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とあるやおい映画に性欲がバグった限界バツイチやおい女によるA Long Long Confession, または二次創作という名のShipper’s Delight

 

 このお話は一本の変てこな映画の話です。
 そして一人のどん底シッパーが欲望と人生を取り戻すにいたった、身に余るShipper’s Delightのお話です。

 改めましてハッピーホリディ!
 はと @810ibara さん主催 #ぽっぽアドベント 24日目、クリスマスイヴを担当します、シュン太郎ちゃん @nakanishico またの名をやおい探偵と申します。

 本企画のテーマは「私が動かされたもの」ということで。

 この2019年のわたしにとってはあまりにも身に覚えがありすぎるテーマだったので即日立候補し、ほんとうにずうずうしくも24日にヌルッと入りこんでしまいました。
 身に覚えがありすぎるのですが、わたしにはみなさんのようになにがしかの「推し」があるわけではなく、この話は徹頭徹尾やおい、つまり男と男の間に生じうる関係性と巨大感情についてのものになりますのでご承知おきください。
 クリスマスイヴにおまえのドス黒い性欲についての話を聞かされる人たちの気持ちを考えなさいよ、とは思いますが、ご寛恕いただければ幸いです。
 
 とりあえずタイトルにあるように、この話は『マイル22』とかいうやおい映画で性欲がバグった挙句、二次創作を書き散らかして2019年をまるまる溶かした限界バツイチやおい女の話です。
 Twitter上でわたしのことをミュートしていないごくごく少数のフォロワーさんには既知の事実かと思いますが、わたしの2019年はこの映画で文字通り溶けました。

 この映画はどんな映画かというと、いわゆる護送ものというジャンルにあたるミリタリーアクションです。みんな大好き『バトルシップ』のピーター・バーグ監督、マーク・ウォルバーグ、イコ・ウワイス主演、Wバーグ作品としては4本目にあたりますかね。すごく仲良しですね。まあ、それはここではどうでもいいです。
 あらすじはこうです。

 世界を揺るがす危険な“物質”が盗まれた。行方を知る唯一の“重要参考人”を亡命させるため、周りを敵に囲まれる極限状態のなか、米大使館から空港までの22マイル(35.4Km)を“最強の特殊部隊”ד完璧な頭脳チーム”からなるアメリカ最高機密「オーバーウォッチ」作戦を発動し護送ミッションを遂行していく。しかし、行く手には想像を絶するラストが待っていた――。(公式サイトより引用)

 思い起こせば今年の1月末、わたしは出張だなんだと13連勤し、その最後の休日出勤のあと疲労のあまり「あーあ、人がクッソ死ぬ映画観てえなあ」という気持ちになっていたので自宅近くの映画館のレイトショーでこの映画を観て帰ることにしました。人がクソ死にそうということと、もともと大好きなアクション俳優だったイコ・ウワイスくんが出ているということと、94分と短いという理由だけで、なんの予備知識もなく、予告も観ずに行きました。わたしは長くない映画と人がたくさん死ぬ映画が好きです。ついでに言うとファンの方には申し訳ないですがマーク・ウォルバーグのことは割と苦手だったんですけれども、人がたくさん死にそうな映画の誘惑には勝てませんでした。それくらい疲労困憊していたのです。

 さて、94分後のわたしはものすごい早歩きで帰路についておりました。さっきまで見せられていたものの正体がよくわからなかったからです。古式ゆかしき週刊少年マガジンのモブなので、頭上に「?」が浮かんでいたと思います。たしかに人はたくさん死んだけどよぉ。なんか思てたんと違う。違う…………………………………………………………

 わたしはいったい何を見せられたんだ?

 ただ、何かものすごくスケ……セクシーな男と男の関係性の縺れを見せられたような気がしていました。
 家に帰っておふとんに入ってからも、その淫靡でお耽美なムードにわたしは目が冴えて眠れませんでした。
 翌日は久しぶりの休日でしたが、速攻で2度目を観に行きました。
 2回目を観終わったあとも、やっぱり何を見せられたのかよくわかりませんでした。ただ、きのうときょう観たものが男と男のただならぬYAOI(やおい)であることだけを確信していました。なんだこれは。とんだオム・ファタルに狂わされる男の超巨大感情案件じゃねえか。イコ・ウワイスくんさん様、とんでもねえオム・ファタルじゃねえか。マーク・ウォルバーグ、とんだ心身に大穴が開いた軍人じゃねえか。
 そしておもむろに以下のツイートを行います。

