色んな山本と俺

色んな山本がいる。

職場にいて、
周りに振り回されてぐったりしている山本。
浮きたくないのに浮いてしまう山本。
人と話したいのに話せない山本。
仕事しているフリをして今日をやり過ごす山本。

一人で過ごしていて、
過敏に人目を気にする山本。
今日も駄目だった、と反省会をする山本。
明日も駄目だろうなと悲嘆に暮れる山本。
嫌なこと不安なことばかり考えて、そのまま何も出来ずに眠りにつく山本。

俺と一緒にいて、
俺に膝枕をして、俺の頭をなでる山本。
俺に聖母のような微笑みをくれる山本。
良いことありましたか?と聞いてくる山本。
良いことあったよ、と言えば良かったですね、と微笑む山本。
聖母だけど男の料理を俺に振る舞ってくれる山本。

自分のことで手一杯な山本と、俺に尽くしてくれる山本がいる。
どっちも同じ山本だ。

俺も同じ。色んな俺がいる。
職場にいて、一人でいて、どっちの俺も全然違う。
更に山本と一緒にいる時も、また違う俺がいる。
だがどれも同じく、俺である。

山本といる時は安心する。
苦手なことをやらなくていい。
嫌いなことをしなくていい。
「やって♥」と言って、やってもらえる。
「してください♥」と言われて、喜んでやる。

「出来なくてすみません」が無い。
生きてることを申し訳なく思わなくていい。

色んな山本がいるのは、色んな俺がいるからだろうか。
俺がずっと山本と一緒にいれたら、色んな山本じゃなく、山本が山本として生きられるんだろうか。