本当の自分
飲み会が苦手だ。飲み会に参加していると本当の自分が分からなくなる。一人の自分がいる一方で、もう一人の自分がいて、頭の中に二人の自分が同居しているような感覚。自分が自分を操る、まさにそんな感じ。自己を見失い、精神が激しく消耗されるのが飲み会である。
関西の大学に入学したての頃、関西出身の友達からこんなことを言われた。「おまえさぁ、愛想笑いやめぇや。自分の感情を偽って無理して笑ってるのバレてるねん。相手を不快にさせたくないのか、相手に嫌われたくないのか、相手に良い印象を与えたいのか知らんけど、とにかく相手の反応に合わせた態度を取るのは止めた方がいい」。なるほど、本質を突いている。当時はそんなことを思っていた。
ふとした時、この言葉が脳裏を過る。特に飲み会に参加している時。
飲み会では自分の感情をそのまま曝け出している。盛り上がっている場でも、その場の雰囲気に合わせて無理に笑顔を作ったりはしない。基本的に仏頂面で話を聞いている。だって、相手の話が面白くないのだから。自分の感情が揺れ動かないのに、どうやって笑顔を作れと言うのか。楽しい雰囲気に合わせて、笑顔を作ったほうが事が上手く運ぶのは理解している。でも、それはやらない。やらないというよりできないといったほうが適切か。場の雰囲気をよくしていけるコミュニケーション力、社交性が私には備わってない。相手の話に合わせて調子の良いことを言ったり、場を盛り上げるような振る舞いはできない。器用に物事を推し進めていけないのである。だから、楽しくなければ笑わないし、そしてそれが表情に表れているので、よく友達から「帰りたそうな顔してるなぁ」といった指摘を受ける。そう思われても構わない。無理して明るく振る舞ったところで、偽りの態度であることは相手に見透かされる。相手が無理に笑っていたと知ったら誰だっていい気はしない。だったら、最初から自分を偽らずありのままの自分でいたほうがいい。飲み会の難しさはその感情の出し方にある。偽りの振る舞いは、相手に良い印象を与えないし、仏頂面でいたら、「楽しくないのかな、私の話がつまらないのかな」と相手に不快感を与える。従って、どちらの態度を取っても受けが悪いという結果になる。
最近は飲み会の誘いを受けても、断ることにしている。大人数の場が苦手ということもあるが、周囲の話についていけず、孤独を感じてしまうのが断る最大の理由である。大人数で騒いでいるのに孤独感、空虚感を感じる。誰かの話に関心が集まる中、一人だけ意識が別のところにある感覚。まるで暗闇の中に放り出され、凝然と立ちつくしているような感じ。そして、この感覚を味わう時に孤独を感じる。
家で一人で誰とも喋らない状況では孤独を感じることなく、飲み会等の大人数での集まりに限って猛烈な孤独感に襲われる。一人ぼっちで家で好きなことをしている方が遥かに気が楽だ。そこに孤独はないし、安心感と安堵感に包まれ、精神が安定する。
一方、飲み会では孤独を強く感じる。人が大勢いるとか関係ない。大勢の中にいるときの方が孤独を感じるのだ。そして、その状況が一番つらい。孤独よりも孤立と表現した方が良いのかもしれない、
ある時、入学したてに出会った友達から投げかけられた言葉がチクリチクリと喉奥を指す。忘れられない言葉である。今の私を支えていると言っていい。
その友達はゴールデンウィーク明けから学校に来なくなった。燃え尽き症候群にかかったのか、精神を患ったのか、その理由は今も分からない。あの時の言葉は、「廃構の自分を作っていたら、自分みたいになるぞ」というアドバイスだったのかもしれない。彼もまた、コミュニケーションに疲れを感じていたのだろう。