 いまだかつてこんなに情報量にとぼしい感想ツイートがあったでしょうか。でもセッ……男と男の魂の交わりだと思ったんです。本作は15歳以上からご覧いただける健全エンタテインメントです。ついでに言うと女性描写が驚くほどフラットですし、地味にベクデル・テストもクリアしています。ただちょっと人がめちゃくちゃ死ぬし、登場人物のほぼ全員が神経が一本きれたアドレナリン・ジャンキーで山ほどFuckとかShitとか言っているだけで……。

 そしてわたしは男と男の間にスパークする巨大感情を目撃するために毎晩映画館に通いました。まあ、男と男っていうか、おもにマーク・ウォルバーグとイコ・ウワイスですけど……。いやわたしはいまだにピーターバーグを取っ捕まえて問いただしたいんですけど、なんでこの二人でこんな破滅的にロマンチックなやおいやろうと思った? ピーターバーグやおいの古強者か? つよい。わたしもやおい者やってそこそこの年月が経ちますけれども、正直想像の埒外から急に降ってわいたやおいでした。誰得のやおいなんだこれは。ピーターバーグか? ピーターバーグお前…! お前の愛しの男ミューズ(マーク・ウォルバーグのことです)をこんな……こんな………こんなエッ……大変な目に遭わせたいと思っていたのか????? わたしの心は千々に乱れました(ここまで改行なし)

 誰得とか言いながらわたしは毎晩仕事終わりに映画館に出勤し、あれよあれよと落っこちていきます。
 気が狂うほどやおいだと思った。
 見るたびに「恋じゃん……」以外の語彙力を喪っていきました。いやめっちゃ恋じゃん。イエーイめっちゃ恋じゃん。ヒエエ、めっちゃ恋じゃん。マジか~こりゃ~超~~~~恋じゃん。
 暴力的で破滅的で獰猛で、でもひどくロマンチックな男と男の恋と憎しみの顛末だと思いました。

 回数を重ねるうちに脚本家はリー・カーペンターという女性であることがわかりました。
 なるほど。このものすごいやおいを生み出したのはピーターバーグの性欲じゃなかった。ちょっとホッとした。なにをとち狂ったのかは知らないが、この女性脚本家が主演二人への当て書きでやおいをやろうと思ったのだな、と。そうです、この映画はマーク・ウォルバーグと、イコ・ウワイスへの、当て書きです(大事なことなので二回言いました)。

 リー・カーペンター氏は文系女子の最高峰みたいな経歴の持ち主です。プリンストン大学英文学科卒業後、ハーバードビジネススクールでMBAを取得、『11日間』で作家デビューする前はF・フォード・コッポラ監修の「ゾエトロープ」という文芸雑誌のエディターを務めていたそうで、奇しくも私は学生時代この「ゾエトロープ」誌が大好きでした。この雑誌はすごくおしゃれで掲載小説は都会的で洗練されていて、私もいつかこんな文芸雑誌を編集したい、と憧れました。ついでに言うと、「ゾエトロープ」誌にはこんな強火のミリタリーやおいみたいな話はひとつも載っていなかったと思います。邦訳されたものしか読んでないので知りませんが……。

 そう、そんな文系女子の最高峰みたいな経歴の脚本家が書いた脚本が、仮にもハリウッド商業映画で中国資本引っ張ってきて作ったオリジナル映画の脚本が、BLの10年選手が書いたみたいな淫靡でお耽美な情緒漂うつよつよの殺し愛やおいだったことにわたしはおおいに驚きあきれたのです。マジでどうかしているし、つよい。わたしも人の金で推しカプの好きシチュやおい撮りたい!!!!!!
 取り乱しました。大変失礼しました。

 ここまでさもエビデンスがある情報かのように語りましたけど、リー・カーペンター氏本人にやおいのつもりがあったかなかったかどうかはわかりません。全然やおいのつもりがなかったら申し訳ありません。
 でも、やおいのつもりない女が男に「男二人の間にも戦場の霧は存在する」なんてモノローグ語らせます!? これはやおいにとち狂った女(わたしだ)の寝言じゃないんですよ。本当に言ってるんです、マーク・ウォルバーグ演じるCIA特殊部隊の男が作中で。クラウセヴィッツの軍事用語をそんな……なんかムーディーな使い方してるの初めて見た。いやいやいやいや、それは確実に恋してるでしょ。絶対に恋してるでしょマジで。これが恋じゃないならいったい何が恋だっていうんだ。
 あまりに誰もやおいだって信じてくれないから逆ギレしちゃった。すみません。

