遠心

https://twitter.com/ToxicMikey152/status/1522506190017953792?s=20&t=ZUve2nTodMaJb3BRKpZa2g

こういうのを描いていると定期的に頂くのが「写真を見て描いてるんですか?」というご質問です。
これすごく一言で答えるのが難しいんですが、廃墟の写真の模写だったり、現役の建物を古く加工したりといったことも含めて、実際にどこかに存在する場所ではありません(※お仕事でクライアントからの指定があり権利関係の諸々がクリアできている場合は除く)。身も蓋もない言い方をしてしまうと「大人の事情をパスするために架空の廃墟を描いている」ということになります。
朽ちた建材や家具の資料と、これまで見たり描いたりしてきた廃墟たちの経験と、足りないぶんは想像で何とかします。何とかなるのが廃墟のいいところ。

星が泳ぐで賢也さんがいた海を起点に3人の位置関係を決めていて、まだしばらくはメンバーの誕生祝いが続いて余裕がないので描くのは少し先になりますが、大ちゃんで完結します。
ツイートにも書いたようにここはその海を見下ろせる高台の施設跡(漠然とイメージしていたのは子どもの教育関係)で潮風が当たるので、その設定に準じた朽ち方をさせていますが、これは「どれだけ説得力を持たせられるか」みたいな本当に完全な自己満足というか支配欲、征服欲であって、そういう意味では普段のファンアートと全く同じです。
石膏像も廃墟も感じてる魅力の質はともに性的なものなので、ざっくり「かっこいいお兄さんを見てる/描いてるのと同じ」と言い換えれば同類になってしまうのは当然といえば当然ではある。あんまり言うと頭のおかしいのが露呈する。

廃墟をペン画で描くにあたっては、朽ちたものの表現はほぼ手癖になっているので「腹八分」を目標にしています。♡っとりさんの絵の記事で黒の時代の話をしましたがまさにそれ。油断したらすぐ全焼する。
こういう風に描けるようになりたいと思う方がもしいたら、この手癖問題に関してはとにかく沢山見て描いて頂くのがよいです。質より量でもその逆でもなく、ちゃんと頭を使って考えながら大事に沢山描いて、出来上がるごとに振り返って反省もし、頭と手で覚えるのが一番早いかなあと思います。

よっちゃんが遠心なのは単純にずっとこの曲よっちゃんっぽいなと思っていただけです。「夜に溺れましょう」を兄貴に歌わせるのまっっっじで反則と思ってた、というかライブ動画のそこ歌ってるカット見て、縁に座って両足ちゃぷちゃぷしてたのが背中蹴り飛ばされて顔から田辺沼に落ちた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?