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ドラゴンの女王は鉄の玉座でワインを飲むか

最終話前夜に思うこと

(ネタバレ全開、未視聴の方は見ないで)

2019年5月19日。
明日、Game of Thronesが終わる。
閉幕の時、自分は何を感じるのだろうか・・・。
数年もの間見続けて、自分はこの作品から一体何を受け取ったのだろうか・・・。

ここまで見続けた人は、誰もが似たような思いを巡らせて、悶々としているのではないかと思います。わたしもその一人です。ふだんは、感想を書いて公開するほどの熱量を持ってドラマを見ているわけではないのですが、しかしこの作品は別です。

今、全世界の人がリアルタイムに最終シーズンを視聴し、不安や悲痛や希望や憶測が入り混じったわけのわからぬ状態で、ついに明日最終話を迎えるという現実に頭を混乱させつつ、放送までの限られた時間をソワソワしながら過ごす日曜日、自分も全世界の人とその時間、その混乱を共有したいという思いから、今の気持ちを記録しておきたいと思います。

これは作品の批評や考察ではなく、Game of Thronesという単なるドラマがわたしといういち個人に与えた影響を淡々と述べるだけの個人的な記事です。これを見た人に共感する部分があれば嬉しいですが、なくても全然かまいません。見ていない人に「見るべき」と勧めたいがために書くわけでもありません。ただ、全ての放送が終わる明日になる前に、どうしても気持ちを整理しておきたい思いに駆られて書いてます。

最終話前夜の今と、最終話を見終わった後では、だいぶ気持ちに変化が起こるでしょうし、最終話の後の感情で今まで自分が感じてきた評価を覆すようなことはしたくないので、今この時点で感じていることを率直に残しておきたいのです。Game of Thronesが終わる前の晩というのは今この瞬間しかないですし、今を逃したらこの感情は消え去ってしまうでしょうから、なんとか言語化しておきたかった。

Game of Thrones は 「自分にとって意味がある」作品

一言で言えば、この作品の魅力は、どの人物のどのエピソードをとっても「自分にとって意味がある」と感じさせるところにありました。

見始めた当初は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」とかゲーム「タクティクス・オウガ」のドラマ版みたいで面白いな、という感じで、やはり中世ファンタジーな世界観だとか、RPG的なマップや地方勢力、戦争、魅力的な登場人物、圧倒的な戦闘シーンなどに惹かれていました。・・・それが見続けるにつれ、単なる「娯楽的消費」以上のものを体験しているようになっている自分に気づきます。

ドラマを見る理由が、単に「面白いから」ではなく、「自分にとって意味があるから」あるいは「重要だから」に変わっていたのです。それも単に「楽しめるから」というような軽い「意味」ではなく、さも「自分の人生に重要な関心事」であるかのごとく、心を支配するようになりました。

これは奇妙なことです。GOTは無数にある海外ドラマのひとつに過ぎません。単に娯楽として楽しむために消費するだけなら、楽しむ以外の意味は、自分にとってないはずです。過去にも「プリズン・ブレイク」「LOST」「THE WALKING DEAD」など、睡眠不足になるほどハマったドラマはありましたが、それらもやはり「純粋に見ていて楽しい」以上の意味を見出すほど、自分にとって重要であるとは思いませんでした。大変な状況で四苦八苦するキャラクターたちを「傍観者」として見るだけにすぎず、見終われば「面白かった」で終わり。しかし、GOTに関しては違うのです。

そして、今世界中で「Game of Thrones」がトレンドワードになり、ネット上そこいら中で議論や感想発表や憤怒や悲しみの吐露がのべつ幕なしに行われている様子を見ると、GOTが「自分にとって意味のある重要なこと」と感じている人は、どうやらわたし一人だけではないようです。

最初は「歴史物語」だと思っていた

ではその、自分にとって重要なこの「意味」とは何なのでしょう。個人的には、登場人物の行動や展開などよりも、そのことを一話一話見終わるごとにずっと考えていました。

世界的に見ても、ただ「見て面白い」だけでは、ここまで世界の多くの人々を熱狂の渦に巻き込むほどの作品にはならなかったと思います(実際にそれほどかどうかはともかく、視聴者はそう感じているはず)。

