これからのこと

 いつもありがとうございます。
 大変な情勢が続いていますが、お変わりございませんか。

 今日は、お願いがあって来ました。
 私の描(書)いた漫画や読み物を、今後どこからどう発表すればいいのか、もうしばらく考えさせてください。

※私自身に直接的なトラブルは起きていません。
これまで私がサービスの利用手数料を支払ってきた相手でもあるnoteの運営会社で生じたトラブルの内容を鑑み、いちユーザーとして身の振り方を悩んでいる、という話です。)


 長くなってしまうので、
◆決めてあること/
◆理由と、今考えていること。…という順序で書きました。


決めてあること

◆既に課金していただいた記事は、お約束した回数を満了するまで更新されます。更新回数を確約した記事の更新中止はありません。
◆これまでに課金していただいた記事が読めなくなることはないように対処します。
◆サポート機能から既に頂いてあるメッセージで、最新の返信記事に未反映の2021年2月〜分は、追ってお返事いたします。
※昨年を最後にサポートを受けられる機能を切りました。現在は新しいサポートを受け取ることはできないようになっています。
無料記事についても、内容に応じてnoteに残すもの/テキストサイト等に移設するものに分け、いずれも続きが読める状態・引き続き読める状態を維持する予定です。
これまで購読してくださった方が読めなくなる状態・もう一度課金しなければならなくなる状態を避けることを優先します。
◆noteに掲載してきたタイトルに関する新しいお知らせは、引き続きnoteにも掲載いたしますが、公式サイトでも順次発表いたしますので、noteへのアクセスに抵抗がある方は公式サイトをご確認ください。


いま考えていること

 ご存知の方も多いと思いますが、noteで何かを購読して頂くと(有料記事や有料マガジンを購入すると)、決済・note自体のサービス利用など各種手数料を差し引いた額がコンテンツ公開者の手元に入金される仕組みになっています。つまり、私が描いた漫画などをnoteで有料記事として公開し、誰かに購入して頂くと、noteの運営企業に一定の手数料が入る(=読者さんが支払ったお金の一部が、運営企業の利益になる)ということです。
 これまでの6年間、私の著作物を購読して頂いたことによってnoteの運営企業に収めた手数料は、会計上で大きな影響力を持つほどの額面ではありませんが、それでも決して小さくはない額です。
 システム上は私のアカウントについた売上から差し引かれる形ですが、どこから来たお金かと言えば、皆さんから集まった購読料金から捻出された手数料です。それは、皆さんが頑張って働いたものかもしれませんし、運よく宝くじで手にしたものかもしれませんし、親御さんからのお小遣いかもしれませんが、どこから皆さんの手元に来たかはともかく、多くの人にとってそれは大切なお金だったんじゃないかと思います。
 手数料について、私は「私の売上から引かれているもの」という認識と、「読者さんが払ったお金から出ていくもの」という認識が、同じ分量で同じ位置にあります。

 昨年、noteの運営企業が展開する別のメディアが、立て続けに批判を受けた事例がありました。私に直接的な関係のあった出来事ではありませんが、別メディアの出来事とは言え、自分が長くお世話になってきた企業が運営するメディアだったので、報道に気付いた時はショックでした。大手新聞社でも報道されたので既にご存知の方も多いと思いますが、ある連載がDV・モラルハラスメントの被害を訴える読者の相談を「大袈裟にいったらダメだよ」等と虚言扱い、同社メディアはセカンドレイプ的対応を公認した形です。(その後、著者編集部ともに謝罪をしています。)
 それから間もなく、今度は野宿者を珍しい動物の生態を見るような視点で観察対象としたコンテンツを公認したこと(参考)で、再び同じメディアが問題視されました。それら二件が強い批判に晒された事に連動して、まったく無関係であったはずの著述家を杜撰に扱ったことも報道されました。
 どれか一つだけでも身の振り方を考えたくなる内容でしたが、わずか三ヶ月の間に毎月1件ずつ起きたことなので、一つ一つに反応するには気持ちも作文も追いつきませんでした。
 その後、責任者が交代し、各当事者との話し合いが持たれるなどして幕引きが図られたと認識していますが、私の周辺だけでも少なくない人数のユーザーがnoteを退会・休止を宣言していますし、その判断を支持します。どんな企業に加担するか・できるか・したいか、という問いは、著述を続ける上で大切なことですし、深く共感できます。(「だから私も皆に合わせて」ということではなく、私も私で、)このまま同社に手数料を支払い続ける在り方を選ぶべきか、だけどそれはnoteだからできた個人出版活動から撤退することを意味するので、とても悩んでいました。

