「愛の不時着」を見た

 「悲劇派」か「ハッピーエンド派」かと聞かれれば、私は断固として「悲劇派」だ。ことに、昨今蔓延する安易なハッピーエンド主義には強い危機感を感じている。
 ああ、それなのに、それなのに…である。「愛の不時着」を見ている時の私は激しく「ハッピーエンド派」になってしまった。
 
 もうひとつ。ネタバレに関して「厳禁派」か「容認派」かと聞かれれば、どちらかというと「容認派」であった。ことに演劇に関しては「ネタバレになっちゃうけど、いい?」と前置きしつつ、ネタバレ満載の感想をベラベラ喋るタイプである。
 ところが、「愛の不時着」を見ている時の私は、自分でもびっくりするぐらいネタバレを恐れ続けた。ネット検索の類を避けたのはもちろん、SNSで何かを発信することで無邪気なネタバレコメントが返ってくることさえも嫌だった。
 
 たぶん私は1日に受け取れる感動のキャパシティが小さすぎるのだろう。1日1話見ていっぱいいっぱいになってしまう。しかも、見終わった後現実に戻るのにも時間がかかる。だから必ず1日の最後にしか見ることができない。
 
 したがって、毎日日中は粛々と仕事をこなし、夕食後20時を過ぎてからようやく視聴開始。TwitterやLINEで騒ぐこともなく一人でそっと感動を噛み締めながら就寝、という静かで規則正しい生活を16日間続けたのである。
 
 かくのごとく私をあっさりと転向させた理由は何だったのだろう? それはひとえに、主人公のリ・ジョンヒョクとユン・セリが、一視聴者たる私にとってさえも愛おしい存在になってしまったから。そして、そんな二人の間を引き裂くものが「38度線」であったからではないかと思う。
 
 自分でもびっくりするほど「絶対に幸せになって欲しい!」と願い続けた16日間だった。しかし、彼らを隔てるのは、今この時にも2つの国を厳然と隔て続け、決して越えることができない「38度線」である。
 
 9話まで見終わった時点での私の心からの希望は、南北が統一されジョンヒョクとセリがハッピーエンドになるという結末だった。しかし、そんな結末はどう考えても無理に決まっている。だからネタバレで結末を知ることがとても怖かったのだと思う。
 
 「愛の不時着」は私にとって、そんな前代未聞なドラマだった。
 
(以下ネタバレ)




 さて、そんな16日間を過ごし、昨晩ようやく最終回を見終わった。南北はもちろん統一しなかった。だが、ドラマの結末は厳しい現実の中で取りうる最良の道だった。とにかく二人は再会でき、幸せに生きていきそうだ。そして二人を取り巻くほとんどの人たちも。良かった。ホッとした。
 
 何が良かったかってジョンヒョクとセリの再会が、「願い続ければ必ず再び会える」と信じ続けて、自助努力で勝ち取ったものだったことだ。「それは政治局長の息子と財閥令嬢だったからできたことでは?」という野暮なツッコミはこの際言いっこなしにしよう。
 
 ふたりが別れ別れになってからもセリのところに届くジョンヒョクからのメールは、日常の何でもないことを大切にすることが幸せにつながることを教えてくれる。麺を茹でるのも上手いし豆から煎って美味しいコーヒーも淹れてくれる。トマトも栽培する。顔天才中隊長のそんなところがとても好きである。
 
 奇跡の再会がパラグライダーの落下地点だったことも象徴的だ。かつてあれほどの大惨事に巻き込まれても、なおかつ恐れずパラグライダーで飛び続ける。セリはそんな女性だ。だからこそ、奇跡の幸運を掴みとれたのではないかと思う。
 
 並行して進む、ク・スンジュンとソ・ダンの恋物語も素敵だった。このふたりは共に、登場時は相当イヤな奴だ。ク・スンジュンは良心のかけらも感じさせない人間のクズだし、ダンは美人だが高慢で頑ななお嬢様である。そんなふたりが出会うことで変わっていく。ふたりの結末は悲劇だったが死に際のク・スンジュンはおそらく人生で最高に幸せだったろうし、その後のダンもかっこよく生きてそうである。
 
 さて、このドラマには「究極の純愛物語」的な面以外にもいくつか魅力的な側面がある。特に好きなのが、全編通じてやたらユーモラスな場面が多いことだ。
 
 私のお気に入り場面はまず、ソウルにやってきたジョンヒョクがゲームにハマってしまうところ。その際のニックネームが「トマト栽培者」なこと、ゲーム上の宿敵が実は最年少の可愛い部下ウンドンだとわかって密かに悔しがるところ。
 韓国の国家情報院がやたらユルいのも面白い。課長の人情味溢れる対応もいいが、部下(なぜかやたらイケメン)が何の役にも立たない調査報告を大真面目にするところも好きだ。
 
 主人公が危機に陥るハラハラドキドキな局面にもなおかつユーモラスな場面を突っ込んでくる落差に翻弄される。生死の境を彷徨うセリの病室に、耳野郎マンボクさんが潜り込んで盗聴器つけちゃうところなど最高である。ク・スンジュンの最期の言葉が「ラーメンと、ラーメンをご馳走してくれる男と、僕自身と、どれが好きだったのか」なのも絶妙だ。
 
 もうひとつ好きだったのが、南北境界線近くの村で人たちの暮らしぶりだ。しょっちゅう停電するし、お洒落なものは闇市でしか買えないし、言論の自由もないけれど、それでも人々は情愛で結ばれた家族や地域コミュニティの中で逞しく生きている。ジョンヒョクの部下4人組や、村の女性たち4人組の場面は、いつも愉快で楽しくて、そして手作りの素朴な食事がいつも美味しそうだった。そこには、ソウルや平壌では失われてしまった大事なものがまだ残っている気がした。
 
 このドラマで、愛は38度線を超えた。
 理不尽に分断され、行き来はおろかメールのやり取りさえもできない2つの国という、現代の世界で最も厳しい現実の中で、最高に優しく温かく美しい愛のドラマを描いてみせた。人はそこに希望を見出すことができる。このドラマに「ハマる理由」はざっくりいうとそんなところにあるのかもしれない。
 
 長々と書いた。書いておけないと次に進めないような気がしたから書いた。
 さて、次はどこに進もう。「梨泰院クラス」に行く人も多いようだが、もう少しだけ「愛の不時着」の世界に止まって深く味わっていたい、そんな気もしている。

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