見出し画像

吉祥寺活性化協議会とボク

吉祥寺活性化協議会とは

1991年(平成3年)、吉祥寺地区の活性化を図り、より魅力的なまちづくりを行うことを目的として設立された任意団体。吉祥寺駅周辺の商店会や大型店、ホテル、金融機関、鉄道やバスなどの交通機関、学校法人など吉祥寺地区の発展に意欲を持つ多くの団体と企業で構成されています。
主な活動は、以下の通り大きく3つに分かれます。

1.駅周辺の盛り場の環境浄化や荷捌き車両等物流対策など、武蔵野市や武蔵野警察署など行政機関と連携しながら、吉祥寺の課題解決に取り組むこと
2.会員同士や地域諸団体との交流やイベント後援等に対応すること
3.「吉祥寺音楽祭(キチオン)」、「吉祥寺アニメーション映画祭」、「吉祥寺イルミネーション」等のイベントやオフィシャルサイト「吉祥寺.me」からの情報発信を通じて、国内外からの集客を目的とする事業の企画運営に取り組むこと

毎月開催される幹事会での課題や情報を共有し、目的や課題別に設置されている委員会で活発な議論を行い、行政機関と連携しながらそれぞれの事業を遂行しています。

関わり合うことになったきっかけは

前任の吉田さんは八百屋さんで、大変忙しくされていることもあり、当時副会長だったボクが中道通り商店会を代表して幹事会や委員会に出席するようになっりました。ちょうど震災後だったと記憶しています。
その頃の吉祥寺活性化協議会は、会長の塚本真史さん(平和通り)を筆頭に、東山忍さん(南口商店会)、安藤祥治さん(サンロード)、清宮五郎さん(御殿山幸栄会)、佐藤孝一さん(公園通り)、前田秀樹さん(平和通り)、小美濃福寿さん(大正通り)といった吉祥寺の屋台骨を支える商店街の重鎮の皆さんが大型店とスクラムを組んで街の活性化に取り組んでおられました。
中道通り商店会は、やっと吉祥寺秋祭りに参加するようになった頃で、吉祥寺の商店会としてはまだまだ枝の枝。幹事会に呼んでもらって末席をけがしているだけでしたが、吉祥寺の街の裏側が見られ、とても勉強になりました。

吉祥寺はこんな感じ、ほかの街は知らんけど

吉祥寺活性化協議会(以下、活性協)に関わるようになって驚いたことや学んだことがいくつかあります。
まずは、「情報共有力」。
活性協は、毎月「幹事会」と呼ばれる参加団体の代表が集まる会議体があります。この幹事会では、活性協の各委員会からの報告や、行政機関、参加団体からの情報提供や依頼など様々な情報が共有されます。
ボクが一番驚いたのは、吉祥寺のいわゆる大型店(東急百貨店、アトレ、キラリナ、コピス、ロフト、マルイなど)と呼ばれる各店や、ホテル、交通機関などが、毎月の売上や来店客数の増減を前年度の数字と比較して報告したり、販売商品やサービスの売れ筋等の情報をお互いの競合会社の前で発表し合うことでした。
どこのお店のどのような業種が好調なのか、売上が伸びているのか下がっているのか、来店客数が増えているのか減っているのか、皆さんが会議の最後に発表されるこうした情報は、本来社外秘の情報に近いものだと思うのですが、そうした情報を商店会やほかの参加団体に開示する懐の大きさを感じるとともに、この発表を毎月の慣習にした先人の偉大さを痛感します。
特にコロナになってからは、2019年当時と比較してどれぐらい売上が下がっているのか、またそこから復活するプロセスやインバウンド需要がどのように戻ってきているのかを詳らかに感じら、本当にありがたいことです。
ふたつめ目は、「結束力」です。
活性協を中心とする吉祥寺の商店会や大型店、そのほか多くの参加団体の結束力は、いわゆる「呑みニュケーション」により育まれています。
そしてこうしたコミュニケーション方法が、ほかの街で良く聞くような地元商店街と大型店の対立軸を作らない関係性を築き、業種の壁を超えた多くの商店の相互理解を深める唯一無二の方法であるということを、ボクは活性協と街の重鎮の方々から受けた多くの薫陶から学びました。もちろん呑みニュケーションの場で。
吉祥寺の伝統と言っても良いかもしれませんが、結局のところ会って胸襟を開いて話すことが大切なんですね。コロナになり、こうした吞みニュケーションの場を失って、ますますその大切さを実感しました。
中道通り商店会でも、コロナ前は活発に行っていた会員同士の交流の機会を今年から復活させ、会員同士の新たな「化学反応」が期待できる場をより多く提供していきます。

委員会の委員長に

2017年(平成29年)5月の総会で、「ウェルカムキャンペーン検討委員会」という委員会を預かることになりました。
この委員会は、吉祥寺の商店会と大型店が30年以上に渡り続けてきた「大吉祥抽選会」、「吉祥寺音楽祭」、「吉祥寺アニメワンダーランド」の3つのウェルカムキャンペーン事業が、それぞれの事業目的を達成し来街者を拡大する事業になっているのかどうか、事業予算が適正に効果的に使われているかどうか、将来この3事業をどのような形にしていくのが良いのかを、これから吉祥寺の商店会や活性協を担っていく次の世代の人たちを中心に検討して行くというミッションでスタートしました。
さらに、そもそも吉祥寺により多くのお客様に来て頂くための事業のはずが、イベントの開催情報が紙ベースの発信で、市内にしか発信されていないという、実施目的と企画や実施内容に齟齬が生じていることから、WEBやSNSを活用した情報発信方法の立ち上げを議論する場としました。
この3つの事業は、コロナとの闘いの中、まずは継続すること、そして時代に合った企画内容や運営方法を試行錯誤しながら現在も検討が続いています。
情報発信方法については、2019年(平成31年)1月29日に協力会社選定のためのコンペを行い、その年吉祥寺公式サイト「吉祥寺.me」を立ち上げました。

副会長のひとりとして

2019年(令和元年)5月の総会もって、塚本さんが会長職を下りられ、ダイヤ街の和久津さんがその職を引き継ぐことになりました。
新体制のもと、活性協の各委員会の統廃合が行われ、ボクが預かっていた「ウェルカムキャンペーン検討委員会」は「ウェルカム事業担当部会」に名を変え、ボク自身も引き続き担当副会長としてお手伝いすることになりました。
ボクが預かる部会は、先人の皆さんが街の活性化のために考え、実施してきた歴史ある様々なイベントの振り返りや効果検証を、これから吉祥寺の街を担っていく次の世代の人たちとともに行い、時代に合ったカタチに修正しながら未来につなげて行くというミッションを持っています。
このミッションは、歴史と伝統があり、先人の想いの塊のような事業に「通信簿」をつけるような作業で、本当に気を遣うし難しい。
先人の皆さんが築いたものをただ引き継ぐことはそれほど難しいことではないかもしれませんが、その時代時代にあったカタチにマイナーチェンジしながら次の世代につないでいく作業は、正解のない方程式を解き続けるような作業でもあり、ある時は厳しい判断をしなくてはならない時もあります。
これからも試行錯誤は続くことになるのだと覚悟はしていますが、まずはボクらの世代から次の世代へ、先人たちが残してくれた良い遺産は引き継ぎ、負の遺産はボクらの世代で終わりにして、次の世代には引き継がないようにできればと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?