映画「新感染」に見る韓国人の悲しき国民性

産経ironnaのサイトが終了していることに気付いたんで、こっちに再掲。


 いやー、たまげた。びっくりした。大傑作でしたよ!韓国初のゾンビ映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」ですよ。原題は「釜山行」だそうで、「新幹線」に掛けてみたけど滑っちゃった!みたいな邦題に改悪されていますが、内容はピカイチ。
 これ、ゾンビ物という皮を被った朝鮮戦争物映画でもあったんですね。軍オタおじさんとしてはそこもハートを射抜かれました。「嫌韓流の真実」なんてムックに執筆させて貰ったこともある私は正直何も期待していませんでした。どうせ韓国人お得意のパクリにまみれた駄作だろうって高をくくっていました。良い意味で完全に裏切られましたね!ゾンビ映画なんて見たこと無い韓流おばさんも当然楽しめます。そればかりか韓国嫌いのおにーさんでもめちゃめちゃ楽しめます。ゾンビ映画としてはもちろんのこと、色んな意味で名作でした。ゾンビ物好きの人もそれ以外の人も、全ての日本人にとって極めて楽しめる、そして示唆に満ちた映画です。
 今旬のゾンビ物と言えば何と言っても「ウォーキング・デッド」ですね。アメリカで2010年から放送が開始され、既に7年に渡り制作され続けている人気ドラマですね。「新感染」がどれぐらい凄い傑作であるかと言うと、なんとあのホラーの巨匠スティーブン・キングまでこの映画を「『ウォーキング・デッド』を超える」と大絶賛するぐらい飛び抜けたゾンビ物映画なんですよ。これはもうみんな見に行くしか無い!

 傑作ゾンビ映画と言うものは、ただのホラーにとどまるものではありません。多くの場合、極めて強い「社会性」を反映しています。
 よく言われることですが、ゾンビ物というジャンルの作品は、他のホラー以上に「社会性」を反映せざるを得ません。その一つの理由は、襲ってくるのは「同胞」であるからです。昨日まで、いやつい数秒前までの「親兄弟」や「恋人」「友人」などが、一変して襲い掛かってくる。その恐怖は他のホラー物における「異質な存在」への恐怖心とはそれこそ異質なものでしょう。しかもゾンビ物の場合、「真の敵」はゾンビでなかったりします。ソンビを生み出したのは銭ゲバの製薬会社だったり、軍だったりとするわけですね。ゾンビはただの「被害者」とさえ考えることもできる。また、「真に恐ろしい存在」もゾンビ自体ではなかったりします。「新感染」においても、ゾンビから生き延びようとする韓国人同士が平気で同胞を裏切り盗み殺していく姿を見た少女が「感染者たちに襲われるより、もっと怖い」と、ゾンビより韓国人の方を恐れます。
 こうしたゾンビ映画の特性に鑑みると、「新感染」はただのホラー映画ではなく、韓国社会の歪さを告発した社会派映画でもあると言うことが出来ます。

 物語の舞台は、ソウル発釜山行きの「新幹線」車内にほぼ限定されています。それ以外の韓国全土の様子は、断片的に入ってくる不正確なテレビ報道やインターネット経由でしかわかりません。その辺りも恐怖心を煽る要素になっていますね。

 主人公のファンドマネージャーであるソグは、平気で他人を利用してのし上がってきた嫌な奴です。奥さんにまで愛想を尽かされ出て行かれてしまっています。妻から強引に奪い取ってまで手元に残した9歳の娘スアンからも疎まれている孤独な仕事人間です。そんな娘のスアンは、誕生日にわがままを言ってソグを強引に、韓国が誇る新幹線KTXに乗せ、母親のいる釜山を目指します。ところがソウル駅からは、彼ら親子と一緒に一人の「感染者」が乗り込んでしまいます。
 感染者はたちまちゾンビ化し、KTX車内の客を襲い始めます。襲われた客達も次々と感染し、ゾンビ化して他の客を襲い始めるというまさに地獄絵図。時を同じくして車内のニュース映像に流れるのは、首都ソウルばかりか韓国全土で大暴れするゾンビの群れ。果たして親子は無事釜山にたどり着くことが出来るのか?いや、そもそも母は、釜山は無事なのか?

