貴重な機会に参加させていただいたので

「NPO法人Beautiful World × educore × 子どもエキスポin壱岐」で開かれたウクライナから避難されたご家族の声を聞くことができる機会に参加してきました。

言葉にならない感情がたくさん。忘れたくないし、感じたことをメモしておきたい。

メディアで目にしていた現地の映像は、灰色で、今日見せていただいたウクライナの広場や、教会は鮮やかで、強制的に日常が壊されること、文化が失われることの意味に、グッと胸が締め付けられるようなそんな感覚。

特に心に残った言葉は2つ

感想を言葉にする大学生が涙したときに、
「戦争が始まったとき、周りは悲惨な光景が広がっていて、そのとき、涙や悲しいという感情は出なかった。泣けることは、人として自然なことで、素晴らしいこと」

平和教育をしても戦争が起きてしまう、今後どうすれば、そんな話のときに
「今、教えていること、社会や経済お金のことが多くて、豊かさを教えることが少ない。子どもたちに桜の葉と梅の葉の違いはわからないけど、ナイキやアディダスのロゴはわかる。そういうこと。」

事前に見た教会やオペラ座の鮮やかさ、豊かな文化に囲まれて、感情豊かな日常を送っていたことが想像できて、ある日を境に、人の生存本能なのかもしれないけど、心のスイッチを強制的にオフにせざるを得なくなる。
そんなとんでもない出来事を経験した彼女たちからは、緊張しながらも笑顔で、感謝と、日本は素晴らしいとばかり。つらいはずなのに、今後のために、伝えたいという強さ。

―なぜ、戦争は起きるのか。明確な答えはないのだと思う。

ウクライナの話を聞きながら、なぜか自分の身の回りのことを考えていて、「争い」って日常茶飯事で、大なり小なり、衝突することはあるし、原因はなんだろう。なぜ、そういう状態になるんだろうと。

「コミュニケーションの質」なのかな。良質なコミュニケーションができていれば、例えば相手の状態を想像する間が持てれば、強い言葉を投げかけられたからって、受けたボールを強く投げ返す必要はなくて、優しく返すことができるかもしれない。何かが欲しい欲求に駆られても、奪う選択はしないかもしれない。

「余白」も大事。心の余白。忙しさに追われると、自分の中の不確かな正しさだけで判断してしまう。周りや相手を見ることを忘れてしまう。

彼女たちの言葉を聞いて、感じていたのはそんなこと。

これから何ができるんだろう。やはり教育なんだろうか。
最近の出来事が重なって、自分の中でのwant toは、EQ(Emotional Intelligence Quotient:心の知能指数)を高めていくことなのかな。

とまぁ、そんなかっこよさげなものではなくて、感じる心を育てたい。
豊かな自然あふれる島に暮らしているのだから、全身で感じたいし、感動したい。
アート、漫画、写真、詩、、、良いかどうかなんてわからないけど、なんかいいな。好きだなとは思える。触れる時間を大切に感じる。
自分のこどもにはそうあって欲しい。

「豊かさ」で平和になるのかもしれない。
でも、誰かに容易く壊されてしまうものかもしれない。
その平和は、小さなコミュニティ内だけかもしれない。
でも、そんな小さな平和がたくさん増えて重なって、世界が平和になるのかも。


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