4月3日 水曜日 雨、時間|箱庭日記

見かけが若い(どちらかというと、幼い)とよく言われる。20歳になったときには同級生に信じられないと言われていたけれど、最近30歳になりまたもや周りの人に信じられないと言われている(でも正直、20代の中頃から30代後半くらいまでみんなあんまり変わんないというか実年齢分かんないなと思う。何となく年下だろうなとか年上だろうなみたいな嗅ぎ分けが少し前まではできていたけど、最近はそういう感覚もなくなってもっと違うところで人を捉えている)。たしかに自分は造形が幼げで、よくない意味で身なりが適当なので油断をするとすぐに中高生くらいに見える……もっと言うとTシャツにサンダルで出掛けたら小学生料金で通されそうになり、受付の方に「大人料金で……」と言ったら本当に戸惑われ、その時は流石に反省した。
造形が幼げで、身なりも適当であることが実年齢との差を生んでいるのだろうと思っていたし、実際にそのような期間は長くあったと思う。
けれどもある時から、自分は本当に実年齢とずれてしまっていると感じている。何度も何度も、22歳の春に引き戻されるのだ。
このことに気がついたのは大学を出て2、3年経った頃だろう。何となく、半年ごとくらいに時間が巻き戻り、次の春が来てもまた大学を出てすぐの頃の体感のまま次の一年を過ごす。これはただ自分が停滞しているだけだと思っていた。制作が遠くの人へも届くようになり、童子と暮らすようになり、引っ越しもしたここ数年はこの時間が巻き戻る感覚もいつの間にか消え、あの日々は不思議だったなと思っていた。巻き戻りが起こらなくなった日々の分だけ年月を重ね、実年齢が30になったときには20代の混沌から抜け、見晴らしのいい明るくてしっかりとした地に立った気持ちだった。
しかし昨日、約5年ぶりに時間の感覚が巻き戻った。しかもここは、22歳ではなく21歳の春だ。少し戸惑った。きっかけは分かった。ちょうどその頃に制作したもののことを思い出していて、それを同い年の友達に見せようと思ったのだ、「自分はこれを来月に完成させるんだよ」と。わたしはここで、おかしいなと気がついた。制作のことを思い出していた時は確かに「随分と過去のこと」だと思っていたのに、思考が先程の一文を終えるころには「(分岐した自分が)来月に完成させたもの」と当時の感覚で未来の出来事を見ていたのだ。さらに言えば、同い年の友達は全く同い年なんかじゃない……。
随分と戸惑った。これは精神がおかしな人のただの怖い話だろう。けれども私の感覚で言えば、本当に久しぶりに時間が巻き戻ってしまったのだ。
私が過去にタイムスリップしたのであれば、数年後に世界は未曾有の新型感染症に巻き込まれる。けれどもそんなことは起こらない。巻き戻ったのは私そのものであり、私がこれから何をして誰に出会っていくのかを知っているだけだ。しかし、私がそれらを行わず、その誰にも会わなければ色々なものが消えていくのかといえばそうではなく、分岐した自分がすべてを遂行する。線を一本引いた時間軸で捉えれば、それは確かに過去の出来事であるはずなのに、体感では過去として振り返ることができず、別の自分が何をするのかを知っており、その証拠に手元に作品があるという感覚だ。一度遊んだゲームを別のセーブデータで初めから遊ぶことに近い。もう一度はじめからやるけれど、蓄積されたものは手元にある、そんなかんじ

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