 話は変わりますが、わたしが事程左様にこの映画に事故ったのにはあともうひとつ、この映画の男の肉体の撮り方が異様に艶めかしかったこともあると思います。
 被写体としての男の肉体に色気があって目を剝いたし、見るたび「センシティブな内容を含む可能性のある動画だ……」と思ってしまうマジで。女性はセクシーではあれどわりとヘルシーに撮られてるのに対して男の肉体はものすごくフェティッシュに撮られていたんですよ……。

 殺した男の血と汗に塗れるパンイチのイコ・ウワイスくんさん様。
 右手首にはめたラバーバンドで手首の内側の柔らかいところを弾くマーク・ウォルバーグ。
 見て歴然とその肉体美と舞踊のようなアクションの華麗さがわかるのはイコ・ウワイスくんですが、マーク・ウォルバーグも本当にびっくりするほど魅力的に撮られていました。体脂肪6%まで絞って、ご本人的には脱ぎたかったかもしれませんが(いや知らんけど)、あえて脱がさなかったピーターバーグマジでえらい。
 ハイパーアクティブの軍人で、露出した腕をラバーバンドでアンガーマネジメントでぱちぱち弾いているという設定なので、キャラクタ的に腕しか出していないことに意味があるというか、剥き出しのそこに意味が凝っていて、それがものすごく嗜虐的でフェティッシュでよかったです。一方で素肌が清潔感のある撮られ方をしていたのもすごくいい。
 彼の肉体表現・肉体描写に色気がありすぎて、苦手にしていた分反動で致命的にブッ刺さってしまい、中学生男子みたいな欲望に懊悩した1年弱でした。この話をしていると平気で10時間くらい経ってしまうのでここいらで打ち止めにします。

 しかしここまでいたずらに文字数を重ねましたが、特になにもわからないですね……。
 そんな説明じゃいっこもわかんねえよ、という方のために、私のこの9か月のツイートまとめも置いておきますね。

 ゴミみたいなまとめでしたね。大変失礼いたしました。
 もうこの映画はね、こんな駄文を読んでいる暇があったら実際に体験してみるしかないんですよ。みなさんにも「ハァ?」ってなってほしい。あわよくば「ハァ? なんだこのやおい。もう一回観よう」ってなってほしい。すでに一回観た人にも「そんな感じだっけ? 確認のためにもう一回観よう」ってなってほしい!!!!!!!!!!!
 また取り乱しました。

 そもそも、私にこの映画を語る力はありません。
 私の持てるあらゆるレトリックを駆使してこの映画について書き散らかして1年弱経過してしまい、もはやかえってどういう言葉で総括していいかわからないんです。あらゆるところから私の自我と欲望のメスを入れ過ぎて、ずたずたに切り拓いて腑分けして解体してしまい、もはやこの映画がなんであるのかわからなくなってしまった、というのが今の私の偽らざる心境です。
 たぶんひと様と私のこの映画の受容の仕方、ものすごく違っていると思います。たぶん多くの方に「エ~ッ、そんな大層な映画じゃないよ笑」とか思われていることかと思います。
 でも私には「そんな映画」だったんです。なぜか。
 なんで私にだけ「そんな映画」だったのかはいまだによくわかりませんし、自分でも納得できていません。あえていうならタイミングとしか言えない。

 実際本当にそんな大層な映画ではないです。言ってみればありふれたミリタリーアクションだし、盛大にコケてるし。批評家からも酷評されているし。
 いろいろと乱暴なところもあるし、エッと思うほど粗いところもあるし、情報の濃度が尋常の映画の8倍くらいあるし(その割に語られない部分のムラもすごい)。あとトーン&マナーがメチャクチャっていうか、「作画:広江礼威」みたいな感じなのにかんじんの内容は90年代のCLAMPだし……ターゲット想定と作画と作風がメチャクチャじゃねえか。本当に『東京BABYLON』か『X』かっていう話なんですよこれ……。脚本家氏、CLAMP通ってきてない?
 話がまた逸れました。戻します。

 わたしが語りえないこの映画をあえてなるべく簡潔に総括するなら、成功したかどうかはいったん置いておいて、同質で異質な魂の双子との一瞬のまじわりのお話をやりたかったんじゃないかなと思います(ここからネタバレではありませんがやや解釈に踏み込みます)。

