神経症

この記事は、加藤諦三先生の本を読んで書いている。


腹が痛くて仕方ない。
うまくやりすごさなければならない。
しかしもう、すぐにでも決壊しそうだ。
格好だけでも涼しそうに振る舞って、なんとかうまくやる。それしかない。

こんな時に、数メートル先から歩いてくる人が、鼻と口元を押さえ、せき払いをする。
まさか、と。
俺はやってしまったのか、と思う。

こういうことだ。俺がやっていたのは。
そんな時でなければ気にもとめない。
人はただ、せき払いをしただけである。
実際に漏れてもいない。必死に押しとどめている。

でも、いやガスが、と思う。
脂汗が垂れていたかも腹痛がバレていたかもしれない
だから不快にさせたかも臭いが出ていた、胃が口が
次々に止まらない。
腹痛を我慢しているものだから次々と何もかもに結びついていく
人はただ、せき払いをしただけなのに。

もしかしたら実際に出ていたのかもしれない
出ていて、人はうおっと感じたかもしれない。
実際そうかもしれない。
であれば、実際そうだったと認めるのがいい。
腹が痛くて我慢していたが、実際出ていた
そう認めると、いや実際は出てないと分かる。

マジで実際出ていれば、実際出ていたことが分かる
実際出てたなら仕方ない。せき払いされたのは、実際にそういうことだ
そうやって初めて、腹痛を我慢しないようにしよう、と思うことが出来る。

ではガスが出ていた。脂汗が垂れていた。これも、実際そうだった。
だから不快にさせた。臭いが出ていて、胃や口から漏れていた。
これも認めると、さすがに現実的でない結びつきが見えてくる。

数メートル先から歩いてくる人が、胃や口から漏れる臭気を嗅げるわけがない。
また、他人に不快になるなら、その人はその人で問題がある。
その人は、俺が何をしても不快である。
俺が腹痛に苦しんでいなくても不快。
そして俺は、涼しげに歩いていた。頑張ってそう振る舞った。
それなのに不快になったのなら、それはその人に問題がある。

腹痛を暴いてこようとする人もいる。
必死に頑張っているのに、やたらにつついてくる人がいる。
こういう人も問題がある。こういう人とつきあってはならない。

ここはさすがに、腹痛の例えでは分かりづらいから俺の実体験に変える。
協調性のない俺に、やたらとアドバイスをしてくる人がいる。
「こうしな?」「こうした方がいいよ?」「ちゃんとやりなよ」
こういう人である。こういう人と、つきあってはならない。
自分自身でなくなるから
こういう人とつきあって好かれよう認められよう生かされようとするところから地獄が始まる


協調性のない俺、の都合のいい話をしているから、何か変な感じがする。
だから"協調性"を変える。
山本が弱点と思っていることに変えてみる。
優柔不断な僕に、やたらとアドバイスをしてくる人がいる。
行動力のない僕に、やたらとアドバイスをしてくる人がいる。
真面目しか取り柄のない僕に、やたらとアドバイスをしてくる人がいる。
「こうしな?」「こうした方がいいよ?」「ちゃんとやりなよ」

こう書くと、怒り狂いそうになる。
何をてめえは偉そうに俺の山本にふざけたことを言いやがってと思う。

それじゃ社会でやっていけないよ、なんてふざけた説教をする奴もいる。

やっていける。

やっていけるわ。大文字で主張してやるよ。

やっていけんだよ。

そういういらないアドバイスこそが、人をやっていけなくさせんだよ。

そういうアドバイスこそ人を地獄に落とす。
飛ぼうとする動物走ろうとする魚泳ごうとする鳥が出てくる。

飛ぶのが得意な鳥が、飛べない動物に
「飛びな?」「飛べた方がいいよ?」「ちゃんとやりなよ」と言う。

走るのが得意な動物が、走れない魚に
「走りな?」「走れた方がいいよ?」「ちゃんとやりなよ」と言う。

泳ぎが得意な魚が、泳げない鳥に
「泳ぎな?」「泳げた方がいいよ?」「ちゃんとやりなよ」と言う。

こんな必要のないアドバイスをする奴には何か問題がある。
そして、こんなアドバイスを真に受ける奴にも何か問題がある。

必要のないアドバイスをする奴は、劣等感に苛まれている。
仲間同士で満たされていない。
だから必要のない奴にわざわざ声をかけにいく。
自分の得意をひけらかしにいく。

そんなアドバイスを真に受ける奴も、劣等感に苛まれている。
自分に自信がない。自分が何者かもわかってない。
だからいらないアドバイスを真に受けて、いらないことをして燃え尽きる。

飛ぶのが得意な鳥が、飛ぶのが苦手な鳥に
「こうしてみると飛びやすいよ」と教える。
これが必要なアドバイス。
「こうやって飛びな?」「飛べた方がいいよ?」「ちゃんとやりな?」
これはアドバイスではないひけらかし


ちゃんと認識しなければならない俺自身のことも相手のことも
自分は何が得意で、何が苦手なのか。
自分が隠したがっている弱点は何なのか。
相手は俺に必要なアドバイスをしているのか。
いらねえ説教をしているのではないか。

自分を殺そうとしてはならない。
相手の劣等感にのってはならない。

自分は今腹痛に苦しんでいることを認める。
隠したがっている弱点は何なのか探る。
苦しいのに、苦しんでいないふりをするからかえって悪化する。

人には人の処世術がある。
「俺は泳がねえよ。必要ねえし」これで終わり。
鳥は飛ぶ。魚の話に耳を傾ける必要はない。
人間でも同じ。「そっすねー」で流して終わり。
もし流せず、腹が立ったら、(あ"あ"あ"あああ腹立つ!!)と思う。
(なんでそんなこと言われなきゃならないの)と悲しくなったなら泣く。
自分がそう感じ、思ったことを大切にする。

自分を大事にするんだ。
俺の得意を「素敵ですね…♥」と言ってくれる人を大事にする。
俺も山本のことかわいいと思ってるし好きだよ♥

自分の弱点を弱点と思わずに生きる。
そうすれば神経症は治る。