 見解を出さないまま決断を先延ばしにしてしまって、ごめんなさい。正直な気持ちをお話しすると、これを書きながらもまだ、何も決断できていません。
 どうにか決めたのは「細かいことをまだ決められないから待ってほしい」というお願いを皆さんにすることだけです。

 noteは、零細漫画家の私が出版社からの仕事としてではなく個人的に執筆活動を行い、描きたいものを自分のペースで描きながら独立できることを後押ししてくれた大切な場所でした。場所です。でした。「でした」と「です」の間の気持ちを彷徨っています。
 収めた手数料も(無料に近ければ無料に近いほうが嬉しいですが、どこのサービスを使っても支払う事になるものですから、それなら)独立後の私が育ったホームタウンのようなnoteになるべく多く支払えることが「少しは孝行できているかな」と、嬉しく、誇らしくもありました。「手数料がたくさん入ればもっとサービスが成長して使いやすくなって大きく育つはずだ」と、ポジティブな気持ちで払ってきました。

 その一方で、私がこれまで描(書)いた原稿には、DV被害者、性犯罪被害者、野宿を余儀なくされた経験があるような経済的弱者が登場します。
 フィクションの舞台裏にはモデルとなったケースが、エッセイの匿名下には実在の当事者や被害者が、それぞれ存在します。
 エッセイに登場する人物のモデルとなった彼女は、肉親からの酷いハラスメントや暴力が日常でした。別の彼女は、たまたま夜道で遭遇した見知らぬ人により性犯罪の被害者にされました。私の二人目の妻も、顔も名前も知っている安全だったはずの人から性的な暴力を受けました。フィクションの舞台裏を支えてくれた人の中にも、さまざまな社会的問題の、多くの当事者が居ます。
 彼女たちを待っていたのはほとんどの場合、ケアではなく「自分に(も)被害に遭う原因があるはずなのに『悲劇のヒロイン』ぶっている大袈裟な女」という類の「断罪」でした。まさにnoteの運営企業が掲載した記事のような裁きを、彼女たちは何度も受けてきました。彼女たちが受けた扱いへの落胆と、彼女たちが必死に人生を見限らないように堪えてきた努力は、私が著述を辞めたくないとても大きな理由の1つです。
 私自身も若い時分にネットカフェに寝泊まりしましたが、余力がなく野宿以外選択の余地がなかった夜が幾つもありました。幸い私の住居に関する問題はとても短い期間で解決したので「当事者です」と名乗ることは憚られますが、過去のちょっとした時期の事として、簡単に忘れる事ができる心細さではありませんでした。当時は「慣れた」と思いながら過ごしていましたが、できればもう二度と寒空の下で眠気と戦いながら周囲を警戒したくありません。この経験を興味深いライフスタイルや面白サバイバル術として、物書きを名乗る人・編集を生業とする人に尋ねられたことも一度や二度ではありません。自ら進んでちょっと体験してみたい人は居るかもしれませんが、抗えずに野宿生活が日常になることを選んだ人は恐らく、ほとんど絶対居ないでしょう。
 また、私の著作を支えてくれる読者の皆さんの中には、当事者、支援者、登場人物たちが負った傷や負担に対して深い共感を持って接してくれた方が非常に多くいたはずだと、皆さんのnoteや各種SNSアカウントにあったプロフィールや発信の数々から記憶しています。
 私がここで描いていたことにより、それぞれの当事者・支援者・理解者から受け取ったお金が、セカンドレイプや珍獣観察の報酬のどこかを形成したんだと思うと遺憾です。なるべく落ち着いた語り口で綴っていますが、口調をほどかせていただけば、そりゃあ私だって全ての他者のための人道だけ守って生きてこれた人間じゃないしロクな人間じゃないけど、だとしてもこんなことに人様から頂いたお金たくさん流しちゃったと思うとブッ倒れそうだよ。ぶっ倒れそうだし、ニュースで知ってから暫くの間は、受け止めるのが嫌過ぎて塞ぎ込んで寝込んだ。

