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【ハナヤマタ】関谷なるの魅力について

 初めまして。コンテナ店子と言います。

 今回はハナヤマタの主人公、関谷なるの魅力について語ります。当然ですが、作中で一番スポットが当たっているキャラクターですし、彼女なしに本作品を語ることはできないと言えるでしょう。

 自分が以前の記事でハナヤマタその物の魅力についても語りました。当然、彼女の存在は常に話の中心にいるがために、そこと少し被ってしまう部分もあるとは思います。ですが、それは本作品がキャラクターの内面を掘り下げると言う部分に尺の多くを使っているからで、それだけ人間ドラマとして素晴らしいからであると言えるでしょう。

 それでは行きます。あと、当然ですが、これはあくまで個人の意見です。これと違う意見を持っている人がいるからと言って、それがダメだとは決して思いません。


①他人の行いに対して常に真剣に向き合っている


 なるは他人の言う事や行うことに対して決してスルーせずに真剣に取り組んで、どのような結果を出すにしてもそれを伝えようとします。
 例をあげるのであれば、よさこいを一緒にやろうと誘ってくるハナに対して、拒否した後も、それで終わりにせずに後から彼女の姿を見ている様子(1巻P82)。感じたことや思ったことをすぐ他人に伝えようとする姿(2巻P171)が言えるでしょう。

なるが思ったことをすぐ伝えようとするシーン

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引用元:浜弓場双(2012).ハナヤマタ②(P171) 株式会社芳文社


 このように、彼女はいつも目の前で起きていることに対して自分には関係ないと思ったり、無視するようなことはありません。友達が悩んでいる時や何かをしている時は助けてあげたいと思うし、自分が感じたことは伝えて、それを共有したいと思っているし、それに対して悩んだり落ち込んだりしています。それは、相手が他人であっても同様です。

 このようなキャラクターが主人公になっているので、起きていることやキャラクター同士の会話にすごく重みを感じます。以前の時も言いましたが、起きていることに対してキャラクターがどれだけ真剣に取り組んでいるかというポイントは、ストーリーを読み取る時の感じ方に大きく関わってきます。

 なぜなら、今起きていることがキャラクターにとって、どれほど大事なことであるかが理解できるようになっていないと、そこで起きていることがどうでもよくなってしまいます。
 これは、作品の中で起きたことは一切現実の読者に対して干渉できないため、作中のキャラクターがどうなっているかでしか、読んでいる私たちは体感できないからです。

 話の捉え方がなるを中心にしていると言うことで、彼女が真剣に取り組んでいることに対して成功して欲しいと感じたり、傷つけ合った仲間同士を見て仲直りして欲しいと言う気持ちが強くなります。どんな些細なことでも、本気で取り組んでいる姿が映っているため、見ている側としてもずっと興味を持ち続けられるのです。

 これが有効に機能しているシーンを1つ紹介すると、7組目「つぼみ。」においてヤヤがなると自分がどういった関係であるか解説するシーンがあります(1巻P156)。これは、ほんの数コマだけでのバックストーリーの説明になっていますが、なるがよさこいを始めるきっかけとなった最初のエピソードの際に、このようなキャラクター性について理解できるようになっていたため、「ヤヤちゃんはすごいね」などのセリフを言っているだけでも、それにどれだけの重みがあるのかを表現できていると評価しています。

ヤヤなるのバックストーリーのシーン

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引用元:浜弓場双(2011).ハナヤマタ①(P156) 株式会社芳文社


 つまり、読者と同じようになるの姿を見て来たヤヤが、その言葉に対して、どれほどの熱意を感じているかというところが、彼女にも伝わっているのは言うまでもないでしょう。なので、具体的に彼女らが仲良くなったきっかけというところで説明が少なくても、真剣に感情を伝えようとしている姿を何ども見ているので問題がありません。

 タミとなるが雨が降ってる時橋の上でに会話するシーン(2巻P116)やヤヤと屋上で抱き合うシーンなど(3巻P159)、どちらにも重みを感じるのは、いつも彼女が本気で悩んで考えているからです。特に、ヤヤの方に至ってはもう話しかけるなと言われているというのにそれでもやる姿が心を打つのは、一度挫折をして泣くほど悲しくなっているし、それからヤヤの事が好きであると再認識している様に、どれだけ彼女が仲直りしたいかという気持ちを描かれているからです(3巻P154)。

 ただ、彼女は本気でやっているからこそ、失敗をしてしまった時にはそれに強く落ち込みます。27組目「かえるピョコピョコ」のシーンがいい例です。ずっと本気で練習していたからこそ、みんなもそれだけの思い込めてイベントに参加していたと思っていたはずです。だから、ハナに会いたくないと思ったのです(4巻P47)。