このドラマの特徴を紹介する時によく使われる言葉ーいわく

「予想できない展開」「重厚な人間ドラマ」「主要人物があっさり死ぬ」「映画並に作り込まれた世界観と映像」「オリジナル言語を作るほどの徹底的なリアリティの追求」「大迫力の戦闘」「躊躇ない残虐描写やエロ」「得体の知れないホワイト・ウォーカーの謎」・・・などは、なるほど確かにどれも作品に欠かせない重要な要素です。

しかし、やはりそれらはあくまで「表現と演出の道具」であって、それらは「技巧的表現としては面白い」、つまり単純に「見て楽しいギミック」であるとしても、作品を本質的に「面白い」と思わせている要素は、もっと深いところにあると思うのです。映像表現と演出要素だけに注目するなら、面白い作品は他にも色々あるはずです。

では、その本質的な面白さとは?色々考えた結果、最初にたどり着いたのは、「人類の歴史の要約」としてのドラマ性でした。

いまさら言うまでもないですが、世界観はハードコアな西欧的中世世界、機械も電気も、法律もモラルもない弱肉強食の世界です。現代世界の基礎となっている技術や価値基準が一切なく、暴力と欲望のみが世界を支配し、殺人、差別、裏切りはもちろん、女は騎士になれないとか、生まれが一生を決めるだとかいった古い価値観も当たり前の日常。このような絶望的な世界でも、ほんの数人だけ、思慮深く、モラルを持ち、差別をせず、未来のためにそれまで敵対関係にあった勢力と協力しようという、近代的な人間がいます。そう、ネッド・スタークやジョン・スノウ、ティリオン・ラニスターなどです。

こういった、現代の我々に近い価値観を持つ「希望」の人物が、この残酷な世界で人々に希望を与え、最終的には現代世界につながるような世界の土台を作る・・・と。
デナーリスとジョンの英雄譚は、正しい意思を持つ弱者がコツコツと力をためて成長し、古い価値観を打ちこわし、やがて世界に希望を与える存在となる・・・。
鉄の玉座を巡る七王国間の争いは、不毛な争いを通して人間の悲しみや愛といった感情劇を描く・・・。
夜の王率いる死者の軍勢は、人々が互いの違いを乗り越えて人類共通の問題に立ち向かうという、近代的価値観を築くための舞台装置・・・。

このような魅力的なプロットをいくつも用意して、史実を参考に、オリジナルの世界観とキャラクターで、人類史をテーマにした総合エンターテイメントを作り上げ、人類が現代までに無数の犠牲の上に築きあげた歴史の要約物語として提示し、キャラクターが悪戦苦闘する様を応援するのが、このドラマの面白さだと思っていました。しかしシーズンが進むにつれ、製作者の狙いはそういう部分じゃないかもな、と思うようになりました。なるほどこの見方はこれでありかもしれませんが、やはり作品の側面的な部分にすぎません。

GOTの面白さの本質

このような勘違いを経て、今個人的に思う、GOTの本質とは何か。それは、数々の「見て楽しい部分」「技巧的表現としての面白さ」「歴史物語」のヴェールに包まれた、作品の本質的な「核」ーGOTだけが我々の心に否応なく呼び起こす数々の「命題」ではないかと思います。それが視聴後も「面白かった」だけで終わらせず、様々な議論を、個人の中にも集団の中にも発生させ、ひいては世界中を熱狂(少なくとも見ている人の間では)させるほどの話題性を得ている要因だと思います。

命題とは、「誰が何をした」という登場人物の行動といった直接的で扱いやすいものから、彼らはなぜあういう行動をとるのか、どういう価値観でそういうことをするに至るのかとかいう、もっと深いテーマまで様々です。

例えば、一番タイムリーなことでいえば、S8第5話で、

・デナーリスはなぜ〇〇を〇〇したか?
・〇〇している時の彼女の心情は?
・どういう因果でそうなったのか、それを避けるにはどうすべきだったのか?
・それを見た後の周りの人々はどう思い、どう行動するか?
・こういう行動をするに至った、デナーリスの本質とは?
・そして何より、我々視聴者は彼女の行動をどう解釈し、受け止めればいいのか・・・?

