BS1スペシャル▽幻の巨大空母“信濃”~乗組員が語る 大和型“不沈艦”の悲劇より。

空母信濃
このタイトルを見るまで、自分自身が忘却の彼方にあった巨大空母についてのBS特集。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/1623646/index.html

実は最近まで超誤解してたんですが、小学校の時にマリアナ沖海戦が昭和18年だとばっかり思っていて、最近この世界の片隅にを見て、そしてこれを見てようやく19年6月だということに気がつきました。ミッドウエーが昭和17年の6月なのは昔から知ってましたが、そうすると2年間も何やっとんねんって感じですよね。

昭和17年の後半はガタルカナルで消耗してますが、18年の末でもまだソロモン諸島にいる訳で。この時期の1年って国力的にどうしようもないですよね。

そうすると、マリアナ諸島の敗退が、昭和19年の7月、レイテ沖海戦と空襲が始まるのが19年11月、硫黄島の戦いが昭和20年2月ごろ、東京大空襲が3月、沖縄戦も3月から6月。結局、マリアナ沖で負けた後は実はすごくあっけないですね。インパールも7月には終わってますし。マリアナとレイテ沖で負けたところが潮時ですね。

日本の空襲も本格的には昭和20年の3月以降。ポツダム宣言の早期受諾で200万人が助かったのは定期ポストです。「この世界の片隅に」でも詳細に空襲の記録がありますが、あの呉でも本格的な空襲は20年になってからですからね。

前置きが長いのですが、この番組を見て一番の収穫は、昭和17年から19年の2年間の日米の国力と技術力の進歩の差が空母信濃ひとつだけとっても非常によくわかったことです。横須賀で建造されていますが、既に浸水時に熟練工が少なく、なんと浸水にあり得ないミスで失敗。浸水させるときにドックの扉に先ず注水して重くしてから浸水するのが必須だったのに、ドックの扉に注水するのを忘れてしまったそうです。その損傷の修理で更に竣工が遅れたのが沈没の遠因になっています。その遅れで、空母信濃が竣工したのは昭和19年11月ごろになってしまい、B29に発見されたので、止むを得ず呉に移動する羽目になり、その際に米軍の潜水艦の魚雷たった4発で沈没してしまったと言う訳です。

実は船舶、特に軍艦は竣工してからも船の整備が完全かどうか確かめるための試験運転を長く行うそうです。大和や武蔵は1年以上行って、艦内に水漏れがないか、ハッチは確実に閉まるか、バルブは機能するかと行った点を確認してから実戦に向かいます。ところが、そもそも信濃は1ヶ月も試運転期間がなく、更には呉に向かう途中にまだ不十分な内装の修理、建造をしていたそうで、そもそもタービンも6機あるものが2機まだ動かず、大和型の27ノットではなく20ノットしか出せなかったそうです。

昭和19年に竣工した空母が、大鳳と信濃だけ、かたやアメリカは10隻くらいは新型空母を竣工していたので、まあ国力的には予定通りの差です。

しかも、2隻でも無理していると更に使い物にならず、大鳳が魚雷1発で沈没したのは有名ですが、この信濃も魚雷4発で沈没(ちなみに武蔵も大和も10発受けても大丈夫だった訳です)。

そもそも速度が遅い時点で潜水艦には弱くなるのですが、艦長はそれでも航空機の爆撃を避け、潜水艦に狙われやすい夜の沖合航路を選択しています。それは、昭和17年ごろまで米国の魚雷の性能が悪く、不発弾が多数あったので、潜水艦が攻撃してきても大丈夫と言う見通しを艦長が持っていたからだそうです。ところが、19年ごろにはこの問題点も技術的に克服し、命中率が飛躍的に向上していたそうです。それで5発のうち4発が命中。

ただ、それでも大和型だと4発は全然大したことないはずですが、命中したのが当然一方に偏っているので、バランスを取るためにもう一方の側に注水する際に、十分できなかったのに加え、完全に密閉できていないところから水がどんどん漏れ出したそうです。

また、武蔵の沈没原因にもなってますが、大和型は装甲が厚いと言うメリットの反面、当時の電気溶接では十分結合できなかったので、鉄のボルトで接合する方式をとっていたそうです。そこに魚雷が当たると、内部の隔壁を壊して、更に浸水すると言う弱点がありました。信濃もその箇所に命中して、浸水がひどくなり、更にはバランスを取る部署自体が浸水して使えなくなったそうです。

戦争は想定外の連続と言いますが、まあ、これだけ技術力と国力の差がついたら、実は硫黄島やベリリュー島の戦いで非人道的なことやっても、もうどうしようもないですよね。wikiの日本語には勇ましいこと書いて、都合の悪いことは極力書いてないですけど、こう言うの読めば読むほど逆に悲しくなります。


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