ホテルから見えたシンガポールの夜景

シンガポールの陣:夫を説得する

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夫の説得は難航しました。

結局きちんと説得できず、私が押し切ったように思います。その時の反省を込めて、どうすればより良くコミュニケーションを取ることが出来たのかを考察します。

彼と私のお付き合いは、ミレニアムと呼ばれた西暦2000年までさかのぼります。シンガポール赴任の話が持ち上がってきたのは2009年ですから、その時点でお付き合いの長さはかなりのものです。その間、私は「海外で働きたい」「海外で働きたい」とずっと寝言のように繰り返していました。

したがって、海外で働きたいという私の希望を、彼が頭ごなしに否定することはありませんでした。ただ、息子がまだ1歳半にも満たず、手の掛かる時期であることに対して、彼は難色を示しました。

彼の仕事の都合上、彼が日本を離れることは不可能でした。

私は、知り合いの情報で、シンガポールでは住み込みのメイドさんが一般的であることを知っていました。シンガポール在住で家にメイドさんがいて、二人の子どもを育てている女性に、電話で実際にお話を聞くことができました。彼女が描写してくれたメイドさんとの生活は、とても快適そうでした。

メイドさんが、毎朝彼女がランニングに行く前に水分補給のボトルを準備してくれる、子どもが好きなものを交えて毎回献立を組み合わせてくれる、野菜不足を気にしてすりおろし人参を肉団子に混ぜてくれるようになった、メイドさんが子どものことを本当に愛してくれているから日常生活で心配することは何もない、等など、ほとんど現実だと思えないぐらい理想的な生活です。(そして、これは誇張ではなかったと私は後で知ることになります。)

更に、実家の母が、最初しばらくはシンガポールについて行くと申し出てくれました。当初の生活の立上げはこれで心配ありません。その後、住み込みのメイドさんが来てくれれば、母が日本に帰った後もなんとか私と息子で暮らしていけそうです。

シンガポールに行きたいという私の気持ちは、徐々に固まって行きました。

まずは、シンガポールという場所がどういうところなのかを見に行こうと私は夫に提案しました。

飛行機代もホテル代も会社が出してくれるっていうからさ、タダで家族旅行するみたいなものでしょ。

夫はこの事前視察に同意しました。

シンガポールに行くのは、私も夫もこの時が初めてでした。日本を出たのは、まだ空気の乾燥した寒い日でした。シンガポールでは、ピンクのブーゲンビリアがあちこちに咲き誇っていました。その花の勢いが、ここが南国であることを私たちに教えました。

シンガポールは、清潔で安全で、住みやすそうな街でした。どこでも英語が通じるし、タクシーが法外な料金を吹っかけてくるようなこともありません。私にシンガポールでの仕事を提示してくれた人とも実際に会って話す機会を得ました。彼が描写した業務の内容は、私をワクワクさせました。それは、シンガポールを拠点にしてアジア・パシフィックの14ヶ国を担当する仕事でした。オーストラリアのような先進国から、インドのような発展途上国までその14ヶ国には含まれます。中国での急速な事業発展の描写に、私は眼を見開きました。

その日の夜、シンガポールの夜景が綺麗なホテルの一室で、私は夫に言いました。「ごめんなさい。私はこのオファーを受けたいです。」マーライオンが口から水を出す様子が、窓から遥か斜め下のスポットライトに映し出されていました。

息子がすやすやと眠るベッドの横で、私たちは延々と話しました。

夫は、シンガポールでの生活が心配であること、息子には父親が必要であることを訴えます。私は、生活は始めてみなければ分からない、シンガポールと日本はそこまで遠くないと言葉を返します。

話は、堂々巡りでした。

これ以上話してもお互いに消耗するだけだというところまで行き着いたあと、私たちは浅い眠りにつきました。

翌日の朝、私は夫に言いました。「ごめんなさい、私はこのオファーを受けます。」

夫はそれ以上、反論しようとはしませんでした。

夫は、私がシンガポールに赴任してから、ほぼ月に一度の頻度で来てくれました。シンガポールと日本の間の飛行時間は約7時間です。ヨーロッパほど遠くはないですが、それでもかなりの距離です。息子は、父親が来るたびにとても嬉しそうでした。

夫の協力なしに、私のシンガポール子連れ赴任は成立しませんでした。

私が自分の希望を押し切ったという事実は、間違いなく二人の間にしこりを残しました。私は、シンガポールに住んでいる間、夫への罪悪感を持ち続けました。そして、その罪悪感が、のちに私が日本への帰国を決める際、微妙な、でも揺るぎようのない影を落としました。

これが、私と夫の間でのシンガポールの陣のあらましです。

「急いては事を仕損じる」ということわざがあります。もう一度、あの時に戻れるなら、私はもっと時間を掛けて夫と向き合うでしょう。夫は、私の邪魔をしたわけではありませんでした。むしろ、彼はずっと私を応援していました。

あの時の私に必要だったのは、もう少しの信頼と勇気でした。夫の私に対する気持ちへの信頼。そして、夫との話し合いが長引いて、万が一この話が流れても、また必ずチャンスは巡ってくると思う勇気。

その2つこそ、私に欠けていたものでした。ここで、3つめの教訓です。

「急いては事を仕損じる。大切な人との関係を、ゆめゆめ疎かにしてはいけない。大事なのは信頼と勇気!」

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