 『戦場のメリークリスマス』という大島渚監督の映画がありまして。これはローレンス・ヴァン・デル・ポスト『影の獄にて』の映画化作品で、わたしはこの映画と原作がすごく好きなのですが。
 この作品で捕虜と収容所将校の関係を超えた魂の交錯を見せるセリアズ(演:デヴィッド・ボウイ)とヨノイ(演:坂本龍一)の関係と非常に近いものとわたしは理解しています。心身に開いた大穴(弱み)を抱えたまま生きてきた軍人が同質でありながら異質な他者にその虚無の大穴を暴力的な”不在性”で満たされてしまう、一生に一度のスパークジョイの話。
脚本家がやろうとしたことはそれなんじゃないかという結論をとりあえず持っている。
そんなんエモいに決まってるじゃないですか……。

「他者との出会い」を異人種間でやるのはもう古いんじゃないかという考え方もあるかもしれませんけど、エスピオナージュの文脈で、硬直したアイデンティティを打ち砕く口づけをセリアズから贈られるヨノイみたいな男がCIAの男だと思ったらもうめちゃくちゃ興奮してしまう。リー・ノア(演:イコ・ウワイス)の信教だけ教えてほしかった。インドネシア(作中は架空の国名です)の宗教人口比からムスリムと思いますが、そうだとするとイラク・アフガンへの派兵経験があるCIA特殊部隊の男とムスリムの男の戦メリなんですよ。いや~、ときめくでしょそれは。あとわたしは男の象徴の死と生まれ直しの話に弱い。
 だいぶ先走りました。もうやめます。
 そんなわけでわたしは身も世もなくときめきました。

 それで実はここからが本題なのですが(本題に入るまでが長い!)、身も世もなくときめいた結果、これまで長く忘れていたような衝動が疼きました。
 薄い本――ひらたくいうと二次創作への欲求です。
 さてその話をする前に、ここから少しだけわたしの話になります。尾篭どころかずいぶんとパーソナルでかつ生々しい話になってしまい恐縮ですが――わたしはずっと、誰にもせずにきたこの話を誰かに聞いてほしかったのかもしれません。

 わたしはやおい探偵とか名乗ってますが、二次創作への欲求自体は長い時間積み重なったさまざまな理由により、すっかり弱くなっていました。
 結婚して、2018年の前半に離婚したというのも大きいと思います。
 性愛に嫌気がさすあまり、やおいにさえ食傷していた時期があります。

 この映画を観るまでの一年は、その性愛への忌避がピークにきていました。
 セックスと生殖と、生殖だけでは済まない子育ての問題に苦痛を感じていました。
 毎度おなじみわが美しきこの国は少子化断固推進男尊女卑国家ですし。
 女性が子供を産むには残念ながら時間は有限ですし、元夫は子供を欲しがっていました。実家からも暗然としたプレッシャーがありました。わたし自身、子供を育てたいと思ってはいた。長女だし、妹はあてにできない。わたしがもういい加減しっかりしなければと思っていた。心とキャリアの準備ができているとはとても言えませんでしたが、踏み切らざるを得なかった。

 毎月の排卵サイクルをチェックして、子を保育園に0歳時点で預けるためには4~6月に生んでおく必要がある、それならばいつ種を仕込めばいいのかとか考えて。長い不妊治療の果てに高齢出産をした親族の出産が文字通り母子共に命がけだったことも、わたしの焦燥をあおりました(念のため言い添えておくとその後母子は回復し、子はすくすく成長しています)

 わたしは当時フリーランスだったので、子供を産むことのキャリア上の不安がとても大きかった。それをなんとか飲み下して、前向きに子供を産むことを決断した時期もあったのですが、子供が欲しいとずっと言っていた当の元夫には、急に機嫌が悪くなりそれが数週間続く謎の不機嫌サイクルがありました。 

 排卵日が来たら来たでその不機嫌サイクルが毎月回ってきて子作りどころではなくなってしまうのを繰り返して。生理かよ。そしてわたしの排卵日が遠ざかると嘘のように元夫の不機嫌とモラハラは去り、それをケロリと忘れたように「子供が欲しい」という話が繰り返される。
 この件に関して、わたしだけが被害者と思っているわけでは全然ないです。わたしにも原因はあったと思います。とはいえそれでも自分にモラハラを甘んじて耐えなければならないほどの責任はなかったと思いますが。

