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「視察」で思い出すこと

 6月定例会が開会したことはお知らせのとおりです。市長提出の16議案が上程され、開会初日に9議案が専決処分の承認、先議として常任委員会への付託が省略され、その場で質疑、採決が行われました。その後は全員協議会。ここまでは先日記しました。

 全員協議会が閉じられる前、都市民生委員長から声がかかり、6名の委員は委員会室に集合。秋の行政視察について協議がなされました。この視察場所の協議になると必ず思い出すことがあります。それは市議会議員として初めて常任委員会の視察場所を決めるための協議を行った際のこと。

 私は1期目。当選証書をもらってまだ2か月。当時は総務文教委員会に所属。もちろん歳は最年少の34歳。他の議員は私の両親と同世代や同世代よりも上の方がほとんど。当選したばかりで右も左もわからない状況でした。委員長から視察場所の協議の申し出があった際、年長の議員が間髪入れずに大きな声で一言。

「五稜郭に行きたい!!!」

 すると隣に座った議員が茶化したような口調で「行ったことないのか??」と。すると五稜郭に行きたい!と訴えた議員が激高し、隣の議員の頭部を脇に抱えこみ上下左右に振り回しました。プロレスでいうところのヘッドロックというやつです。まわりの議員は唖然。頭部を抱え込まれた議員は力任せに脇から頭部を抜き、乱れた髪の毛を整えながら「この野郎!」と声を荒らげました。それから少々激しい言葉のやり取りがありましたが、事はそれ以上大きくなることはなく沈静。

 当時1期目34歳の私が驚いたことは2点。まず年長議員が視察場所の協議で五稜郭に行きたいと訴えたこと。行政視察が五稜郭?それは何の視察???そして年長議員の暴力的な素行の悪さです。こんな人が地域で推薦され選挙で選ばれていることに驚愕しました。

 ちなみに、この「五稜郭に行きたい!」と訴えた方とは1期4年を過ごしました。この方は普通に会話が出来ないだけでなく、言動に整合性、一貫性は全くありませんでした。本会議場での発言は4年間で2回だけと記憶しています。基本的に野次ばかり。常任委員会では抽象的な精神論を繰り返すだけで、議案の審査とは程遠い発言を繰り返していました。我が家に突然おしかけ上がり込んでくることもありました。我が家を監視しているんじゃないかと思えることもありました。この方のご家族には駅頭で罵倒されたり、何を思ったのか自宅に高額なプリペイドカードが束で届けられることもありました。(もちろんすぐさま返却。)現在の私なら怯むことなく然るべき行動をとります。しかし、当時の無垢な私はされるがまま。トラウマになるような出来事ばかりで、現在でもこの方とは一切関わりを持ちたくありません。

 話が視察から逸れました。これは17年前の羽生市議会での出来事。行政視察の場所の選定協議になるといつも思い出します。現在、さすがにここまでの議員はおりません。しかし、価値観が時代とかみ合っていないように思える議員様が年齢に関係なく散見されるのは悲しい現実です。

 そんなことを思い出す視察場所の選定協議でした。

 上の写真は34歳の初めての選挙のときのもの。34歳の出来事ということで引っ張り出しました。まわりに写っているのは学生時代の友人と元同僚。そして伯父です。(笑)

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