 載せようと思えば今すぐ載せられる原稿も幾らかは持っていますが、正直どうしたらいいか…。読者さん一人一人に「私どうしたらいい?」と聞きたいです。きっと一人一人に違った意見があると思いますし、それをバランスよくまとめることもできないと思うから聞きませんが、私の決断力って、こんなにも華奢なものだったっけと自分でも戸惑っています。
 新たな課金記事を公開したとき私は、私自身だけでなく著作をnoteで読んでくれる読者さんも巻き込む形で、DV被害を訴える人へのセカンドレイプ的対応や野外での生活を選択的なオモシロ生態のように扱うコンテンツを積極的に公開・評価して間もない企業に対して、身銭を届けることになってしまいます。
 まったく気が進まず、更新作業を進めてみたり、「いや、今後どうするか決めるまでちょっと寝かせよう…」と躊躇してみたり、行ったり来たりしながら、今日までずっと、まだ悩んでいました。

 無謬の企業を探すのは難しいことです。どこかで折り合いをつけながら、正義だけを貫けない自分に言い訳しながら、企業の問題に目を瞑りながら、利用することは今までもあったし今後もあります。ただの一度も誤らずに正しい行いだけをしてきた者だけについていこうと思うなら、私はまず、私を見限らなければなりません。私も過去に自分が行った表現の中にあれは誤りだったと反省しているものがありますし、無自覚に誤ったままのものもあったはず・今後もきっとまたあるはずです。今回の問題は、当事者間では片付いたことと捉えていますし、一度誤ったが最後「二度と関わらない」と強硬に切り捨てるやり方も、本当はあまり好みません。誤った後、もう誤っていない期間が長くなれば(なる見込みがあれば)また信じたほうがいい、とも思います。
 どれも本音ですが、しばらくは、どうしてもあのアクション一つ一つを『良質なコンテンツ』や『良質なコンテンツを生み出す手段』として認めた企業に対して、私の著作を好んでくれた人たちが払ってくれたお金を巻き込んで手数料を収めることに前向きになれません。

 だからってこれまで掲載したものを消し去ったりはしないので「これまで買ったものが読めなくなるのでは」みたいな〈これまで〉に関する心配を持っていただく必要はありません。一度支払っていただいた漫画などをもう読めなくしようとは思っていませんし、同社のサービスにもうアクセスしたくない・アカウントを閉鎖したいと考える読者の方が外部で購読しなおせるような代替措置がないかも検討しています。更新途中の記事についても満了まで更新します。
 ただ、〈これから〉先については、どうしようか悩む時間が必要です。代替できそうなサービスについても、もうしばらく吟味させてください。
 様々なサービスを転々としすぎたり、あれこれ登録してもらったり、なるべくそういう不便を何度も掛けたくないという気持ちもあって、どう身を振るか簡単に結論が出せません。(私がこのような状態なので、共同制作をしているクリエイターさんや、私や私の関係者が更新・編集協力していた共同コンテンツについても、相談が進んでいないことばかりです。私単独ではないコンテンツに関しても、関係するクリエイターさんのペースに合わせて、1つずつ今後の対応を話し合って結論を探っていきたいと考えています。)
 これからどうしようか決まったら、またnoteと公式サイト等でお知らせします。私も早く最新話や新刊をリリースしたいので、できれば春先には新しい体勢を整えたいと考えています。