 愛情には双方による日々の不断のメンテナンスが必要ですが、片方だけがメンテナンス作業を行うだけではどうしてもうまくいかないです。
あるきっかけによって、わたしがメンテナンスの努力を完全に放り出した瞬間、急速にわたしたちのムードは離婚の方向に傾きました。その後もまあ離婚に決着するまでは一波乱あるわけなのですが――とにかく自分をとりまく性愛の不毛に疲れました。ここに、わたしのキャリア上の不本意な展開が重なって、わたしにはもう人生の展望が見えなかった。

 慰謝料(便宜上そう呼びます)の交渉と離婚の手続き、キャリアの問題をなんとか片づけ、今暮らしているちいさな部屋にうつってきた時には、わたしはなんとか新しい職場で仕事をして、もう夫に作ってきたような一汁三菜のおかずは作らず、ときどき宝塚を観にいってスターさんの美しさに咽び泣き、そうでなければただ長い惰眠を貪るだけの暮らしをしていました。実家や親類はわたしの性格や辛抱の足らなさを責め、元夫の側についたので(これが一番堪えました)、わたしの自由意志によって半絶縁状態を今なお続けており、わたしは孤独だったと思います。それでも孤独のほうがよっぽどよかった。

 さて、話はようやく本題に戻ってきます。
 それは前述の通り今年の1月末のことでした。そんな状況から徐々に元気を取り戻しつつありましたが、まだ過敏だったわたしのギザギザハートを、この映画が出会い頭の事故のようになぎ倒していってしまいました。
「もう性愛なんてうんざりだ」という、丸腰の赤子みたいにデリケートなわたしにこの映画に漂う謎の淫靡なムードは刺激が強すぎました。

 そんなわけで脳味噌の冷静な部分を焼き払われてしまったわたしにいつしか忘れ果てていた欲望がむくむくと湧き起こります。
 薄い本を100冊くらい読みたい。どうしても読みたい。
 この男(※言うまでもないことですが本記事ではこの表現は主演俳優そのものではなく映画の作中人物のことを指します)がス……大変な目に遭わされる薄い本をひたすら読みたい。
 この気持ちはなんだ…………。
 ひょっとして……性欲?
 久々に欲望が自分の手に戻ってきたのを自覚した瞬間でした。

 性欲というと誤解されるかもしれませんが、ここでは男と男の関係性にのみ強くフォーカスした欲望を指します。わたし自身はいまだに誰にもわたしに手を触れてほしくない。
 そんなわけで欲望を自覚したわたしはがぜん目の色をかえてインターネットの大海に乗り出します。
 しかし大海に乗り出したわたしの前に、「二次創作がない」という困難が立ちふさがりました。本当にない。AO3(世界的二次創作サイトです)まで探しに行きましたが、なんか解釈違いっぽいもの1本しかなくて、わたしは飢えに飢えて床に大の字になりました。
 こうなったら自分で二次創作を書くしかない。逡巡の果てにわたしはこの結論にいたりました。

 しかし、実はわたしには小説を書くことにひどい苦手意識がありました。
 わたしはその昔、二次創作小説だけではなくて創作小説をやっていたこともあります。
 創作にいたっては、新人賞にも出しました。しかし、あるところで「自分には書きたいことが特にない」ということに気づいてしまい、挫折しました。それから十数年、小説を書くことに対して不能感が長くあった。
 二次創作ですら、わたしにはもう書けない、書いちゃいけないと思っていました。それでも、久しぶりに戻って来たこの欲望をどうにかして自分の手でなんとか結晶化させたい。
 気づけばあれほど恐れて苦手意識があったアウトプットをしたくなりました。

 これまでは人の書いたものを読むので十分だと思っていました。
 しかしまあよくよく考えてみたら、ひと様の欲望はひと様の欲望であって、わたしの欲望ではないわけです。
 わたしの欲望はわたしが形にするしかない。そんな当たり前のことに、十数年経ってようやく気付きました。その欲望がひと様の創作物の借り物でしかなかったとしても、結局のところどこかで見たような誰かの欲望の模倣でしかなかったとしても、それでも自分自身の手で形を与えて、自分のものとして引き受けたいと思いました。
 誰のためでもなく自分自身の願いのために。
 ついでに誰かに読んでもらえて、あわよくば萌えてもらえると嬉しいな。

 それからわたしは二次創作を書き始めました。書いてみると、拙い内容であるにもかかわらず、温かい励ましの言葉があったりして、気づいたらひっそり同人誌まで出してしまいました。

