くことは当然継続します。しかし、細かい解説(=ヒント)を書くのはもうやめようと思ってます。
というのも、なかの的にどんなにわかりやすく書いたところで読んでほしい人には読んでもらえないし、読んでもらったところで本当に伝えたいことを理解してもらえないことに気づいたと言えばいいでしょうか…
これがどういう状況かわからない人向けに、例え話をしましょう。
方向音痴すぎる人が、とある場所で迷子になっているようです。
案内所の人は「地図を迷子に与えたら目的地にたどり着ける」と考えた結果、迷子に地図を提供したわけですが、迷子は「今どこにいてどの道が地図のどれなのかもわからない(=方向音痴な)のに地図をもらってもたどり着けるわけがない」と思ってしまいます。
これを言い換えると「もらっても役に立たない情報をもらったところで意味がない」し「与えても役に立たない情報を与えたところで意味がない」ということになります。
話を戻します。さっきの対応だと、結局方向音痴の人は目的地にたどり着けてません。じゃあ、案内所の人がもっとていねいに対応すればよかったのでしょうか?
案内所のスタッフがものすごくていねいに、それこそわかるまで徹底的に説明すれば、方向音痴の人でも目的地にたどり着けるかもしれません。
これ、本当に方向音痴じゃなくなったんでしょうか?
違いますよね。これは方向音痴の人向けに案内所の人がていねいに説明をしたから目的地に行けたわけで、地図を読んで自力で行けたわけじゃないですよね。
方向音痴が治ったわけじゃないのに、目的地に自力でたどり着けてしまった方向音痴さんは変な自信を付けてしまいます。今度は違う場所に行くようです。
方向音痴が治ってないので、地図という意味のない情報をもらっても役に立たず、結局道に迷ってしまう方向音痴さん。
これ、最初より状況悪くなってるのわかりますか?
最初は方向音痴の自覚がありますが、後半は方向音痴が治ってないのに優秀な情報(=案内所の人のていねいな説明)のせいで方向音痴じゃないと思いこんでしまってる、いわばめんどくさい人が出来てしまってます。
方向音痴の人が本当に一人で道に迷わなくなるために必要なのは、方向音痴自体の克服…具体的には空間把握能力や地図を読み取る力、いわば「スキル(センス)」です。地図や詳細な道順を記した資料などの「情報」ではありません。
しかし、このスキルを案内所のスタッフが方向音痴の人に与えるのはどう考えても現実的ではありません。というか無理です。
この話をそのまま「アングラに向いてない人」と「なかの」に置き換えてみると、なかのが意味のないことをしていたということがおわかりいただけると思います。端的に言って無理なことしてました。
泳げない人が本を読んで泳げるようにはまずならないですし、料理が壊滅的に下手な人が本を読んで料理上手になることはまずありえません。というか本を読んでスキルを習得できる切れ者は、今までのなかのの解説でおそらくもうやばい行動を取らなくなってると思います。
今後は語らないnoteになります。
スッキリして読みやすいかもしれません。書き方がガラッと変わりますが、中身は同じなかのです。今後ともよろしくお願いいたします。
P.S. スキルを習得したい方は有償(30分3,000円~)で対応しますが、誰から教わろうが一朝一夕で身につくものじゃないので、時間もお金も結構かかります。逆に「すぐに身につく」とか言ってるやつから学ぼうとすると優秀な情報を与えられてるだけ(つまり本質的には何も変わらない、変わったと思いこんでるだけ)の可能性大です。
料理のコツは情報商材になっても、料理のスキル自体は情報商材にはできんのやで。料理スキルが欲しけりゃお料理教室行きましょう。
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