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ナイソデ。

おはようございます。扉ですよ!

またもお久しぶり。noteの事わすれてた。

当初はnoteの記事を毎日書きたいなぁ。

と思って始めたのだが

そこ含めてわすれてた。

※ゆーても「たいなぁ。」の時点で

「決めてない」から

ぼこぼこ穴が空くのが仕組み。


したい、という感覚が望むものと

基本的には力みたくないという

思考とかお育ちの癖(習慣)と

身体が刻むリズムと(貧血とか気圧とか)。

その三様をカルテットとして束ね

メタな視点でタクトを振る、

と考えるとよい結果が生まれるのでしょうか?

…なに言ってるのか小難しい。

自分のこと、色んなセクションあるんだね?

と見ててあげようぜよってことな。


わすれてた。→おもいだした。

→で。で?どうするの?

今の自分はどこに進みたい?

アンテナ張る&書くのお稽古として毎日やりたい?

日を空けてでも記事の納得精度を優先したい?


とある相談の場で、

【人の成功を喜べません。そんな自分が嫌です】

という主旨のものを見かけた。

回答者は、

【まずは自分を喜ばせましょうね】

と伝えていた。

ごもごもごもごもごもっとも!でござるね。


祝福って気持ちのハナシだから、

(気合いで?)やろうと思えば出来そうなものを

出来ない自分ってやつは

どんだけ狭量で悋気で性格悪いのか?バカバカ!

て思っちゃう方もおられると思うのだが

※記事はまずは自分に向けて書いてます。


ちがうぞよ。

これは「ない袖は振れない」のハナシ。

コップに水が入ってないのだが、

気合いで水を注ごうとして

でも水は出てこなくて、

そんなの嫌です!と言ってるんだよ。

お嬢様魔法、使いでしたか?!お気を確かに!!

という話なんだよ。

水の入ってないコップから水が出てこない。

こんな全うかつ正常なことがありましょうか。


だから、注ぎたいなら水を調達するところからよね?

というのが「まずは自分を喜ばせよう」

という意味に当たるのだよね。

それは所謂ジコチュウとは

趣が全く別なのだよ。

センチメートルとミリバールくらい違う話なんだよ。

(うまいこと言えた気分)



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