などでしょう。

〇〇の部分に何が当てはまるかは、視聴済みの方にとってはわかりきっていることなのであえて書きません・・・(というか書くのがつらい)。

たぶん最後の問はもっとも難しく、みなさん悩んでいることかと思います・・・

もちろんこれだけでなく、8シーズンもの間、実に様々な社会的状況に置かれた登場人物たちが、多様な行動をしてきました。彼らは皆、弱みと強みを持ち、あるものは家族のため、あるものは私利私欲のため、あるものは権力のためと、それぞれの欲求と目的の実現のために四苦八苦します。

与えられた環境の中で、問題解決や願望実現のために悪戦苦闘する。悪いキャラも善いキャラもみんな、です。そういった多種多様な登場人物の中に、何人かは、共感せずにいられない人物がいるはずです。逆に、こいつだけは絶対に許せない!という人物も。そういった、「自分の中の価値観と共鳴/反発する人物」の行動を観察することで、鏡を見るように今の自分を見つめ直すことができます。

あるいは、深い人間関係を持つペアに対して、まるで自分が彼らの親友や家族であるかのような気持ちを感じることもあるでしょう。彼らのことを、どうかこうなってほしい、こうならないでほしいと、毎回ハラハラしながら見守ることになります。

あまりにも多いので例をあげきれませんが、個人的に忘れられないのは、ティリオンとジェイミーの兄弟。この両者からは、一人の人物としてもペアとしても様々なことを考えさせられました。

ティリオンは作中数少ない良識ある賢人でありながら、酒飲みでだらしなく、よく失敗する。しかしあきらめず、挑戦し続け、情にあつく、弱き人々を気にかけ、深い悲しみを背負いながらも、平和の実現のために懸命に努力します。暴力が支配する世界で、戦闘力を一切持たず、人に好かれる容姿も持たない彼が、唯一の武器である知恵と話術を使って、どう生き抜くのか。この戦略的な考察だけでもずいぶん楽しめました。

ジェイミーはティリオンと正反対の、力・栄光・恵まれた容姿の全てを持っており、不貞で傲慢な騎士として登場したかと思えば、右手を失ってからは弱者に理解を示すようになり、騎士としての誇りを持って必死に戦う。サーセイのためには擁護しがたい卑劣な行動をする一方で、ブライエニーやティリオンには心からの敬意と友情を持って接するなど、見る側も彼をどうジャッジしていいのかわかりません。大変複雑なキャラクターです。海外の人が360度キャラクター(360° Character Arc)と言っているのを聞きましたが、まさに作中で悪と善とその中間、卑劣と高潔のその中間のあらゆるアクションをとることから、ほとんど全ての人間性のサンプルを網羅した全方位型キャラクターとして認識されています。まさにカメレオン、たったひとりで「人間博物館」状態です。お前は誰の味方なんだよ!と突っ込みたくなるほどわけのわからぬ彼の行動は視聴者の間で多くの議論を生み出すきっかけとなり、今も議論されています。

このような「善悪ゴッタ煮」の人間性は、個人的に好きな作家サマセット・モームの人間観でもあり、とても興味深かったです。要するに、一人の人間の中で、善と悪、卑劣と高潔のどれもが成立し得るという人間観です。だから、目的のためには、悪いことも良いことも両方やる。完全に悪だけとか、完全に善だけに寄ることのできる人間は少ないし、そういう人間は、完成しすぎていて変化しないから魅力がない、という見解です。

要するに、みんな程度の差はあれ、ロールパンナちゃん、あるいはジキル博士とハイド氏なのです。確かに、ネッドやロブやジョンは良いヤツすぎて飽きるし、ジョフリーやラムジーはただただ邪悪で不快です。その点、ジェイミーは悪成分と同じくらい善成分もたくさんあります。サーセイですら、子どもたちへの愛だけは本物だったので、子どもが全員死んだことは、彼女がどれだけ悪人であっても、その悲しみは本物でしょうから、そのわずかな人間性の少しでも家族以外の人間に向けられていたら・・・という救いの可能性を見いだせる点で、やはり魅力があるのです(子どもの死のきかっけを作ったのは自業自得といえますが・・・)。ジョフリーやラムジーのように、単純にさっさと退場してほしいと願うだけの悪役とは違います。