 しばらく沈黙してしまって申し訳ありませんでした。これについて、どうしたらいいのかとても悩んでいたのもありますし、昨年は「コロナ禍」と呼ばれた情勢に通年振り回されて過ごしていました。長い間静かにしすぎてしまったので(新型肺炎に罹って深刻な状態なんじゃないかと心配した友人たちからも連絡をたくさんもらってしまったきり、全員には返信できないまま、結果的にほったらかした形になってしまったので…)この場を借りて、どう過ごしていたかをお話しさせてください。
 私が把握している限りでは、私は今のところ肺炎には罹らなかったと思います。「と思います」としか言えないのは、体調を崩しても心配事があっても検査に至らなかったので、診断を受けたことはない、の意です。不安な時期は外にも出ずに誰にも会わずに過ごしています。喘息があって、寒い時期は少し足早に動いただけで喉が詰まって呼吸が荒くなることや、咳き込んでしまうことがあります。ひどく咳き込んだ時に感じるのは、例年なら息苦しさでした。昨年からは「誰かに咳を聞かれただろうか」という心配のほうが大きくなりました。私はウィルス以上に人を怖がっているんじゃないのか。晴れない気持ちにもなりました。
 仕事では、いろいろありました。お会計上は繁盛しないけれど、対処したことがとにかく多い一年でした。過去にこれととても似た感覚の時期を過ごしたことがあったけれど、いつだっけ…と考えたら、東日本大震災の直後から数ヶ月続いた慌ただしさと似ていたのかもしれません。個人にはどうしようもないような大きな力によって引き金を引かれたけれど、流れ弾に当たったら対処するのは個々人…みたいな徒労を感じています。
 引き受け切ったものもあるし、手伝いきれなくなったものもあるし、やってみたけれど力及ばず全員で諦めるしかなくなったものもあります。業態変更を余儀なくされた取引先や、年内の予定がすべて白紙になった企画、白紙をどうにかしようとした奔走。社会の様相が変わったことを機に、生き方・働き方自体を変えようとした経営者さんも少なくありませんでしたし、それに合わせる形で生じた数々の変更もありました。変更がうまくいかずに元に戻るまでの一部始終にも立ち会いました。中には「コロナ禍だから」まで言えば、その続きの「(やっぱりあなたに頼んだ仕事はナシです。支払いもナシです)」まで言わなくても約束を反故にしやすくなったんだろうな…という印象の企業もありました。感染してしまった人の代打、代打に入りすぎて調子を崩した人の代打、というのも夏以降は身近で増えたように思います。感染を隠したい人の影武者を打診された人は他にも居たので、少なくない数の人が病気そのものよりも誹謗中傷や差別を恐れているのだろうと感じます。隠したいという欲求についてどう評価するかは視座によって異なると思いますが、感染した患者さん・感染を疑われた人が受けた嫌がらせの内容を報道から確かめる限り、その気持ちは理解しやすいものでした。
 経営状態が悪化してしまった昔馴染みの手伝いは利益にならなくてもいいから苦境を一緒に乗り越えたい一心で快諾しましたが、逆に、久し振りに連絡が来た相手から業務だと思って引き受けたものが「コロナ禍だから持ちつ持たれつでしょ」みたいな言い分によるボランティアだった事もあったりして、とにかく、色々、でした。このご時世ですから連絡もままならないほど困った状況になっている企業も少なくないと想像しますが、報酬が振り込まれないまま連絡のなくなった取引先も何件かあります。目まぐるしく終えてしまいましたが、気が付けば最初に新型ウィルスが報道されてから一年経つんですね。

 今月、《コミック無職》と称した私のnoteも6周年を迎えましたが、併せて2021年は、2006年に20歳でデビューした私自身が画業15周年を迎える年でした。嬉しい節目を迎えたかった新年ですが、世の中の先行きが見通せない状況下でお祭りムードを作る踏ん切りもつかず、盛り上がれる気力も残っておらず、準備時間も確保できず、翻弄されていました。何かあるんじゃないかと楽しみにしていてくれた皆さん、ごめんなさい。
 慌ただしく過ごすうちに、せっかく描(書)き溜めた原稿もほとんどのタイトルがあっという間に底を突くところまで追い込まれ、主力連載以外の定期制作を中断せざるを得なくなって、目先目先で「お詫びの告知を出さなきゃ…」とは思うものの、じゃあ、いつ更新できるの?今回は更新できても、次回は?その後は?描き溜めたネームも原稿もストックがなくなるけど、どうするの?…もう少し目処が立ってから、確実な案内を出したほうがいいんじゃないか…?いや、何の目処もないけどとにかく待って待ってと連呼する?
 悩み始めるとキーボードを打つ手が止まって、案内を書き始めては下書きが古くなり、消す。また書き始めては状況が変わってしまって、書き直そうとする。書き途中のまま他の用事を済ませているうちにまた予定が変わって、消す。時間が経てば経つほど、説明しなければならないことが増えていって、お詫びと案内を書き上げるまでのハードルをどんどん上げてしまいました。
 先出の報道を立て続けに目にしたのは、そんな状況下でした。