 このように、本作においてなるの真剣に他人の事やよさこいに打ち込む姿は話の推進力となっていると思いますし、その姿を応援したくなるがために、読者に感動を誘うようになっています。


②話を通しての成長度が良く見える


 他のキャラクターも成長に関しては確かにしていると思います。ただ、その変化が一番わかりやすいのはなるであると言えるでしょう。本人もそれを大切にしているのは、16組目「花*花」でお父さんに自分の変化を聞くシーンがあるのが根拠になります(3巻P17)。

 なるの成長に関してすごく好きな理由の1つとして、本人がそれを目標としていて、その気持ちによって周囲も動かされて行くという点にあると思います。具体的に説明すると、9組目「Princess×Princess」において、他人にいつも支えて貰っていたから次は自分たちが誰かの力になりたいと言うシーンがあります(2巻P46)。このシーンが自分はとても好きで、ただ軽い気持ちで言った憧れが大切な人を思う気持ちから発揮されて、それが後々タミを救うことになるというのが心に響きました。

 ただ、よさこいを始めて以降のなるの目標がこの部分があります。その根拠として、27組目「かえるピョコピョコ」において、イベントで失敗してしまった自分を「弱虫で情けない」と表現したところがあります。弱虫はともかくとして、情けないと表現したのは、やはりここまで一緒にやってこれたなるは、憧れだったヤヤやタミに近づけていたと思い込んでいたからに他ならないでしょう。

 そして、このシーンでタミとヤヤから励まされたことにより、過去に慰めて貰った回想が映るのは(4巻P109)、この目標が前に行き過ぎていて、私も頑張らなくてはという気持ちが強くなっていたからにほかなりません。

 あと、上で少し言いました、誰かの力になりたいというなるの気持ちがタミの一歩を後押しするシーンというのが好きなことですが、これについて語らせてください。
 そもそもこれはタミやヤヤに子供の頃から支えられてきたからそういう気持ちになるがなったわけだし、タミの他人を思う優しい気持ちや、お父様の求めるお姫様として生きて来た過去の自分が決して無駄だったわけではないと言うことになるのが何より素晴らしいです。

 そして、この目標を目指して努力するなるにとって最大の試練時が来ます。そうです。ハナの帰国です。当然、なるにとってもいなくなって欲しくないと言う気持ちは強いはずです。
 それは、送り出した後に現れそうと言っているのから自明でしょう(5巻P126)。でも、それでも送り出そうとするのは、やはり誰かの支えになりたいと言う気持ちから来ているのだと思います。ここでもし行かないでと言えばより彼女を悩ませることになるから、他人を支えてあげたい、悩んでいるハナの力になってあげたい、本当にハナの事が好きだから、笑顔になって欲しいと思っているからこそ出来た行動なのです。

 あと、このシーンにおいて空港などでのお別れシーンなどがないのは(アニメ版ではありますが)、それだけ喪失感、キャラクターの間に出来た穴を表現するためだと思います。そこを埋めなければならない新しいよさこい部のリーダーとして、みんなを引っ張っていくことの負担の大きさを表現するためには、良い取捨選択であったと言えるでしょう。


 このように、なるの成長は、目標がはっきりしている上に、それをずっとブレずに追い続けているし、それが他の人の支えになることで結果として現れるから、終盤ではけっこう展開が早くても感動的なのです。特にヤヤとマチが4人でイベントへ出るか喧嘩するシーンは本当に一瞬で終わりますが、とても好きなシーンです(5巻P113)。


③喜怒哀楽が激しい


 これは①の他人に対して真剣であると言うところと被ってしまいますが、なるは常に本気で物事に取り組もうとするため喜怒哀楽が激しく、他人の出来事や一緒に何かをしていることに対して、すぐに喜び、そして悲しいことや思い通りに行かないことが起こると泣いてしまいます。そして、ごくまれに怒ります。なので、思ったことや考えたこと、感じたことがすぐ顔に出るがために、細かい表情の変化の表現が一番豊かに描かれているキャラクターだと思います。

 特にそれが良く映っているシーンを1つあげると、3組目「手のナル方へ」において、屋上ではハナに対してなるが自分の思っていることを伝えるシーンで、自分に対して勝手なことを言うハナに怒りだします(1巻P96)。それ以外にも、その次のページでは泣き出しますし、怒ってる時も泣いてる時も、コマごとに表情が変わっていて、だんだん感情が高ぶっていく姿や変化していく姿を読み取ることが出来ます。

