俺じゃない文字列

「笑」や絵文字を、業務連絡の文末につける。
相手がつけているから、俺もつける。
冷たい奴だと思われたくないから、つける。

俺じゃない文字列が出来た。
「笑」や「汗」や、「泣」や絵文字など俺はつけない。
でも俺は冷たい奴じゃない。
こういうときに、淡々とした返事を返す奴じゃない。
結果、俺じゃない文字列が出来た。

次に相手から来た返事は、
「笑」や絵文字のない、淡々としたものだった。
俺は"てめえ"、と思った。イラついた。
俺があんなにも努力して冷たくない返事をだしたのに、お前は何もねえのかよ。
俺がなんか、お前からの連絡にはしゃいだみたいじゃねえか。

このイラつきは、何事もなく消える。
俺が消す。何もなかったことにする。何も思わなかった。
『冷たい奴だと思われたくなくて、必死こいて絵文字なんかつけて返してやったんだから、お前もつけて返せや』
この要求が不当なのは分かってる。


俺の悩みやイラつきというのは、大体がこういう感じだ。
正当じゃない。
冷たい返事を寄越された、これが悲しかった。ならなんか、俺的にわかりやすい。

「俺がやっていることを、なんでお前らは分からねえんだ」
「なんで俺はそれじゃ駄目なのに、お前らはそれでいいんだ」
これは不当だ。だから行き場がない。要求は消す。

この一連の流れで分かったことがある。
そう見せたい自分がいる、ということだ。
俺は冷たくない、と人に見せたい。
そう見られては嫌な自分もいる。
人からの連絡にはしゃいでいると思われたら嫌だ。
つまり、前も書いたことがあるが、人からの反応としての自分しかいない。

このエピソードの中で、俺はどこにもいない。
人と接している時は、人からの反応としての俺しかいない。

自分自身を生きていない、というのはこういうことなんだろうな、と実感してる。
無意識が意識に食い込んできている。


「お疲れ様です。すいません、今日かなり熱っぽいので休もうかと💧出来たらでいいんで、○○やっておいてもらえると助かります😭結構溜まってるので出来るとこまででいいです💦」
こういう連絡が来た。
俺が俺として生きていれば、返信は
「お疲れ様です。承知しました。○○の件は問題なくやれると思うので、ゆっくりお休みください。」だったろう。

それを俺は、
「お疲れさまです!大変ですね😰○○は出来る限り進めておきます💪どうかご自愛ください😊」と返した。

この返事が悪かったわけじゃない。
和やかでいい雰囲気。山本っぽい。かわいい。俺がもらったら嬉しい。
返事の仕方が悪かったわけじゃない。
これは俺の書く返事じゃない、ということが問題なんだ。

返事を書くにあたって、お疲れ様を"お疲れさま"と書くのは必死に考えた。
やわらかい雰囲気を出したくて"様"をひらがなにした。
ああ…これもそうだ。今、これを書いて気づいた。
俺の頑張りを解説している。
褒められたくて、感心されたくて、俺の頑張ったところを書いてる。
いつもならこの段は消してる。

俺があの返事を出すために、とんでもない努力が必要だった。
俺の頑張りを認めて、褒めて。
俺はそういうことばかりしている。
俺がここまで頑張ったんだから、それに応えて。わかって。
でも相手からの応酬は無い。報われない。
一人で勝手にやって、勝手に落ち込む。
人から褒められるためにやってる。
人から感心されたくてやってる。
でも、誰もそれを望んでない。気にもとめてない。
誰のためにもなってない。俺もそこにいない。
こんなにも自己不在で日々を過ごしてきた。
頑張って自分に嘘をついて、それが報われないからイラついている。
頑張って多大な努力をして、それが認められないからイラつく。
このイラつきは不当だ。だから誰にも言えない。うつっぽくもなる。

だんだんと自分というものが分かってきて、この無駄な努力に消耗してきてる。
燃え尽きようとしている。


根っこの部分がわかった。
俺のサディスティックで強い部分を、何故出してはならないのか。
何故バレたくないのか。何故隠さなくてはならないのか。

俺が俺の素を出すと、相手が蒸発しそうで、それが怖くて、弱さやいい人を演じている。
俺が強くいると、相手が楽しくなくなって消えそうで失踪しそうで、それが怖いから、俺が俺でいられなくなる。
俺が俺のままでいて、ちょっと言い返すと、相手が傷ついて死んでしまいそうで、それが怖いから、何も言い返せない。

支離滅裂なことを書いている。
何を言ってんだ、と客観的に見ればそう思う。
だが、俺はこれが怖くて自分自身を隠している。

俺の周りに、虚勢を張るタイプの大人が多かった。
強さを装う必要のある大人だった。
つまり、弱いんである。どこまでも弱かった。
自立できていない大人が多かった。
劣等感にまみれた大人ばかりだった。

子どもの時、親が何か作業するとなれば、俺がそばで見ていて、すごいね~上手いね~と感心する必要があった。
そうしなければ、やめた!誰のためにやってると思ってんだ!と激昂して道具をぶん投げてどこかに行く。
こういう体験から、俺の媚びが始まった。
俺は媚びたくないのに、作業なんか見てても退屈なだけなのに、関心を示さなければ、媚びなければ、やってもらえないから媚びて関心を示した。

家でも、学校でも、職場でも、こういうタイプの大人が多かった。
もちろんそういうタイプばかりじゃない。
だがそういうやさしい人とは関われていない。
ずるい奴に媚びるのに必死で、やさしさと関わらなかった。

「誰が食わしてやってると思ってんだ」は最近思い出した。
とにかく、親には感謝しなければならなかった。
感謝しなければ、生かしてもらえない。
媚び以外にも、俺がしなければならなかったことは様々ある。
様々ありすぎて、だから人と接している時は、"メンタル的な症状16つ"なことになるんだ。

今見るとすげえな。
全部、自分を偽ると出てくる症状と思う。
自分を偽るから、こういう不具合が生じる。
なんで子どもが、親に感謝なんかしなきゃなんねえんだよ。
なんで生かしてもらってること、を意識しなきゃなんねえんだ。
なんで認められるために、無駄な努力をして生きなきゃならねえんだ。
なんで、その努力をせずに生きていてはならない、と思わなきゃならねえんだよ。

普通、親が駄目なら、他の場所でやさしさを獲得していく。
だが俺はそれが出来なかった。
生きるのに必死で、やさしい関係を築けなかった。
だから俺はもう、"弱くて優しくていい人"をやめなければならない。
"弱くて優しくていい人"が駄目なんじゃない。
俺がそうじゃないのに、そうなっているから駄目なんだ。
自分自身で生きていかなきゃ駄目だ。

1年だ。ここ数日では無理。
何十年とこの態度を続けてきた。だから1年で変える。
やってしまっても、ああまたやってしまった、と落ち込まない。
多分また繰り返す。容易なことじゃない。
だが1年で変える。
日記をつけ始めて、かなり意識が変わってきてる。
意識すれば変われる。まあ人と仲良くするのは意識し続けても無理だったけど、っつって。
俺は俺と、山本の期待を叶えて生きる。
好きで埋める。幸せは複利で増やす。

大分吐き出したから、今回の落ち込みはこれで終わりだ。
1ヶ月続いてたな。10月頭くらいから、クソ嫌いな奴との関わりがクソ増えたせいだ。ストレスが爆増してた。
そろそろバイアス診断結果書こう。