雑な記_221215 自慢 / 俺、俺、俺
俺が自慢出来るもの、数値で可視化出来るスキルとして、タイピングがある。
まあ…めちゃくちゃ速い。全く手元見ずに打てるし、ミスタイプも少ない。
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まあ速いんだけど…なんかこれを自慢するとして、やっぱなんか自慢にならないんだよな、と感じる。
「俺タイピング速いよ」とか「○○得意だよ」っていうのが憚られる。
俺にとっての世界というのは、悪意に満ち溢れている。
「俺タイピング速いよ」と言えば「それが何の役に立つの」と返ってくる。
これ前にも書いてたわ。
一瞬で服をたたむのが得意だが、それを言えば「それが何の役に立つの」と返される。
それが俺の世界観だ。
何の役に立つのって、こういう日記が早く書けるとか、ネトゲでのコミュニケーションとか、実務的なところだと文書作成とか、俺としてはぽんぽん浮かぶんだけど、相手にとってのお役立ち情報が全く提供出来ないんだよな。
こういう自分に気づけた時に、自己分析してきてよかったなと思うわ。
人の役に立つことに価値を置いていない、のが俺のパーソナリティだ。
あと、俺が「○○得意だよ」、って言った時に「それ何の役に立つの」ってせせら笑う奴とは関わらなくていいわ。
普通に嫌いだそういう奴。
俺は、自分にとってのお役立ちを考えるのが得意だし好き。
「○○が得意だよ」と言って「すごいね~」って言う人が好き。
俺は、俺と同じ視点で同じ景色を見ようとしてくれる人が好き。
ただ俺は、人と同じ視点で同じ景色を見ない。
見ないというか、不可能に近い。見れない。
まず見ようという意識が向かないし、やり方がわからない。
にも関わらず、山本が感じることは知りたくなる。
わかろうとする。わかりたくなるし、大体わかる。
愛とは、にも関わらず、であることを実感する。
なんとなく、漠然と考えてることがある。
「自分がやられて嫌なことはしない」
「自分が気持ちよくなることを相手にする」
これ。
これが行き過ぎて、今まで文明が滅んできたんじゃないのか、ということだ。
俺の世界観は基本的に弱肉強食の世界に偏っている。
だから、さっきの心地よい世界に急に悪党が入り込んでくる。
均衡が保たれている心地よい世界に、
「俺はやられても嫌じゃないからやります」
「抗争が起きると気持ちいいのでやります」
「やられてもやり返せるくらい強いからやります」
っていう悪党が出てくる。それで文明が滅ぶ。
アイメッセージ、ユーメッセージ、というのがある。
アイ…は、自分を主語にした表現。
ユー…は、あなたを主語にした表現だ。
「自分がやられて嫌なことはしない」
「自分が気持ちよくなることを相手にする」
んでこれなんだけど、これ自分でもあなたでもないんだよな。
自己不在なんだよ。自己不在な上に、相手もいない。
コミュニケーションしてない。
「俺はこれやられたら嫌だからしないよ」
「俺はこれされたら気持ちいいからするよ」
一応これでアイメッセージの体にはなるが、間接的なんだよな。
回りくどい。ストレートじゃない。
やっぱりコミュニケーション出来てない。
俺の好みの問題かもしれないが、「俺はそれをされたら嫌だ」とか「喜んでほしくてプレゼント買ってきたよ」とか、そういう表現の方がいい。
まあでも多分好みの問題だろうな。
俺は、簡潔で直接的なコミュニケーションがいい。
アイメッセージを用いるのが好き。
俺の日記はもうほぼ「俺は」「俺が」「俺の」だ。
この日記中に「俺」が主語の文章がいくつあるんだってくらい、「俺、俺、俺」だ。
つぎの文章も「俺は」から始まる。
俺は人に○○をするのが好きだが、人から○○をされるのは嫌いだ、というのは往々にしてある。
結論としては、嫌なことをされて、自分も一緒にそういうことをしていた時「俺はそれやられるの嫌なんだよ」というのか、「俺もしていたしな」と反省するのか、他にも色々あるけど、それは好みってことだな。
俺は、そう思う。
好みのアイメッセージで締め。