雑な記_221221 ポップで年越し

この時期になると思い出す。
コンビニの夜勤で、ポップの貼り替えをして年を越したことだ。

今、思い出して感じることが三つある。
一つ目は、あの頃は何も感じていなかった。年越しになんの意味も見いだしていなかったから。
二つ目は、もう仕事しながら年越しなんかしたくねえな。家でゆっくり過ごしていたいから。
三つ目は、なんかのネタになって面白いな。仕事中の年越しなんて早々体験しないから。だ。

どれが俺なのか、どれが本心なのか、と考えてしまう。
多分、どれも俺である。
何も思っていなかった、もあった。
年越しに仕事とかマジかよ、もあった。
なんか面白くていいな、もあった。

まあそもそも、過去感じていたことの正解を探るのが間違いな気がする。
過去の感情は覚えてない。
なんでそんなこと思ったんだ、なんでそんなこと感じたんだ、が俺の常だ。

だが内省に必要なのは、過去の経験と、それに伴う感情を探ることだと思い出した。
過去の感情は大事なんだ。
でも、思い出せない。
いくらでも捏造出来てしまう。
解釈が無限に出来てしまう。

じゃあ、ポップの貼り替えで年を越した、という経験は俺にとって別に何でもない、ということが正解か。
毎日飯を食うが、その時のことは特に覚えてない。
飯を食うのと同じように、そんな大した出来事ではなかった、ということか。

う、なんか虚無感が襲ってきた。
印象に残る経験と、それについての感情が欠けている気がする。
経験と感情の、どちらも浅いんだ。それが今の虚無感の正体だ。
あと、考えなくてもいいことを考えてしまっているのかもしれない。

ただ、脱衣ブロック崩しに明け暮れていた頃は、毎日がエモーショナルだった。
エロが見れて嬉しい。
エロが見れなくて悔しい。
エロが見れるようになって楽しい。
好きなエロサイトが潰れて悲しい。
俺の経験や感情がすべて浅いわけじゃない。

刺激の強さ=経験と感情の強さって感じか。
仕事はもはやルーチンに組み込まれて、飯と同じように低刺激なもんだから、エモーショナルも何もないのか。
なんかそんな気がするな。

ふう~…虚無感はなくなった。
とにかく、この時期になると思い出す。
仕事をしながら年を越したこと。
そして今感じるのは、その経験があったから、今こうやってごちゃごちゃと考えられてるんだな、ってことだ。
それが俺の今思うこと。
これもあとから、変わったりするんだろうか。
そう思うと、なんかエモーショナルだなと思う。