 これにより、より現実的に感情が伝わってきます。ただ今怒っている、悲しんでいると言うだけでなく、どの程度その感情が出ているのかというところまで細かくこの漫画では描かれています。そして、それが、より鮮明に変化を映し出していると思われるのがなるだと、自分はそう言いたいのです。

 特に、たまに出てくる怒りの部分が現れた時に、普段それが見えないからこそ、自分のアイデンティティだったり、大切な物を守るために露わにすると言うところが感動的に感じます。一番それが現れてたところは、21組目「ガールズ・アイデンティティ」において、バンドが解散してしまったヤヤを慰めようとした時、メンバーの事を「仲良しごっこ」と言われたシーンになります(3巻P137)。

なるが本気で怒るシーン

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引用元:浜弓場双(2013).ハナヤマタ③(P138) 株式会社芳文社

 このシーンは大好きすぎて、ここを語るだけの記事を出したいくらいです。前の記事で解説しましたが、よさこい部のキャラクターにとって、大事なことはよさこいをすることではなく、その際に感じたことです。
 なので、その中で感じた友情や一緒に何かをする楽しさをバカにされた仲良しごっこ扱いというのは、今まで自分が築きあげて来た物そのものを否定された行為です。よって、本気でなるがキレているのも納得できますし、珍しく出て来ていたという点に興味をそそられます。特に、今回はヤヤもその輪の中にいたがために、自分に対して楽しそうにしていたのは嘘だったのかという気持ちも一緒だったという点もあるでしょう。


 このように、なるは感情の変化が激しいし、その強さにも細かさがあるがために、今彼女へ起こっていることに対してどれほどの気持ちを持っているのか、ということが伝わりやすくなっています。それにより、好きになれている主人公に対して嫌なことがあったらそれに共感して悲しめますし、いいことがあったら同じように喜べるのです。
 そういう意味で、なるは主人公だからというのもありますが、一番読者から見ていて感情移入しやすいキャラクターであるといえるでしょう。


④セリフ回しやヴィジュアルがメルヘン


 なるについて知っている人であればこれについては根拠を上げる必要はないでしょう。なので、なぜメルヘンな彼女の性格が作風に合っているのか。というところについて解説します。

 ハナヤマタはおとぎ話のようである、詩的であると感じることが読んでいてないでしょうか。それは不思議な少女との出会いがストーリーの冒頭となっているのもそうですが、花の様子がよく描かれている点や薄い光がよく使われている点、キャラクターの線を細く描いている点などがあげられます。

 そして、同じくおとぎ話のようだと言われる作品の主人公として、2018年アカデミー賞にて作品賞を撮った映画、『シェイプ・オブ・ウォーター』を例に出してみましょう。この主人公である発話障害を持っている彼女は、手話で話すシーンはあれどあまり言葉を発しないため、彼女がいるシーンは常に静かですし、バスルームを水でいっぱいにするなど、奇妙な行動もたびたびあります。特に謎の半魚人と一緒にいるシーンは音で認識し合ったり、言葉で解説せずに互いの距離を詰めていきます。また、サリー・ホーキンスの物悲しげな女性としての演技もそれに拍車をかけています。

 『シェイプ・オブ・ウォーター』の例のように、おとぎ話ような作風の話を作る際に使う主人公は、論理だけで説明できない行動だったり、細かな表情の変化、周囲の風景に合わせても違和感がないキャラクターでなければなりません。そういう意味で、なるはこれに適していると言えるでしょう。

 これについて、もちろん、おとぎ話などに関心があるというのもありますが、彼女の体系が他のキャラクターよりも少し丸みを帯びているのが例に上がります。これは、同じく幻想的な作品であると宣伝されている映画『シシリアン・ゴースト・ストーリー』で夢の中で歩く少女を演じたユリア・イェドリコヴスカを例に挙げれば合っていると言うのがわかりやすいでしょう。

 それ以外にも、セリフ回しが幻想的なことが多く、こういうと多くの人が思い浮かべるであろう、始めて生でよさこいを見に行く回はとてもいい例となります(2巻P149)(2巻P171)。特に後半のシーンは、幻想的に映すことで夢を見ているような感覚にさせる効果があり、キャラクターが生でよさこいを見た感覚を共感させる結果を生み出しています。
 これは、上記の『シェイプ・オブ・ウォーター』の冒頭が海の中で浮かぶ家の家具を映すシーンから始まることや、『シシリアン・ゴースト・ストーリー』で少女が夢を見ている時に水の中に思い人がいる表現と酷似してると言えるでしょう。

