劣等感を意識に乗せて、健全に生きていこうと思うと、だんだんと実感することがある。
性格は鎧だということ。

おそらくそうだろうな、というものがある。
妄想性パーソナリティ、被害妄想、加害恐怖。
俺のパーソナリティに紐づいていそうなそれだ。
もうそろそろ、この鎧は脱ぐ必要がある。
今までは心地よかった。無意識に守られていた。
だが、意識的に、健全に生きていくには重すぎる。

五次元の俺は、妄想性パーソナリティではない。
五次元に行った俺に猜疑心はない。
五次元とはそういう場所ではない。
被害妄想も、加害恐怖もない。
だからこれらは鎧を象徴しているのだと思う。
性格とは、この現実で生きるためのものだ。

五次元に行くには軽さが必要と考えていた。
この鎧が重いんだ。性格の鎧が俺を重くして、現実に留め続ける。

現実に生きて、この鎧をまとって、それがかっこいいか、という視点で見ると、まあかっこいい
俺のパーソナリティは確かにかっこいい。自分でそう思う。
ビジネス戦闘力8700はやべえよ。合理・決断が強いのもヤバい。
だが五次元の俺はもっとヤバい。文字通り次元が違う。

自分のことをかっこいいと思う。
こういうナルシシズムは五次元の俺にもある。
だがなんか、質が違う。
五次元ではナルシシズムではないのかもしれない。
ただ単に、自信に満ちあふれていて、自分に疑いがないのか。
ああ、猜疑心と劣等感。それが俺の、現実で生きるための鎧だ。
それをまとっていれば心地よいが、自信も軽さもなくなる。
五次元の俺は上にいるが、鎧をまとえばどんどん沈んでいく。
五次元の俺はそれらを克服して、超越しているんだ。

猜疑心と劣等感。これを意識に乗せる。
無意識を意識する。
もう鎧は必要じゃなくなってきている。