 自分のファジーな欲望をアウトプットして文章に縫い留めるのは、苦しさや恥ずかしさがあります。
 ひと様の創作を借りて行うグレーな行いですし……。
 それにわたしが書くものは大層なものじゃないどころか、薄汚いばかりの欲望ですから、自己嫌悪や罪悪感に陥ることもしょっちゅうです。何より自分の書くものは拙いばかりで、思い通りの表現なんてできやしません。思うように書けなくて、書きたいものが書けなくて、やっぱり味わうのは挫折ばかりでした。どうしてわたしはこんなに書けないんだろう? と落ち込む毎日でした。

 それでも、自分が生きてきた中で積み上げてきた苦しみであれ快楽であれ知識であれ、思考/嗜好/志向であれ性癖であれオブセッションであれ、「かくあれかし」という祈りのようなものであれ、そういう積み重なった感情を白い布に刺繍していくようなこの作業は、まぎれもなく最上の歓び――Shipper’s Delightとでも呼ぶべきものでした。
※ちなみにこの「Shipper’s Delight」というのはシュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight」という曲のタイトルをもじった造語です。しょっちゅう言っていきたいが特につかう局面がない。

 そんなことをしているうちに、記憶の瘡蓋をわざわざ剥がして血を出すような真似をしなくて済むようになっていました。たまにはそういう夜もありますが。

 これが欲望と人生を取り戻した限界バツイチやおい女の2019年のはじまりとおわりです。

 結婚していたときはとにかく社会をやることとくらしを営むことに腐心していましたが、今年はそんなものは全部放り捨てて自分の欲望を掴みに走った。
 とにかく、とにかく自由だと思いました。たくさんのお芝居やオペラも観て、鈍麻していた感情を全開にして、フィクションで他人の人生やエモーションを全身で受け止めました。宝塚のご贔屓の退団も経験した……。

 自分の野放図な欲望を否定したい気持ちや疎ましく思う気持ち、恥ずかしい気持ちがないわけではありませんでしたが、消え失せていた欲望を自分の手に取り戻したとき、自分を生きていると心から思えました。

 こんなご時世です。来年はどうなっているかわからない。
 よしんば来年社会がどうにもなってなくても、もうわたしが文章を書くことはなくなっているかもしれません。飽き性ですし、そもそも一次であれ二次創作であれ、わたしに才能はありません。

 なにより、いつまで自分の中に書きたいテーマが残っていてくれるのだろう。あっという間に枯渇して、また空っぽになってしまうんじゃないだろうか。

 そしてこの自由は果たしてどれだけ続くでしょうか。
 もしかしたら、案外すぐに取り戻した自由を放り出してしまわないといけないのかもしれません。
 いつかこの自由のツケを支払わされて、ひどく惨めな思いをしているかもしれませんね。
 しかし、よしんばそうなったとしても、今年のわたしが享受したものを責めたくはないと思います。

 今年、自分が自分の欲望を叶えるためだけに生きたこのモラトリアム期間のような自由さを、わたしは疎ましくも愛しく思いますし、ずっとこの調子で続けるのは難しくても、できる限り長く手放さずに生きていきたいと思っております。
 そのうちいつか、挫折してしまった創作ができるようになっているのかもしれません。

 以上です。
 親愛なるSisters&Brothers、ここまでわたしの長い長い告解を聞いてくださってありがとうございました!
 はとちゃん、このような貴重な機会を与えてくださってありがとうございました。

 あとついでに犬に噛まれたと思って『マイル22』観てください。配信とかで観られるよ。やおいに焼き払われて居ても立っても居られなくなったらおれんとこ来な(やおい大将)。https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07V4GGLS8/ref=cm_sw_tw_r_pv_wb_Hz38nTeJqsyNA

 戦メリもぜひ観ていただきたいと思います。マジでときめきます。若き日のデヴィッド・ボウイと坂本龍一は本当に美しいです。タケちゃんの有名すぎるあのラストシーンも大好き。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07L34VPCD/ref=cm_sw_tw_r_pv_wb_2qzvDDUDSBxWD

 それでは親愛なるきょうだいたちの2020年が幸福であることを祈って!
 キラキラした欲望を追いかけるみんなたち、自分のつくりたいものをつくるみんなたち、つくらないにせよすべての創作を愛するみんなたちに、来年も祝福が降り注ぎように。
 
 Merry Happy Holidays to you all!

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