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叩けばほこりが出る

気持ちの良い快晴だったので、久しぶりに布団を干した。

僕は、布団を干すのが苦手だ。理由は2つある。

1つ目は布団は干すと、ほかほかのぱりぱりになってしまう点で、これは、むしろそのために干すのだし、いいことのように思えるかもしれない。しかし、僕は、やや湿気ってへなへなの布団のほうが好きだ。へなへなの布団にへなへなとまとわりついて眠るのが好きなのである。そのため、布団を干すこと自体がデメリットに感じてしまうのである。
一方でもちろん、衛生的にずっと干さずにいるのが悪いであろうことも分かっている。そのため、仕方なく今日のように絶好の“布団干し日和”が来たら干すことにしている。

さて、いざ布団を干すとなって、ここでもう一つの“苦手な理由”が登場する。
干した布団を叩きたくなってしまうのだ。
そんなの叩いて当然、と思った方。仲良くしましょう。
実際、パンパンと布団を叩くのはとても楽しいし、ほこりやらダニやらを噴出するのが目でわかるので、布団干しという工程の中で非常に達成感を感じられる。
しかし、布団を叩くのは、布団を痛めたり、余計なほこりを生み出してしまう(中綿がほこりとして出てしまう)などデメリットが多いそうだ。
そこで、仕方なく、最近は布団を叩くのを諦めている。
するとフラストレーションが沸いてしまう。これが、2つ目の布団干しが苦手な理由だ。

思えば、僕は、「健全な生活」をしようと目指したときに布団を干している気がする。最近はめっきり「健全な生活」を送れていないので、その不安を煽るかのような快晴の日に、これを機に「健全な生活」を送ろうと、その第一歩、健全の象徴として布団を干している、と感じる。
「おら、まず布団干したぞ、健全への第一歩だぞ、しゃっきりしろ」と自分で自分に言い聞かせるように。

一方で、布団を干したからといって、それだけでしゃっきりするのには無理がある。それでも自分の中の自分は、干した布団を叩くように、自分自身を叩き、鼓舞するのだ。余計なことに時間を費やさぬよう、真っ当なことを全うに行なうように、と。干したての布団のようにしゃっきりとしなくてはならないと。
それがかえって、圧になり自分の行動を狭めてしまうとも考えず。

干した布団を叩いてはいけないのは先に述べたとおりだが、では、ダニやほこりはどう対処したらいいものか。これは、掃除機で吸ったり、布団叩きで撫でて払い落とすのが正しいらしい。布団“叩き”という暴力的な響きを持つ道具は、叩くのではなく、撫でるために使われるのだという。布団を優しく撫で、表面のほこりやダニを払う。こうすることで余計なほこりを出したり、布団を痛めることが無いのだという。

快晴の1日、しゃっきりとした健全な日々、求めるのは悪くない。しかし、無理に叩くことで、余計なほこりを出してしまうことはないのだろう。
叩かれないまま、ほかほかと取り込まれる布団を見て、そう思った。

今夜はよく眠れると良い。

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