 また、彼女を映すコマの1つ1つを見てみるとわかりますが、彼女の様子は頭がまっすぐ立っている時よりも傾けて映っている時が多いです。例えば、タミによさこいを見せるシーンを例に出すと、ハナがまっすぐと体を伸ばすキメポーズをしている一方で、なるはまだ重力に引かれているようなポーズを取ります。このように、彼女の行動が柔らかい印象を見せることで、上記のような効果を与えようとしています(2巻P62)。

 このように、なるはキャラクターとしておとぎ話が好きなのはもちろんのこと、それ以外にも彼女の言動から作品自体を幻想的に描こうとしている様子が多々見られ、作風に合わせて計算されたキャラクターとして作られていると感じます。


⑤上田麗奈の演技


 これはアニメ版に限定した魅力ですが、なる役を演じた上田麗奈の演技が素晴らしいです。正直、この時にはまだほとんど新人同然だったし、主演は初挑戦だった彼女がこれほどまでに素晴らしい演技をしていることに驚きです。

 彼女は相当に声が上ずったような話し方をします。これは上でも言った通り、なるはいつも本気で他人の事を思ったり、感情に振り回されやすい性格なので、それを表現するためにこのような演技になったのだと思います。
 あんまり活発なキャラではないですが、自分から行動をする際には、いつも何かしらの感情が動いてて、他人の事を思ったり、周囲の事に振り回されやすいために緊張しているような話し方をしています。

 また、常に高いトーンを繋いでいるため、その中で高低さを付けるのは難しいことだと思いますが、上田麗奈はそのあたりでも違和感がなかったと思いますし、高い音はキンキン耳に響くとうるさく感じてしまう時がまれにありますが、個人的には不快に感じたことはありません。

 また、彼女の歌い方にもついても評価しています。『花ハ踊レヤいろはにほ』ですが、アニメにおいてこれを収録したのは全員が揃ったかなり終盤です。初期の頃だと、彼女の普段の演技と違うと感じるかもしれないですが、この曲は、挫折と成功を繰り返して自分の中にある程度自信が付いてきて、花彩よさこい祭りに向けた最終調整をしている時期です。
 なので、比較的落ち着いた声になるのはおかしな話ではないと思います。

 このような演技になった要因ですが、個人的には監督のいしづかあつこの影響が大きいと思っています。彼女が同じく監督したアニメ『宇宙よりも遠い場所』において、なると同じく内気な性格で自分の殻を突き破って新しいことに挑戦しようとする主人公を演じた水瀬いのりを例に出すとわかりやすいでしょう。


 トーンがかなりハナヤマタと比べて現実よりであった本作はなるのように変わった話し方はしませんが、その一方で他のキャラクターと比べてかなりゆったりとした喋り方を見せています。その浮遊感漂う感じは、時に説明のない行動をするそのキャラクターらしさを表現しているかのようでした。

 実写の作品でこのような演技は絶対無理ですし、演技を大げさに表現しがちなアニメーション作品においても、独特な話し方をしていてもギャグにならない彼女の演技はとても素晴らしかったと言えるでしょう。実はあまり声優の事情に詳しくないので、そこまで多くは語れませんが、他に見ないような表現をしながらも、それを上手くやってのけた彼女は賞賛に値します。


⑥まとめ


 以上がハナヤマタの主人公であるなるの個人的に思う魅力です。もちろん、詩的で独特な作品なので、人によって感じ方は変るのは言うまでもないでしょう。なので、自分の考えと違うと言う人は絶対いると思いますし、むしろそういう人の意見も聞いてみたいです。

 今の所思うところをまとめておくと
①何事にも真剣に取り組むので、読者が彼女を通して作中で起きている事に関心を向けやすくなっている
②キャラクターの内面の成長という部分が作中で一番描かれている
③感情表現に激しく、特に怒りの感情の爆発が心にしみわたる
④トーンにキャラクターを合わせているので作品が自然に仕上がっている
⑤上田麗奈の演技が独特で興味深い

 というような形になります。

 今後も、まだまだハナヤマタについて語りたいことはいっぱいあります。
 もちろんハナやヤヤなど他のキャラクターについてもいっぱい魅力がありますし、もう少しでCOMIC FUZで連載してるハナヤマタのランわ子編が終わりなので、本編の中でもランわ子編の魅力について語ってもいいし、アンソロの魅力とか、アニメ版のタイアップ曲の魅力とか色々あるので、いくらでも記事は出せると思います。

 もしよかったら、今後もよろしくお願いします。

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