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息子にとってのシンガポール

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息子はすぐにシンガポールに馴染みました。私が選んだコンドミニアムには、敷地にプールがありました。遊歩道に隣接していて、3分も歩けば大きな公園がありました。木陰に子供用の遊具が置いてあり、朝夕の涼しい時間にはたくさんの子どもたちが遊んでいました。子どもたちは、たいていメイドさんに連れられていました。

会社からの帰ると、住み込みのメイドさんが作ってくれたご飯を食べて、息子と二人で夕暮れの公園に遊びに行くのが私の日課でした。遊歩道を歩いていると、たくさんの人が「ちいちゃん!」と息子に呼びかけます。犬や子どもを連れたメイドさん達です。近所のメイドさんたちは強固な地縁ネットワークを構築していて、我が家のメイドさんもその一員だったのです。醤油が切れたと言ってちょっと近所に借りに行くこともあれば、盛大な手作りの誕生パーティが公園で催されていることもありました。

私と息子が公園を散歩していると、向こうから犬を連れたメイドさんの一群と出逢ったことがありました。3人のメイドさんが、みんなで合計6匹の犬を連れていました。その中のメイドさんが、我が家のメイドさんと仲良しで、ジジというお爺さん犬を散歩させていました。息子がジジの紐を引っ張らせてもらうのを私も見たことがあります。息子は嬉しさと誇らしさを抑えきれない顔をしていました。その日も、ジジを見た途端、その紐を引っ張りたいと息子が言い出しました。メイドさんがニコニコして紐を持たせてくれます。息子は、総勢5人(メイドさん3人と私と息子)プラス6匹の大団体の先頭に立って、公園を一周しました。すごい、まるで王子様の城内見回りみたい、と私は一緒に歩きながら思いました。

息子には友だちもすぐに出来ました。パパがイギリス人、ママがタイ人の男の子はヒューゴです。我が家の寝室からプールを挟んでお向かいに住んでいました。息子はよく「ヒューゴ、どこ?」寝室の窓から彼の家を伺い見ていました。フィオナのママはインドネシア人、パパは中華系シンガポール人です。玄関のドアを開けた向かいの家の女の子でした。この三人のうち誰かが敷地内のプールで遊び出すと、いつの間にか三人とも揃うのが常でした。そうすると、三人の子どもたちのメイドさん達がプールサイドに集まり、みんなで笑いさざめきます。子どもたちにとっても、メイドさんたちにとっても楽しい時間です。

息子の幼稚園での仲良しはエリザです。この子は、パパがイタリア人でママがフィリピン人です。少し年を取った貫録のあるメイドさんがいつも一緒でした。エリザは、何故か息子のことが大好きで、いつも二人で滑り台の下の空間に籠りたがりました。

そこから息子を引きずり出そうとするのは、やっぱり幼稚園の友達、ブライアンです。1つ年上のブライアンはお姉ちゃんがいて、自分にも弟が欲しかったのか、息子のことを指差しては「僕の弟だよ」と言っていました。パパもママもシンガポール人だったブライアンは、勉強をたくさんしなくてはいけなくて、公園にはあまり長い時間いませんでした。

私が土曜日に仕事をしなくてはいけなかった日、息子が泣いてどうしようもなかったことがありました。私とメイドさんの二人であやしても泣き止まず、困り果てていたらピンポーンとドアベルが鳴りました。ドアを開けると、コンドミニアムのお掃除のおばあちゃんが心配そうに覗きこんできます。このおばあちゃんは息子のことが大好きで、折に触れてはプレゼントをくれたり、手作りのお惣菜を差し入れてくれたりしました。おばあちゃんの携帯電話は息子の写真でいっぱいでした。「どうしたの?」とおばあちゃんが泣き喚く息子を差して聞くので、「私が出かけなきゃいけないから、ご機嫌斜めで…」と答えると、コンドミニアムの敷地の中で取れたパパイヤをプレゼントしてくれました。今日がちょうど食べごろ、絶対に美味しいよ!と言いながら、おばあちゃんが息子にパパイヤを差し出すと、息子は今の今まで大泣きしていたのがウソのように笑顔になりました。

息子がシンガポールにすぐに馴染んだのは、完全に我が家のメイドさんのお蔭です。息子の仲良しはほぼ全て、彼女の仲良しにつながっていました。二人はいつもとても楽しそうでした。私は、まるで昭和のお父さんのように、家庭のことは彼女に任せっきりでした。夕食後に息子と散歩し、寝る前に本を読んであげるのだけが、私の家での仕事でした。息子は私よりもずっと地域に溶け込んでいました。息子があまり母親を必要としていないように見えて、時々切なくなりました。

シンガポールを離れる日、お向かいのフィオナとフィオナのメイドさんが、私たちが乗るタクシーをいつまでも見送ってくれました。前日に、フィオナのお母さんが目を涙で濡らしながら連絡先を渡してくれました。万が一住所が変わっても絶対に連絡が出来るようにと、彼女のジャカルタの実家の住所がそこには書かれていました。

息子は日本に帰ってきてからしばらく「まだシンガポールに帰らないの?」と言い続けました。公園やプールで遊んでいれば自然に友達が集まってくる環境は、息子にとっても心地よかったのでしょう。

う~ん、ここまで書いてきてから悩んでいるのですが、今回のレッスン・ポイントは、なんでしょう? 敢えて言えばこれでしょうか?

子どもを幸せにする全責任を母親が負っていると考えるのは不可能なだけでなく不遜です。一人で子育てはできません。時には手放す勇気を持ちましょう。

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