ジェイミーとブライエニー、アリアとハウンド、サンサとベイリッシュなど、ドラマの中で深い交流のあったキャラどうしのペアからも、様々な視点が得られます。どのペアも、互いに何もかも違うところだらけ、なのに深い部分ではどこか共通する部分が感じられます。反発しあいながら、協力する。利用しあいながら、助け合う。信じあい、そして裏切る・・・友情とは何か、人を思う気持ちとは何かなど、我々が抱える人生上の問題に直接関わってくる命題が提示されるのです。

GOTが視聴者に与える「命題」の数々

視聴者はこういった命題を与えられ、それらを身近なものに感じ、解決しなければならないと感じます。彼らが抱える問題は、そのまま我々が日常で抱える問題としてダイレクトに降りかかります。友情や愛といった情動的なものから、哲学的なもの、現代というサバンナの中で生き残るための実用的なものまで様々。

・家族以外の人間と、真実の友情や愛を育むことができるのか?(ジェイミーとブライエニー、ハウンドとアリア、ジョンとイグリット)
・平和や正義や愛のためでも、それを実現するために、他人を利用していいのか?(デナーリス、ティリオン、ベイリッシュ、ジェイミー)
・信仰のためなら何をしてもいいのか?(メリサンドル、ソロス、ベリック、ハイ・スパロー)
・復讐心は行動にどう作用するか?(ハウンド、アリア、サーセイ、オヴェリン、エラリア)
・許しがたい失敗や裏切りを犯したものを許すことができるか?(ジョラー、シオン)
・どんな時も正直で誠実でいるのは、本当に良いことなのか?(ネッド・スターク、ジョン、ロブ)
・絶対に話し合いの通じない相手に対して、どう防衛し、あるいはどう逃げるか?(ジョフリー、ラムジー、夜の王)
・古い価値観に縛られた人間にはどう対応するか?(アリザー・ソーン、ランディル・ターリー、野人たち)
・権力機構の中でどう行動するか?(サーセイ、タイウィン、オレナ、マージェリー、サンサ、ヴァリス、ベイリッシュ)
・弱者がのし上がるための戦略は?(ティリオン、デナーリス、ダヴォス、ジョン)
・自分を見くびっている相手に対して力を認めさせるには?(サンサ、アリア)
・裏切る人間の心理と、裏切られないようにするための対策は?(ティリオン、ブロン、ベイリッシュ、ヴァリス)
・信用を得にくい相手に対してどう交渉するか?(サーセイ、ジェイミー、ティリオン、トアマンド)
・失った信頼を回復するには?(ジョラー、シオン、メリサンドル)
・共通の強大な敵が現れた時、利害関係を超えて協力することができるか?(夜の王との戦い)
・悲しみ、憎悪、怒りに満たされ、目の前に憎しみの対象があり、手元に武器がある時、どう行動するか?(ティリオン、デナーリス、サーセイ、オヴェリン、アリア)
・現実問題を正視できず、周囲を無視し、自分の価値観だけを盲信し続けた人間はどうなるか?(ロバート、ヴィセーリス、サーセイ、デナーリス)

などなど、パッと思いつくだけでも数多くあります。

また、生身の俳優が表情豊かに演じる実写ドラマだからこそ、さらにリアルに感じられます。身体的にデフォルメされたアニメより、俳優が己の身体をフルに使って、その制約と限界の中で演技するからこそ、「真実らしさ」が伝わります。(アニメにそれがないと言っているのでなく、単に実写とアニメでは伝わる情報の性質が違うということ)。
特にサーセイの憎たらしい表情、ジェイミーの自分を理解できないような落ち着かない表情は、前々から評判でしたが、S8に来てもう圧倒的な凄みを帯びてきています。表情が、言葉にならぬ全ての悲しみや憎しみを伝えているようです(S8第5話ではデナーリスの表情演技も相当なものですが)。

