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それは一通のメールから始まった

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子どもを保育園に送り届けた後に、ヒールの靴で必死にダッシュし、何とかいつもの時間の満員電車に滑り込んで、今日は遅刻せずに済んだぞと誰にともなく胸を張って出社したある日、私はそのメールを受け取りました。

1年間の育児休暇から復帰して、まだ1ヶ月未満、2009年12月の出来事でした。

「Are you Back?」という題のそのメールは、私が当時勤めていた会社のシンガポール拠点からでした。短い文面で、シンガポールにポジションの空きがあること、そして、私をそのポジションに招きたいことが書かれていました。メールの送り主とは、育児休暇に入る直前、仕事で何度かやり取りをしていました。

そのメールを見た瞬間、私は「やっべえ」と思いました。行きたかったからです。行きます、行きます、行かせてください!という返事を書こうとして、実際に書き出す前に、やっと現実が私を襲ってきました。家にはまだオッパイを飲んでいる、当時1歳になったばかりの息子がいました。毎日遅刻せずに出勤するだけで必死な私に、海外赴任が出来るのでしょうか?

その日はほとんど仕事になりませんでした。

夫にメールを一本送りました。シンガポールの人からこっちで働かないかって誘われた。今日帰ったら、その相談をさせてね。そうして、私と夫の、長い長いディスカッションの冬が始まりました。

夫とのディスカッション内容に触れる前に、当時の私の状況をお話させてください。

その頃、私は、復帰したばかりのワーキング・マザーにありがちな毎日を過ごしていました。

毎朝が戦争です。

起きてから家を出るまでの分刻みのスケジュールを完璧にこなす必要があります。ご飯を食べるのを嫌がる息子に、食べなきゃ保育園でお腹がすくと伝わらないながらも言い聞かせ、合い間を見て自分も身支度を整えます。出掛ける準備が全部整って最後にオムツ交換だけしておこうとオムツを外したとたん、息子がぴゃーっとおしっこをしたこともありました。息子は、自分の服と私のスーツをびしょびしょにして、ニコニコしていました。タオルを取りに立ち上がりながら、今日は遅刻だな…と思いました。

育児休暇中はご縁がなかった満員電車も私をぐったりさせました。こんな殺人的空間に耐えて毎日通勤する日本のサラリーマンは偉い!と改めて感心しました。

その頃の私にとっては、会社が一番のリラックス空間でした。1年間オフィスにいなかったのですから、私にはほとんど仕事がありませんでした。本気でやれば1日掛からずに終わる仕事を、のんびりと1週間掛けてやっていました。上司が気を使って仕事を見繕ってくれたのです。

そんな中で、1歳になったばかりの息子は頻繁に熱を出しました。休んでもあまり迷惑の掛かる状況ではなかったのですが、この調子で休んでいたら有給休暇がなくなってしまうと心配しました。

それでも、私は海外赴任がしたかったのです。

復帰した直後の上司との面談で私はこう訴えていました。「1年間の育児休暇で、ばっちり充電しました。私は仕事がしたいです。いつかは海外赴任もしたいと思っています。」

きっと彼の理解を超えていたのでしょう、上司は、眼をパチクリさせていました。

いつか海外で働きたいという気持ちを、私は小学校高学年の頃から持っていました。英語を一生懸命勉強しました。大学時代に留学もしました。入社前の面接で、海外で働きたいと訴えました。私の会社選びの基準は、グローバル企業であることでした。

そうして選んだグローバル企業に、私はその時点で6年勤めていました。結婚、出産前から、いつか海外に行きたいとアピールし続けていました。それにも関わらず、一度も具体的なオファーはありませんでした。

海外赴任のチャンスがいつでも目の前に転がっているわけではないという事を、私はイヤというほど知っていました。このチャンスを逃したら、次がいつになるのかは、分からないのです。

そのメールを受け取った日、帰りの電車の中で考えたことを私は覚えています。私はこう思っていました。神様って、不思議に意地悪なことをするなぁ、と。なんで、よりによって今なの? これじゃまるでテストじゃない、ここを乗り越えられないなら、私の夢はその程度のものだってことでしょう…。

ここで、今回のレッスン・ポイントです。

「神様は時々不思議に意地悪で、チャンスは最悪なタイミングを選んでやってくることもある。だけど、神様は乗り越えられない試練は与えない…多分。」

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