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【キュウリ】真夏の恋/RIOの歌詞についての考察【トマト】

キュウリ・トマト

あなたは、『真夏の恋』という曲を知っているだろうか?
様々なアーティストがいるから思い浮かべた曲は様々かもしれない。
だが、ここで語るのは『RIO』の『真夏の恋』である。

いや、何その曲?と思われる方は多かろう。
実際、曲名を言ってもピンとこないことは理解している。
では、質問を変えよう。

『あなたは、チューボーですよ!のOPをご存じだろうか?』
または
『キュウリ・トマト~!と歌われている曲をご存じだろうか?』

これだと何となく思い浮かぶ人が居るかもしれない。
そう、あの曲こそ『真夏の恋/RIO』なのである。

本稿は、なかなかに衝撃的なこの曲の歌詞について
もしかしてこういうことなのか?と思った解釈を
そこはかとなく書き連ねているだけである。
解釈だけ見たい場合は、『キュウリもトマトも、齧って齧られた』まで飛ばしてくれて構わない。
特に何かを表現したいわけではないが、
野望としては、この記事から『真夏の恋/RIO』に興味を持つ人が増え、
カラオケに収録されることを願っている。
一度聞いていただけるとわかると思うが、とてもソウルフルな曲なのだ。カラオケで歌いたい。

好きな人が出来た 塩を振って食べた

衝撃的なタイトルだが、これは『真夏の恋』の歌詞の一部である。
できればここから下を見る前に、一度原曲を聞いてくれると嬉しい。探せばきっと見つかるはずだ。
さて、全文は以下だ、


夢を見ていました
水を撒いてあげよう
風に磨かれている
ベランダの命

最近、どうしてたの?
いい夢見ていました
ハトが全部食べちゃう
新しい葉っぱ

好きな人が出来た
塩を振って食べた
真夜中にかじる
真っ赤な恋心

キュウリ・トマト 焼けつく太陽
私の純情 愛を注いで
愛をささえて このまま一生
真夏の恋
お願い太陽 キュウリ・トマト
強く照らして 好きならもっと
君はいない 風がさらった
真夏の恋

夢を見てよかった
ちっともよくなかった
風にさらされている
頼りない命

あれからどうしてるの
いい夢見ていますか?
あたし全部食べちゃう
あたらしい彼女

好きな人が出来た
塩を振って食べた
真夜中にかじる
つややかな緑

キュウリ・トマト 焼けつく太陽
私の純情 愛を注いで
愛をささえて このまま一生
真夏の恋
お願い太陽 キュウリ・トマト
強く照らして 好きならもっと
君はいない 風がさらった
真夏の恋

あんまり眩しい夏だから
日陰で一人で泣くわ

キュウリ・トマト 焼けつく太陽
私の純情 愛を注いで
愛をささえて このまま一生
真夏の恋
お願い太陽 キュウリ・トマト
強く照らして 好きならもっと
君はいない 風がさらった
真夏の恋

キュウリ・トマト 焼けつく太陽
私の純情 愛を注いで
愛をささえて このまま一生
真夏の恋
お願い太陽 キュウリ・トマト
強く照らして 好きならもっと
君はいない 風がさらった
真夏の恋


歌詞を見て「なるほどね、そういう歌詞の意味なのね」と納得できた方は、この時点で記事を閉じていただいても問題ない。
または、このまま続きを読んで、私の考えを吸収して知見の一つとしていただければ幸いだ。
さらに表現能力の優れた方ならば、私と違う考えでも同じ考えでも良いので、考えたことを世に出してほしい。私も他者の考えを享受したいのだ。
さて、初めてこの曲を聞いた私の感想は以下だ、

「好きな人が出来たの後になぜ塩を振って食べたが来るんだ……?」
「新しい彼女も食べるの……?」

いや、比喩表現なのは分かっている。
分かってはいるのだが、これが何の比喩表現なのかがわかっていなかった。
それがようやく、「もしかしてこういうことなの?」となったので、少し脳みそを共有したいと思ったのが、この記事を書いている事の顛末である。
本当にそれ以上の内容はないため、興味がない方は閉じてもらったほうが良い。

でも、『真夏の恋』は聞いてほしい。
カラオケに入れてほしいと投票してほしい。

そんなエゴもむき出しつつ、ここからは歌詞について思ったことを書き連ねていく。

真っ赤な恋心とつややかな緑


まず、大前提としてこの曲は『真夏の恋』の歌なのだ。歌詞の中に何度も出てきてそうじゃないなんてことは稀だろう。
で、それを直接的ではなく比喩で表現している。
ここまでは流石にわかる。
では、次に頻出している単語は何か?
そう、『キュウリ・トマト』である。
比喩的に出てきた『真っ赤な恋心』や『つややかな緑』もおそらく彼らのことだろう。
題材が違えばスーパーの野菜コーナーで『某おさかな天国』よろしく無限再生されていたかもしれない。さかなさかなさかな。
さて、『恋心』と『2種類のはっきりと色が違う野菜』。これらはおそらく『男女』を表しているに違いなかろう。キュウリが男、トマトが女だ。このあたりはだいたい察することができる。
だが、これがわかったところで何なのだ?
なら、次に着目すべきは他の単語も何を意味してるか解釈すべきだ。
他に頻出する単語は何か?
着目すべきは「食べる」ことを表す単語だ。「かじる」「食べる」と種類豊富に登場する。
男女と食べる、それに意味深な「愛を注ぐ」や「私の純情」だのを絡めると、おそらく性的な意味合いが強く思える。
なんかカニバリズムを孕んだ狂気の歌詞かと思いきや、わりと生々しい肉体的な恋の歌だったわけだ。
さて、それを踏まえ、改めて歌詞を見るとそこかしこの歌詞がわりとストンと理解できる。
見出しタイトルにも入れた「好きな人が出来た 塩を振って食べた」は、おそらく「気になる人が出来たので肉体的接触をした」の意味合いだと考える。
だが、「食べる」が性的な意味合いだけで使われているわけでもない。「食べる」という言葉には何かを排除した上で糧とする意味合いもこもっている。
「わたし全部食べちゃう 新しい彼女」はおそらく好きな人に新しく出来た彼女を排除してしまおうか、という意味合いなのだろう。
そう、改めて言うまでもないかもしれないが、この曲の女性は失恋しているのだ。

