人の振り見て

人の振り見て我が振り直せ、だ。
最初に書きたいことを書いておく。
じゃないとすぐ忘れる。
無意識にある不安にはふれないように生きてる。
人の振り見て我が振り直せ、だ。
いつも俺を苦しめるのは。

あ、こういうことやるのってやべえんだな、と思って。
俺もそういうことする時あったわ、と思って。
やべえ奴にはなりたくなくて。
人の振り見て、俺の振る舞いを直してきた。
でも俺とそいつの立場や状況は全然違うじゃん。

あ、こういうことするのがそういう奴なんだな、と思って。
俺もそういうことするわ、俺もそういう奴だわ、と思って。
だからずっとそういう奴でいなければならなくて。
その特徴を見て、俺も特徴に当てはめてきた。
そういう奴だとして、いつもその特徴が出るわけじゃないじゃん。

あ、俺ってこういう一面あるな、と思って。
この一面って今まで思ってた俺のとは全然違うものだよな、と思って。
だから俺はこういう奴かもしれなくて、今までの俺は違くて。
その一面だけ見て、俺のすべてを作り直そうとしてきた。
その一面だけが俺のすべてじゃないじゃん。

俺は今まで何をして生きてきたんだろう。
固有の、が。俺固有の、特有の、俺にしかない、俺の。
俺の、俺が、俺は、俺の、

俺、俺、俺、だった。
本当にそうだったか。


偉い人の話ってなんであんな長いんだろうな。
でも俺は、偉い人の長話が好きである。
何故好きかって、大事な話が多いから。
どっかで役に立つ。頭に入れておいて損はない。
同じ会社で働いている偉い人の思想には、ふれられるだけふれておく。

しっかしなんで偉い人の長話ってあんな嫌われるんだろうな。
あー皆うんざりしてるな、これあとで悪口始まるんだよな、と。
偉い人は、大事な話だと思って話している。
俺も大事な話だと思って聞いている。
皆にとってはどうでもいい、関係のない話になっている。
ああだから、これは、話さないほうがいい話になる。
合理的に考えて。
俺にとっては大事だが、大事だと思ってない人や、関係のない人が多ければ、それは、その場は、時間の無駄である。

自分の好みよりも、合理的である方を優先する。
「俺が好きだから、その話は大事なのだ(関係のない話だけど)」
というのは、俺の意見にならない。
「関係のある人にだけ話せばいい(俺は好きだけど)」
「時間の無駄になる(俺は聞きたいけど)」
というのが俺の意見になる。

そして、関係がないから、偉い人の大事な話を聞けなくなるのが俺。
でも俺の気持ちは表に出してないから、好きということもなかったし、聞きたくもなかったということになるのが俺。
何事もなくなる。何もなかった。何もしてないし。
これが俺。

でも俺は、偉い人の長話が好きである。

俺はこれが好きだと言えるのが、固有の俺になるということだ。
俺は偉い人の長話が好きなんだ。
組織の偉い人の話っていうのは、大事な話だから。
集めておけば必要な時に使うことが出来るから。
合理的に考えて、周囲にとっては必要のない話だが、俺は好き。
あ~俺は、これが好きなんだなあ、と感じてみるとのんびりしてくる。
好きというのは言わないけど。俺がそう思えればいいから。


何気にふと、ある光景が思い浮かんだ。
遠出した先で、土産屋かなんかではしゃいでいる母の姿。
俺が子どもの頃の、まだ若い頃の母だった。
それを思い出して、あーもう、無いんだなあと、思って、泣けてきた。

何でだよ

と思う。
何で、もう無いんだよ。
何で泣けてきたんだ。
な…何でだよ
俺の母は存命で、別に遠出したきゃ出来て、仲も別に悪いわけじゃない。
体調も悪くないし、普通に話が出来るし、普通に…普通なんだけど。

何を感じたんだよ。

若い頃がよかった、子どもの俺に戻りたい、ってこと???
って思うけど違う。
ただ、「もう無い」っていうのに反応して泣いた。
もう無い」という非現実反応して泣いてた。

俺の悲しさって大体、現実を無視して「無い」ことに反応して起きるよな。
「無い」ことに注意が向く、とも言える。
俺のほしいものが無い、一番大事なのが無い、何も手に入れられてない、と思うと一気に落ちる。
水が半分入っているコップの、上半分を見てる。
「無い」ところを見て、下半分は意識にない。
「無い」ところを見て大騒ぎする。
俺のが無い。大事なのが無い。何も無い。

在る現実を無視するからだ。
無い、のは無いんだ。無い。現実を見ろよ。
なんかややこしいのが、現実が嫌で、現実逃避の末に現実を見なくなった、のではなくて、非現実に意識が飛んで現実を見れていない、という説明がすげえ難しい。
いいんだよ現実はどうでも。大事なのはこっちの何も無い方だ、というのがなんか、考え方として筋が通ってない。
筋が通ってないから俺の具合が悪くなる、って考えるとちゃんと通るか。

現実を見れば、別になんでもない、ただただ優しい、"何もないことが在る"世界が広がっている。
"何もないことが在る"、という現実が見れない。
[何も無い]、という非現実に意識が向く。

"何もない"というのは有り難いこと、というのが現実。
[何も無い]は何も起きていない。空虚。
ムズ…。なんでこんな説明出来ねえんだ。
あ~~~分かった、"無事"と、[空虚]だ。

無事であることなどどうでもいいんだ。
無事なんかどうでもよくて、問題は俺に何も無いってことだ。
ああ何も無い、なんにもねえよ。俺には何も無い。
山本にすがりつきたい。山本の胸でわんわんと泣きたい。
山本のグレーのスウェットをびっちょびちょにしたい。
「何も無いことないじゃないですか」
「何も起きてないじゃないですか」
「大丈夫ですよ」
山本は慰めてくれるが、もうどうにもならない。
もう全てが、全てが気に入らない。
無事だからなんだ、何も無いんだよ。
何もねえよ。なんにも。クソ。
んで泣きつかれて寝て、起きたらそこには山本がいて、
ああ…山本いるじゃん…何も無いなんて無いじゃん…
って回復したい、
んだけど、そうすると今のこの俺には山本いねえから詰むんですわ。
世知辛えなこの世の中。おい。なあ。

山本いないけど、俺に何も無いなんて無いって、自分で気づくしかねえんだよな。
自分で気づきゃいいんだよ。
山本がいなければ解決しない、なんてことはねえのよ。
はあ~~~…山本いない。今日もいないし、明日もいない。
でも俺は自分で出来る。今はコップの下半分を見てる。
ああ…ネトゲの楽しいイベントも終わってしまって、燃え尽き症候群起きてんなあ。
まあタバコ吸って、日課こなして、あとちょっと楽しいことして寝よう。
あ、この感じ、子どもの頃憧れてた大人像と一緒だわ。
なんか俺今いい大人になれてる。