 更新が遅れたお詫びだけをしたら今後も引き続きnoteで課金を受ける意思を端的に示したことになるかもしれない。でも、報道に触れて何かお話しするなら本分の更新はどうなっているんだというところを見通しを立ててアナウンスすべきじゃないか。主力連載の原稿ストックは若干残っているけれど、しらばっくれたみたいに無言でお金をもらう状況は作りたくない。
 入り組んだ話の全部をまとまった形でお話しする時間の余裕がうまく作れず、不意に自由な時間が現れても腹が据わらず、何も決断できないまま立ちすくんでいました。

 noteと運営会社を同じくしている件のメディアですが、編集部体制の変更のリリースを読んだら、新しい責任者として掲示されたのは私が昔お世話になった担当さんのお名前でした。(『ママ母手帳』『レズと七人の彼女たち』を初期から大事に扱ってくれて、のちに『お母さん二人いてもいいかな!?』を担当・刊行してくれた人です。私がお世話になったのは担当さんがまだ他社に居た時代の話ですが、)「そうだろう」と思いました。誰かの生身の人生を切り取って伝える、デリケートな読み物を扱う編集者として適任の方として知っています。私が知る頃のままであれば、「話題性を獲得しなきゃいけない・より多くの人に読まれなきゃいけない」という商業的課題と板挟みになりながらも、『キョーミ深いコンテンツ』として消費を狙うのではなく、「原稿に登場することにな(ってしま)った人の尊厳を守るべきだ」と頑張ってくれる編集者さんです。“(被写体・読者を含めた)他者”に対するきめ細かさを重要な目標の1つとするなら、刷新の時にお名前を拝見する機会があるだろうと思っていました。きっと大きなプレッシャーの中に在るのだろうと想像していますが、いつも通りの誠実な姿勢を貫いた仕事が為されることを心の底から信じています。
 集団で編み上げるもの、特に大きな媒体になればなるほど、必ずしもすべてにコントロールが及ぶわけではありません(及ぶべきだ、とは思いますが)。そこを統括する誰かを信頼できたとして、全知全能の神みたいな存在はないから(だからこそ、広く理解されない事柄に触れ、自分とは違う他者を理解しようと努め、誤ったと思ったらすぐに省みる人柄なのだろうと思います)、責任者が変わったところでまた何か起きるかもしれません。何か起きてしまった時に当事者になる人(たち)が負う傷や負担がなかったことになるわけではないから「何かあってもやり直せばいいよ!」という話ではないけれど、少なくとも「その媒体は継続される」ことと「継続されるからには改善・向上が試みられるべきである」ことを前提にお話しするなら、再発防止と、問題発生時の真摯な対応、いずれも期待できる人選だと思っています。そんなこともあって私は、素っ気なくnoteを去りたいわけではありません。

 私にとってnoteはただのオンラインサービスではなく「もうひとつの出身誌」です。サービス開始初年度から利用してきましたが、商業誌の仕事がなくなって無職になった零細作家がペンを折らずに創作活動を続けられたのは、自力でコンテンツ展開できる環境を用意してくれた企業があったお陰です。
 読者さん一人一人の名前で購入の通知が来るたびに、お店にお客さんが1人入ってきてくれたような気持ちになって、失業後の作業場で画面を見つめて感動したのを覚えています。5年以上経った今も、最新話を更新するたび馴染みのお客さんの名前で購入があると「○○さん毎度ありがとうございます」と思いながら通知を見送ったり、新しい読者さんの名前が表示されると「まだ新しく私が描いた原稿の中の人たちに出会ってくれる人が居て嬉しいなあ」と思ったり。この状況を作ってくれたのは読者の皆さんです。そして、商店街にずっと小さな店を構えるような体験をさせてくれたのはここでした。思い出や思い入れを振り切るのは辛いことですから、なるべくしたくありません。できれば、安心した気持ちでここに戻ることを望んでいます。

 ただ、まだ今は、私は結果として、近年の私の著作を読んでくれた多くの読者さんのお金を(私のアカウントを通過した金銭が物質として、または経理上直接的にそれらの予算に充当されたと考えているわけではありませんが)、セカンドレイプ的発想を助長したり、野宿者の「観察」を肯定する予算の断片にしてしまったのかもしれない…という自己嫌悪を、まったく処理できていません。

 すみませんが、時間をください。
 皆さんに会わせたい原稿の中の人や犬や、いろんなキャラクターたちがたくさん居るので、また日を置いてから、ご報告します。(中村 珍)