違いがわかる。
…ような気がする。
物体が捨てられなかった。
(言い方…)
掃除とか(「とか」と言っちゃうあたりw)
しようとすると
心に暗雲が垂れ籠めて
トリモチよろしくネバネバの
「できない」に捕まって
憂鬱に絡め捕られて
身動きが取れなくなるのだった。
奮起して棚から全出ししたはいいが
床に積まれ続けたままの紙の束がある。
1年以上(2年以上だと思う)
※ちびちび減らしてはいるんやで。
過去に受けたセミナー資料とか
自分が価値あると思ってメモした
ことばと記憶の蓄積。
見返してないわりには
捨てるのはもったいない?
とざわざわしてしまう
過去の思い出やお役立ち情報の記憶媒体。
その束の中にあった
過去の新月のお願いが書かれたノートを開き
流し見ながら、思った。
内容が頭に入ってこないが
自己否定の温床から
願いの種を植えてやがるぜ。
と。
内容は確認していないが
それでも放つ空気でわかった。
匂い(?)が違う。
「それがよいとされている。
わたしもそれが羨ましい。
わたしもそれが欲しい…」
コレ、外側の発信に煽られて
自分自身とは繋がっていない
願いに似た欠乏から願い事を書いている。
不足や自己否定を出発点に
枝葉を伸ばして「映え」ようとする願いたち。
叶わなくてよかったね。
さあさ、自分との繋がりを創造しよう。
今すでに幸せだ。
風の時代はわたしの時代。
扉
大トロのネギトロ巻きだよ召し上がれ。
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