我々は8シーズンもの間、登場人物の顛末を、嫌いなヤツも好きなヤツも見続けてきました。彼らがどう行動するか、常に一喜一憂しながら見守ってきました。見るたびに彼らとの距離が縮まり、他人事に思えなくなり、彼らが劇中で直面する問題を、いつの間にか自分の問題のように感じて考えること。これこそが、「自分にとって意味がある」と感じさせる、Game of Thronesという作品の力なのだと思います。

劇中で発生する様々な「問いかけ」を通じて、我々は自分の人生や価値観を見つめ直すことができます。故に、自分にとって意味がある、重要だと感じるのです。

こういった機能をもたらす作品は、娯楽作品の中では珍しいです。娯楽とは第一に人を楽しませること、サーヴィスの精神で作るものです。定番のパターンに現代的な味付けをして、視聴者に良質なエンターテイメントを経験してもらうこと。視聴者の期待を裏切らず、「これが見たいんだよね」というものをしっかり見せてくれる。紆余曲折あっても、結局最後は丸くおさまる。「優しい世界」です。この基本を守れば、たぶん失敗はしない、しかし本当に人の心に作品になるかといえば、その可能性も低いわけです。といって何かびっくりするような仕掛けを用意しても、最後にはやはり納得してもらわなくてはならないので、あまりに賛否両論を呼び起こすような仕掛けは、ともすれば駄作と評されるリスクとなります。制作側は、このリスクをとるか、とらないか、常に葛藤していると思います。そういう点で、GOTはリスクしかとっていません(笑)。常に現実さながらの厳しい世界を見せてくれます。

セオリー通りの普通の作品は、言うなれば、檻の外から安全に鑑賞する「動物園」、スリルは味わえるけどしっかり安全装置と到達点がある「遊園地」です。傍観するか、参加してもコミットメント度合いが低いか、です。

GOTは動物園ではありません。視聴者が「見たい」と思う展開を見せてくれるどころか、見たくないものをリアルに描写します。そのため、物語の到達点が読めません。ヒーローだと思っていた人物があっさり死に、応援していた人物があっさり裏切り、気に食わない人物が意外に好意的な面を見せたり、逃れようのない運命から愛するもの同士が悲しい殺し合いをしたり、そんな展開ばかりで、大混乱、もう疲れます。整備された動物園ではなく、情け容赦ないサバンナにいきなり放り出されて「生き延びろ」と言われているようなもので、もはや楽しむどころではありません。GOTでは作品に参加どころか、「没入」させられます。視聴者に100%のコミットメントを要求し、できなければ去れ、です。

確かに「没入」は疲れますが、そうしなければ味わえない深い価値ある体験があります。

好きな人物には、どうか死なないでほしいと本気で祈り、
嫌いな人物には、どんなひどい死に方をしてほしいかと思案する自分のダークサイドに戦慄し、
ドラゴンが軍を無残に焼き尽くす光景に罪悪感を覚えながらも興奮し、
死者の軍勢との戦争前夜、違いを超えて団結する人々の姿に、人間への希望を感じ、
・・・好きな人物が散ったときは、本当に涙しました。

この他にも、ヴァリエーション豊かに、様々な深い体験を得られました。そんな作品は、なかなかないと思います。

あらゆる場面、あらゆる人物の行動を見るにつけ、もし自分だったらどうするだろうと、気づけば延々考えています。こういった思考を通じて、自分の価値観を見直したり、人と意見交換することで、自分や他者の以外な側面を発見したり、逆に嫌な部分を見つけてへこんだりもします。このような思考は、対人関係の構築や内面的な成長には欠かせないと思うのです。

娯楽作品は無数にあるといっても、このような内省的思考を促す作品は、そう多くはないのではないでしょうか。大げさかもしれませんが、古典悲劇やシェイクスピアの戯曲、バルザックの人間喜劇、サッカレーやトルストイが描こうとした一大叙事詩のような、「一定の枠組みを持つ社会の中での、様々な人間の営み、問題に取り組む姿勢」を通して、我々が現実世界において直面する問題に対する準備や対策、考え方などを与えてくれるような気がするのです。