 こんな感じのあらすじですが、他のゾンビ物と異なり、韓国製映画ならではの要素がてんこ盛りです。ざっくり言っちゃえば、韓国社会や韓国人の本性というものをまざまざと見せつけられる映画です。
 トランプ大統領が韓国を「物乞い」 と言ったとの報道が最近ありましたが、戦後70年以上に渡って日本は韓国の「物乞い」に悩まされ煮え湯を飲まされて来ました。なんでもパクって「剣道柔道ドラえもんも韓国起源」と大人しい日本にだけアホ言うだけにしとけば良いものの、最近はつけあがって「孔子は韓国人」とか「端午の節句は韓国起源だから世界遺産登録するニダ!」とかやらかしちゃって、怖い宗主国の支那様まで怒らす間抜けぶり。約束を平気で破る国民性故、条約まで反故にする無法ぶりは従軍慰安婦問題や戦後補償問題において日本人にはおなじみですが、近年の北朝鮮ミサイル問題に絡んで、アメリカも韓国人のそうした約束破りの国民性にようやく気付いてトサカに来たご様子。オリンピックやサッカーワールドカップ等では毎度毎度「疑惑の判定」と買収が噂され「買収民族」とまで各国メディアでから批判される始末。
 そんな国民性を反映してか、「新感染」はこれまでの他国のゾンビ物と比べることさえおこがましいほど、登場人物達がジコチューで卑劣、邪悪極まりない。平気で他人を騙し、盗み、約束を破り、果ては殺します。ほぼ全員が自分のことしか考えない。ためらいなく他人を犠牲にする。
 韓国人以外がこの映画を見たら「非現実的」「誇張している」と感じかねません。しかし、韓国人にとってはこれは極めてリアルな映画なんですね。
 つまり韓国人は、日本人等外国人だけをパクリ、騙し、嘘をつき、約束を破っているわけではないんです。「同胞」であろうが外国人に対する時と同じように、平気で騙し、盗み、約束を破り、果ては殺しているわけです。そのことが如実に現れたのが、2014年に韓国で発生したフェリー転覆事故「セウォル号事故」です。この事故では韓国政府が稚拙な事故対応で国民の反発を招いたばかりか、国民に対し様々な嘘をつき、自分のことしか考えぬ会社、乗務員や乗客、遺族同士も様々な騙し合いや不正等があったことが暴露され、未だに韓国社会に深刻なトラウマを遺しています。
 これは1950年に北朝鮮による侵略で始まった朝鮮戦争でもそうでした。5年前まで「同胞」であったはずの人々が敵となり、ゾンビのように押し寄せあっという間にソウルは火の海と化します。しかも侵略者「北朝鮮軍」は、その名とは異なり、北朝鮮の人々だけで構成されていたわけではありませんでした。占領されたソウルの市民が「徴兵」されたり自ら「志願」したりして「北朝鮮軍」に加わり、昨日までのよき隣人、親類縁者である「韓国人」を追い、襲い、盗み、殺し始めたのです。
 ソウルの人々は、襲ってくる昨日までの「同胞」から必死で逃げ回ります。目指すは南端の釜山。今でならKTXでたった二時間しかかかりません。あっという間に北朝鮮軍が押し寄せて来かねない距離です。
 しかも逃避行は悲惨極まりないものでした。北朝鮮兵に襲われるだけでなく、政府は国民を見捨てさっさと逃げ出し、自分たちだけが助かるために、まだ市民が渡っている途中のソウルの橋を爆破して叩き落とし、北朝鮮シンパの「韓国市民」に襲われ、やっと逃げ延びた先では住民から「北朝鮮スパイ」と疑われ殺され、それどころか敗残兵の韓国兵にまで略奪、虐殺されるという、まさにこの世の地獄。「新感染」で描かれる世界そのものの絶望が朝鮮半島全体を襲ったのです。信用できるものは何もありません。親兄弟友人知人さえ敵かもしれない。その記憶はセウォル号事故とも重なり、韓国人全体に未だ暗い影を落としています。
 この朝鮮戦争のトラウマが、「新感染」を見た韓国人にフラッシュバックを起こし、本作に特別な感情をもたらす効果を与えています。例えば日本で新感染同様に、東京発の新幹線が博多までゾンビから逃れる映画なんてものを制作しても、「新感染」のような劇的な作品には成り得ないでしょう。本作は極めて韓国的な作品なのです。

 朝鮮戦争やセウォル号事故同様、「新感染」で描かれるKTX車内、いや韓国全土は、同胞同士が平気で騙し、盗み、約束を破り、果ては殺し合うこの世の地獄です。政府の発表は嘘ばかりですし、軍隊まで敵です。乗り合わせた客たちは、この期に及んでコネを悪用し、他人を買収し、自分だけ生き残ろうとします。その結果感染が広がって韓国全体が危機に陥ろうと知ったことじゃありません。舞台となるKTX以外の鉄道車両も、自分たちだけが生き残ろうとして信号や管制を無視し我先にと逃げ出そうとし、お互い衝突事故を起こし結局全滅という、全く救いようがない結果に終わります。
 繰り返しますが、これは誇張でも何でも無く韓国人のリアルなのです。実際ヨン・サンホ監督はインタビューで登場人物が「実在しそうな人物」になるよう心がけたと答えています。あれが韓国人にとっての「実在しそうな人物」なんです。韓国人は韓国社会をなんと絶望的に見ているのでしょう。
 我々日本人のイメージに反し、韓国人の韓国嫌いは昔から有名です。最近も韓国の就職ポータル「ジョブコリア」によるアンケートの結果、実に70.8%が「機会があれば外国に移住したいと考えている」と回答しています。移住を希望する理由としては、「激しい競争社会から離れ、余裕のある生活を送りたい」という回答が51.2%で圧倒的に高く、「不正、腐敗があふれる政府に見込みがないから」(24.8%)、「外国の福祉制度に関心があるから」」(18.1%)、「子供の教育のため」(15.0%)と続いたとのことです。韓国を最も嫌うのは日本人ではありません。韓国人自身なのです。彼らは自分たちの社会に絶望しきっているのです。