夢を見ていました

表題はこの曲の初めに出てくる歌詞だ。
この曲の主人公は夢を見ていたらしい。
それはどんな夢なのだろうか?
そう思って読んでるうちにあることに気がついた。
視点は一貫しているが、発言元が違う発言がある。
「夢を見てよかった ちっともよくなかった」が一番わかり易い。よかったと言った瞬間にそれを全否定している。これは何かがおかしい。
そこで、上で述べていた視点だ。この歌詞の語り口は一貫してひとつだが、おそらくいくつかの歌詞は、聞いたことをそのまま書いてある部分がある。
この、「夢を見てよかった」と「ちっとも良くなかった」はよかったと言ってる側の人間の発言を受けて、ちっとも良くないと思っている語り手の感想を述べているのだろう。
この語り手だが、女性と男性どちらだろうか?
ここで改めて歌詞を見直すと、次の一節がある。
「あんまり眩しい夏だから 日陰で一人で泣くわ」
この「泣くわ」はもしかしたら関西弁の意味合いかもしれないが、流石に女言葉の「〜だわ」の意味合いだろう。
一人なのに泣いていることを知っていることから、語り手はこの女性だと思われる。
他に気になるところとして、歌詞の最初に登場した「水を撒いてあげよう」や「風に磨かれている」というベランダで何かを育成している歌詞が後半は見る影もなく消えている。
わたしは、これこそが彼女持っていた恋心だと考えている。
当初彼女は恋心を育てていたのだ。おそらくキュウリの彼に。だが、何かがきっかけで「日陰で一人で泣く」ことになっている。
そのきっかけはおそらく「ハトに葉っぱを食べられたから」であろう。
ハトはそれすなわち、恋心を横から台無しにする存在、おそらく「新しい彼女」だと思われる。
さて、このあたりで一度状況を整理してみる。
 ・この曲は恋愛の歌
 ・男性と女性のわりと肉体的な話が出ている
 ・登場人物は「キュウリ(おそらく男性)」「トマト(おそらく女性)」「ハト(新しい彼女)」である
 ・語り口の女性は「ちっともよくない夢を見ている」
 ・相手の男性は「夢を見てよかった」と述べている
 ・語り手はどうやら女性
 ・育てる意味合いが含まれるものが指すのはおそらく恋心
これらを踏まえて、わたしの考えるこの曲の解釈を、次の章にまとめる。

キュウリもトマトも齧って齧られた


物語は語り手である女性が夢見ていた事柄から始まる。
女性はある恋心を抱いていた。
それは、そこそこに仲の良い男性で近況を報告し合うような仲だった。
そんな中、いつものように「最近どうしてたの?」と尋ねると彼から「いい夢を見てい」たと言われる。
その発言から状況は一変する。
どうやら彼女が恋心を育てている間に、ハトこと新しい彼女が、彼と付き合うことになってしまった。


ここまでが、曲で言う『ハトが全部食べちゃう 新しい葉っぱ』の部分だ。
続ける。


彼女は悩んだ。彼をどうにかして自分のものにできないかと。
そうして出した結論が肉体的に彼と交わることであった。
純情を捧げ、彼と一つになった彼女だったが残念ながら結果は思わしくないものだった。
彼はその交わりを「いい夢」だったと評した。
彼女にとってはそれは「ちっともよくない」。
それから、恋心は残りつつも彼とは新しい彼女の登場から疎遠になる。
「あれからどうしてるの」と思いを馳せつつ、彼女と「いい夢を見ているの」かと問うのだった。
そして、語り手の彼女は日陰で一人、失恋の悲しみで泣くのだった。


これが、私の思う『真夏の恋』の歌詞の解釈だ。
サビで何度も叩きつけられるように歌われる「愛を支えて このまま一生」に痛々しいまでの悲痛さがうかがえる。
だがそれと同時に風、つまり「新しい彼女」にさらわれてかき消えたことは彼女も理解していたのだ『真夏の恋』は、一夏に起きた失恋と悲痛な願いを歌い上げるものだった。
これが、私のこの歌への考えの全てだ。

カラオケで歌わせてくれ

さて、長々と書かれた散文をここまで読んでくれて本当に嬉しい。
そして、少しでも『真夏の恋』を好きになってくれたならもっと嬉しい。
さて、最初にも書いたがわたしの野望は、この記事から『真夏の恋/RIO』に興味を持つ人が増え、カラオケに収録されることだ。
どうかカラオケ収録投票で清き一票を入れてほしい。
いや、マジで歌いたいのよ。お願いします。

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