これこそが、GOTの本質的に面白い要素。多くの人が自分にとって「意味があって重要」と感じさせるような力だと思います。

まとめ


まとめると、Game of Thronesが自分にとって面白く、重要な作品であると感じる理由は・・・

・人類が築いてきた歴史物語を要約し俯瞰することで、現代社会で重要な価値観を再認識するから。
・人生上の「命題」をいくつも提示し、命題について考えさせる装置として機能するから。
・古典悲劇やシェイクスピアの戯曲、バルザックの人間喜劇、サッカレーやトルストイが描いた一大叙事詩のような、「人間性の博物館」として機能するから。
・キャラクターの出来事を他人事ではなく、自分のこととして受け止め、考えてしまうから。
・物語の傍観者としてでなく、参加者として考えさせられるから。
・サービスいっぱいの「動物園」ではなく、野生のリアリティ満載の「サバンナ」にそてい没入させられることで、日常生活では得難い緊張感と興奮、人間的な感情を経験できるから。

となります。


ドラゴンの女王は鉄の玉座でワインを飲むか

ところで、S8第5話の後、別の脚本家を起用してシーズン8を作り直せという署名が集まっていると話題になっています。
やはり、第5話の展開は「視聴者の見たくないもの」であり、それに反発した人々が声を上げているようです。

GOTは、今までもずっと、視聴者が「期待しないもの」「見たくないもの」を見せ続け、同時に「議論をさせ続け」てきました。
それが、ついにS8第5話になって、これはあんまりだ!となったのか、署名活動にまで発展。

気持ちはすごくわかります。こうなってほしい、こうならないでほしい・・・そういった願望の全てを「ドラカリス」しましたからね。
この活動が今後どういう結果になるのかはわかりませんが、ただひとつ言えるのは、やはりGOTは最後まで人々に議論をさせ続けたということです。

ふつう、単なるテレビドラマに対して、人生上の大問題かのように受け止め、署名活動までするほど熱をあげるでしょうか。そんな作品はなかなかないと思います。

製作者サイドは、最後まで消費としての娯楽エンターテイメントではなく、視聴者を巻き込む「問題提起」の姿勢を通しました。
最後まで、ファンを楽しませるよりも、見たいものを見せるよりも、「議論を起こす」ような作り方を貫きました。

ここまできたら、視聴者が最後に何を求めているかもわかっているだろうし、あのような展開で、賛否両論が起こらないはずがないと、わかるはずです。わかっていて、やったのでしょう。相当な勇気です(原作者の意向に沿ったと言えばそれまでですが、別にドラマでは変えてもいいわけですし・・・そもそも原作は完結していないし・・・)。

個人的にも胸の中では、

「最後くらいは、視聴者にサーヴィスして、見たいものを見せてくれてもよいのでは?せっかく長い間見続けたのだから・・・」

という声と、

「いや、これでこそGOTだ!よくやった!」

という声が、ぶつかり合っています。

結局、GOTは最後までGOTだった。

もはや鉄の玉座が残っているのか疑問ですが、ターガリエン先祖がドラゴン先祖ヴァレリオンを使って玉座を作ったように、デナーリスもドロゴンのドラカリスで玉座を作るのでしょうか。

果たして、全てが終わった後、デナーリスは鉄の玉座でワインを飲むのでしょうか。

ワインの赤は、ターガリエンのシンボル「炎と血」の色です。

飲むとしたら、どんな表情で?また、どんな味がするのでしょう。さすがに想像つきません。

彼女なら、ワインの赤よりも、ドラカリスの赤を好むでしょう。

ワイン飲みながらドラカリス発動するでしょうか、それは一番見たくないですね。

いずれにせよ、明日、完結です。

ここまで読んだ人はいないと思いますが、もしいたら、ありがとうございます。明日は一緒に見届けましょう。

ヴァラー・モルグリス

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