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政治的

中村はこれから社会派な(政治的な)作品を作っていくの?ということを何回か聞かれたので、ちょっと書いておきたいなと思います。


(中村のTwitterから転載します)


私は「政治的な作品を作ろう!」と思って絵を描いていません。

今回の個展『まもりばな』では、個展の利益(売上からギャラリーのマージン+経費等を引いた額)の一部を寄付することは、事前にお伝えしていませんでした。画業は私の生業であること、そして世界に対する自分なりのありかたについて、悩み考えて生み出した絵を先入観なしで感じていただきたいと思っていたからです。これまでもこれからもそうです。

表現が難しいのですが、私は個人でいることをものすごく大切にしています。誰かがこう言ってるから私もこうしよう、みんな怒ってるから私も怒ろう、という考えに陥りそうなときは一度止まって疑い、本当に正しいのかどうかをその都度判断しています。今回は、個展の絵のテーマと無関係ではなかったので、寄付を公表するという選択をとりました。(普段は公表しません)。そうしないとやっていることの辻褄が合わないなという思いがあったからです。もちろん、できる時にできることをしたいという気持ちもありました。寄付先の選定も、ある意味命の取捨選択をしてるな〜という重い気持ちでした。

そもそも、作品が政治的か否か、という判断ってかなり難しくて、というのも、わたしたちは息を吸ってご飯食べて絵を描いているだけで政治的と言えるからです。生きてるだけで国保とか年金とかの請求がくるし、スーパーで食パン買うのだって消費税がかかるし、画材だって輸送費だって政治次第で値段が変わるし、つまり政治に関係のない絵描きなど1人も存在しないと思っています。SNSを見てるだけでも無意識のうちに「政治的なこと」をキャッチしているはずです。人が飛び降りたり電車に飛び込んだり殺されたりするニュースを見たり、お米がなくなったり、なんか変だなって思うことがあると思います。もっといえば、街に出たり、人と喋ったり、そういうオフラインの場でも、その時代ごとの空気感を無意識にキャッチしているはずです。すれ違う人の表情だったり、街の風景だったり、前まで咲いていた花がなくなっていたりとか、そういった些細なことを無意識に写しているはずです。幸福感なのか不安感なのかわかりませんが、そういうものは無意識に作品のうちに入り込んでいるはずなのです。

会場でステイトメントを読んでくださった方には伝わったのかなと思っていますが、私はこの時代の漠然とした不安感、人間が引き起こそうとしている危ないことへの恐怖が、確実に、今回の『まもりばな』の根底にありました。政治的な作品を作ろうと意図したものではありません。しかし、この不安は間違いなく「政治的」と呼ばれるものとは無関係ではないと思うのです。

何が言いたいのかというと、中村は中村という個人のまま、その時その時感じたことを絵に起こして発表していくだけだと思っています。何かを変えようと思って描いているわけではありませんし、何かを変えることなどできないと思っています。ただのイラストレーターひとりにできることなど本当に微々たるものです。そして、自分のいちばんの抵抗は制作であると思っております。その想いは今後も変わりません。

この文章も作品も、どのように解釈いただいても構いません。私の意図とは異なると思いますが、それぞれの解釈が正解だと思っております。それぞれの解釈ができるのが絵のすてきなところだと思っています。

お読みいただきありがとうございました。

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