 韓国人のそうした絶望感そのままに、「新感染」も絶望に満ちた作品です。もはや現在の世代には何の希望もありません。自分のことしか考えず、他人を平気で裏切り殺し、結局はお互い潰し合って自滅していきます。韓国そのものを食いつぶして滅ぼしてしまいます。
 そんな中で、儚いながらも唯一の希望は子供たちだけです。ゾンビだらけの車両から命からがら逃げることが出来たジコチューの主人公ソグは、疲れ果てた老女に席を譲った9歳のスアンをなんと「あんなことしなくていいんだよ」
と叱り、ジコチュー韓国人の再教育再生産をします。しかしソグはめげません。それに反発します。
 一方、ジコチューな現役世代と異なり席を譲られた老女は極めて利他的で献身的です。妹のために自己を犠牲にして朝鮮戦争を生き延びて来たこの老女インギルは、ゾンビに満ちた車内においても、他の客達を救うために犠牲となります。ジコチューな現役世代が共食いしあって自滅する一方で、そうした醜悪な連中を救うために結局は一緒に滅びて行きます。「良心的な韓国人」は、「悪貨は良貨を駆逐する」という諺通り、どんどん犠牲になって消えて行きます。

 ネタバレになるのではっきりと書くわけにはいきませんが、ジコチュー故にこのゾンビパニックを引き起こし娘を危険に晒した主人公ソグは、結局は娘への愛が金や自己保身等全てに勝ることに気付きます。そして自らを犠牲にして娘を救い和解を果たし、これまで一度も経験したことがなかった心地よい満足感に包まれます。政府も信用できず、友人知人も殆ど全て敵。そうして自滅していく韓国人にとって、唯一にして最後の希望は、伝統文化に汚されぬまっさらな心と未来を持った次の世代だけなのかもしれません。
 最後の最後で9歳のスアンは、ある歌を歌うことによって救われます。従来の韓国人であれば、その「歌」はご自慢のアリラン辺りであったでしょう。しかしスアンが歌うのは、ある外国の歌でした。閉鎖的で外国人差別で有名な韓国の未来を辛うじて救ったのは、海外文化との交流・接触だったのです。この結末も、韓国人の未来に対する監督の思いを大いに反映した告発、警告のように思えてなりません。

 本作は、決してヨン・サンホ監督の独善的な韓国批判、告発映画ではありません。韓国では2016年興行ナンバーワンを記録していることからもわかるように、韓国人が広く共感し同じ問題意識、同じ希望を抱いている極めて韓国的な映画であると言えます。韓国人の5人に1人が見たとさえ言われるこの作品は、韓国人はホラー好きやゾンビマニアだけでなく、親子揃って、いや祖父母まで含めた一家揃って映画館に押しかけ涙した感動巨編なのです。
 では老若男女多くの韓国人の心を揺さぶったこの一大傑作は、我々日本人が見ても楽しめるものなのでしょうか?「残念ながら」楽しめます。なぜ残念か?
 恐らく、30年ほど昔の日本社会に生きた当時の日本人にとっては、「新感染」はそれほど楽しめる映画ではなかったでしょう。なぜならその頃までの日本は韓国と違い、平気で他人を騙し、盗み、約束を破り、果ては殺すような社会ではなかったからです。「新感染」は極めて現実離れした作品と取られていたことでしょう。
 しかしここ最近の日本は違います。格差社会はとどまるところを知らず、若者・現役世代と高齢者の世代間断絶はますます進む一方。資本家・経営者や親の世代を信じられぬばかりか敵にさえなりかねない、かと言って政府や企業等の組織はそれ以上に信用できない。まさに日本社会の「韓国化」とでも言うべき状態です。故に今の我々は韓国人同様に、「新感染」を老若男女一族揃って見に行っても感動できてしまうのです。実際私が映画館に足を運んだ際も、上映後若いカップルやご老人夫婦等がみんな号泣していて、しばらく立てずにいる観客もかなりいました。

「新感染」は未来を作り和解をもたらすゾンビ映画です。現在韓国社会がどのような問題を抱えており、何に悩み何を欲しているのかが一目瞭然の優れた名作です。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と言いますが、韓国好きはもちろん、韓国嫌いの人こそ見ていただきたい映画です。忌み嫌ってきた「敵」の中にも、我々同様の人間としての悩み等を見て取ることができれば、そこから何か新しい未来、希望、和解が生まれてくるかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?