「バスを降りてくる男」

   朝、仕事に向かう人たちとは反対に仕事から帰ってくる男がいる。
    男はバスを降りるとタバコに火をつけポケットからスマホを出し、歩きながらゲームをやりはじめる。髪は油っぽく櫛を入れている様子はない。上着もズボンも皺だらけだ。時々立ち止まってはスマホを見てニヤニヤしたり後を振り返ったりしている。自分が世間からどう見られているか全く関心がないといった感じだ。何をしでかすか分からない恐さがある。
     男は住宅街のまん中で火の点いたままのタバコを道路に投げ捨てた。『タバコのポイ捨て禁止』の看板が目の前にあるが、男の目には何も映っていない。
    男の仕事はこの国で最も苛酷で冷遇された仕事のひとつだ。タバコの吸殻はただのゴミじゃない。世間から冷たい仕打ちを受けてきた男の吐き捨てた唾だ。もっと吐き捨ててやればいい。
    この男の雇い主にも、この男に無関心な者たちにも、この男よりも激しい狂気を感じ私は背筋が寒くなる。


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